私とカントリーミュージック Vol.3
谷岡 和壽
◆連載エッセイ Vol.3
伝説のシンガー「ハンク・ウィリアムズ」
皆さんこんにちは。10月8日にアメリカ映画「I saw the Light」が中洲大洋劇場で封切りされます。この映画はCountry Musicの神様と言われるHank Williamsの伝記物語です。
そんなことから今回はHank Williamsについてお話します。
ハンクは1923.9.17生まれで、1953.1.1.に29歳の若さでオハイオに向かう車の中で亡くなりました。24歳でデビューし29歳で亡くなる6年間という短い間でビルボードCountry部門で1位が10枚、トップ10が35枚という素晴らしい人気を誇りました。
彼は幼い頃から脊椎を患いながらの生活を送っていました。小さい頃からCountryが好きで13歳には週末になると近くのWFSAというラジオ局の前の路上でギターを弾きながら歌っていました。彼の歌を聴いたWFSAのプロデューサーに見込まれ週2回15分の番組を週給15ドル(今の価値で200ドル)で始めたのがプロの始まり。たちまち人気が沸騰し16歳にはDrifting Cowboysという自分のバンドを持ち、アメリカ各地で活躍し始めますが、1941年第二次世界大戦でバンドの仲間が徴兵され、苦難が始まります。
瞳の中の愛――I SAW THE LIGHT
1950年頃には賛美歌をメインに発表、「Cold cold Heart」が大ヒットします。1951年テネシーで狩猟の旅の途中に背中の痛みが再発。その結果モルヒネとアルコールの依存症に陥ってしまいます。1952年にはアルコール酩酊状態でオープリーに参加して解雇されてしまいます。1952年9月にレコーディングしたKawligia. Your cheating Heart. Take these chains from my heart. が最後のレコードとなりました。
1952.12.31にウェストバージニアで開催予定のライブに向かう日、嵐で飛行機が欠航、チケットは3万枚売れてましたが、主催者に飛行機が欠航で無理、との連絡をし、やむなくノックスビルのホテルに泊まり、1月1日にオハイオに向かうこととしました。 ホテルで医師にモルヒネを注射して貰い、翌朝、車でオハイオに向かいました。途中、給油所で給油中に運転手が後部座席に寝ているハンクに声をかけるも応答なく、警察により死亡確認されました。
ハンクのオハイオ公演に集まった聴衆にハンクの死を告げるとバンド仲間から「I saw the Light」の歌が、その歌を聴衆の皆で、いつまでも歌い続け、ハンクの死を悼みました。
10月、時間がある方は「I saw the Light」をご覧になってみては如何でしょうか?
ところで、私事ですが、11月5日(土)20時からライブハウス チャックワゴン(天神3-1―16橋口 ビル地下1階 電話715-1455)でテリー椎崎さん(昔、東京でプロのCountry歌手として活躍)と谷岡の二人でデュオ ライブを開催します。興味がおありの方はどうぞお出掛け下さい。