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いつからか銀翼に恋して Vol.3

      2016/09/24

下枝  堯

◆連載エッセイ Vol.3

アメリカでの飛行訓練スタート

 1968年9月2日、同期生19名と日航DC8型機でアメリカへ。経由地のホノルルで入国審査を受けたのち再び太平洋を越えて、西海岸のロサンジェルスに着陸、北米大陸に第一歩を記しました。そこからは、PSAのB727型機に乗り換えカリフォルニア南部のサンディエゴに移動、空港からフリーウエイを50分ほど南下し、メキシコ国境からほど近い目的地のブラウンフィールド飛行場へ。広漠とした荒野のなかに2400mの滑走路を持つ元海軍の飛行場は訓練には好条件の場所でした。PSA エアライン訓練センターでの飛行訓練生活の始まりです。
 私たちは飛行場内にある2階建てバラックで荷をほどきました。そこにはドイツ、ルフトハンザ航空の訓練所も隣接しており、食事はその施設を利用するということで献立はもっぱらドイツ料理。ジュース、ミルク、コーヒーは飲み放題、一週間ほどすると汗の匂いもミルク臭くなって来ました。

無我夢中のFirst flight

 訓練は到着した次の日から、いきなり180馬力の単発機パイパーチェロキーに乗せられ始まりました。パイパー社の飛行機にはアメリカインディアン部族の名がついていて、アパッチ、アズテック、コマンチなども有りました。
 教官は私より少し年上のボルテッツ氏。言われる通りにエンジンをかけタクシング(地上走行)、滑走路に入るやいきなりテークオフロール(離陸滑走)、単発機なので機はプロペラのジャイロ効果で左斜めに走りだす。

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 教官の「ライトラダ―!ライトラダ―!」の声で右ラダ―ペダル(方向舵)を踏み込むと少しずつ滑走路の中心に戻りはじめたので、そのまま中心線上を保って加速、ローテーション速度(引き起こし速度)に達した時にゆっくりと操縦輪を引くと機は地上を離れ舞い上がりました。自分自身の操縦による人生初の浮揚です。そして引き続き指示されるまま訓練空域に飛んで空中操作の慣熟飛行、1時間の初飛行は無我夢中で終わりました。

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三つの舵を操って

 さて、ここでちょっと飛行機操縦のお話しです。
 飛行機には昇降舵(エレベーター)、補助翼(エルロン)、方向舵(ラダー)の基本三舵がついており、その舵面を動かすことによって機体をコントロールしています。操縦輪(コントロールホイール)を前後に動かすと尾翼にある昇降舵が上下し機体は上下に姿勢が変化、車のように左右に回すと主翼左右に取付けられた補助翼が動き機体が左右に傾き旋回を始めます。左右の足でペダルを前後に踏むと垂直尾翼後方の方向舵が動き、横方向に機首を変化させたり、機体の横滑りを制御することができます。

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 またラダーペダルは地上では前輪を動かし地上滑走中の方向制御にも使用します。あとはエンジンの出力を調整し水平線や地平線を参考にして姿勢を制御するだけです。単純で簡単、「自転車に乗れれば誰でも飛ばせる。」と言う人もいましたが、現実はそうでもありませんでした。

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軍港都市サンディエゴ

 渡米して訓練を開始後はじめての土曜日、訓練所のマイクロバスでサンディエゴの街に繰り出しました。
サンディエゴは気候温暖な大都会で、今では多くのアメリカ人が老後を過ごしたい人気の地になっています。当時は海軍太平洋艦隊の軍港都市として知られていました。産業はコンベヤー航空機会社、その他軍事産業があるくらいの地方都市で、日本の横浜市が姉妹都市でした。
時はベトナム戦争が泥沼化し始めたころ、ダウンタウンは徴兵された水兵さんがやたらと多く早々に退散、観光スポットの一つ、バルボアパークに移動しました。ここは広大な森の公園で、多くの美術館、博物館そして世界有数の動物園もあり、東京の上野公園の大型版といったところです。

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翼よ! あれが巴里の灯だ

 私たちは公園の森をしばらく散策、お目当てのサンディエゴ航空博物館にたどり着きました。館内には数多くの飛行機が展示されていましたが、その中心に1927年5月、25歳の若き飛行士、チャールズ・リンドバーグが大西洋単独無着陸横断飛行に使用した単発単葉機「スピリット オブ セントルイス号」が吊り下げられていました。

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 もっとも、これは映画の撮影に使用された3機のレプリカのうちの1機で、実物はワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館に展示され%e3%81%97%e3%82%82%e3%81%88%e3%81%a0%e5%b7%b4%e9%87%8c%e3%81%ae%e7%81%afています。では、どうしてレプリカがこの博物館の主展示になったのか...答えは実物がサンディエゴにあった「ライアン飛行機会社」で製作されていたからでした。
 小学校6年生の夏(1957年)、ジェームス・スチュワート扮するリンドバーグの映画、『翼よ、あれが巴里の灯だ』を家庭教師の西南大生と中洲の映画館で鑑賞、ニューヨーク・ロングアイランドを飛び立ち、幾多の困難を乗り越え大西洋を横断、たった一人で33時間29分飛行してパリのル・ブルジェ飛行場に着陸、大群衆に迎えられた感動のラストシーンをよく覚えています。
 大空へのあこがれを膨らませた思い出の飛行機、『The Spirit of St. Louis』に出会えた喜びに浸りました。

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