フィリピン ボランティア滞在記 3

      2017/04/25

 

リンガエン湾の夜明けとともに

 宿舎の孤児院は海に面した小高い丘の中腹にありました。毎日朝早く起き、ベランダの椅子に背をもたれて、静寂な夜明けの時間をゆったりと過ごしました。明けゆく眼前の美しい景色や遠く望むリンガエン湾の向こう側山地から徐々に登る日の出を眺めながら飲むコーヒーの味は格別でした。

 

洋裁指導は愛情をもって根気よく

 さて、洋裁の生徒さん達とは日を追って色々と楽しくなりました。洋裁の指導は基本を大事にしての繰り返しです。妻は間違いや不十分なところは妥協せずに縫い直しをさせました。生徒の皆さんも最初は面喰らっていたようですが、そのうちに「ハイ、ハイ」と皆で声を上げて楽しそうに続けて行きました。

 
 トレーニングセンターの隣はスワルのelementary school(小・中学校)で、孤児院の子供達もジプニーで通学します。朝一番は、校庭で全生徒皆揃って体操をし、先生の話を聞きます。
縫製教室では9時頃を目安に集まって来て、ひと時は情報交換のおしゃべりです。そして、めいめいに洋裁を始めます

 

お菓子や果物を持ち寄っておやつタイム

 面白く思ったのは10時と15時のおやつです。「ミリエンダ、ミリエンダ」と声に出して一日で一番の楽しい時です。豊かではないのですが、少しのお菓子や果物などを持ち寄って食べます。私達も持って行って仲間に入りました。

 

 昼食時がまたとても楽しくほほえましい光景です。昼食は皆さん弁当を持って来ます。隣の小・中学校では給食がないので、孤児院では昼食を子供達に届けます。私達二人の分も持って来てくれました。生徒さんの子供やお孫さんで隣の小学校に通っている低学年の子供達が、お昼になるとやって来て一緒に食べます。
 皆さんのお弁当は、今の私達から見れば貧しいものです。ご飯だけはたくさんですが、おかずは小魚1、2匹とかというもので、肉類はめったに見ません。お肉少しと野菜の煮汁物のおかずをプラスチックに入れ持って来ます。平らな皿にご飯を入れて汁などをかけスプーンで食べます。汁物は香辛料も程良く、私達も興味津々で楽しんでいただきました。

◆生徒さんの子供やお孫さんも一緒に昼ごはん

 地方都市のダグーパン・アラミノスに移り住んだ時は、自炊で弁当を作り持参しました。今度は逆に、皆さんが私達の弁当を覗き込んで少々気が引けました。

 

フィリピンの水と電力事情

 水道はありますが飲めません。ペットボトルに水を詰めて持って来ます。孤児院ではよい水があったので、私達はそれを詰めました。
 ダグーパン・アラミノスでは、20ℓのポリ缶で約25ペソ(50円)の水を買いました。注文すると、配達してくれて空実交換です。ガスはプロパンで、ガス容器の配達は日本と同じでした。ブタンではないので、民度は高いということかなと思いました。

 電気は200Vで配電されています。孤児院からも見える所に、丸紅飯田が関係したと言うこの地方唯一の火力発電所がありました。時々工事とかの停電がありましたが、停電地域が広く、時間も長くて昼間一杯ということもあり、驚きました。
 ダグーパンのアパートに住んだ時、夕方突然停電し表の方が騒々しかったのですが、間もなく復電しました。大家さんが来て「近くの家と間違えられ電線を切られた。電気屋に文句を言ってきた。」と言うのです。電気料を払わないと引き込み線を断ち切るという単純明快なやり方です。その後、この種の支払いを気にする洋裁の生徒さんの話もなるほどと思えました。

 孤児院の宿舎でもダグーパン・アラミノスのアパートでも、シャワーは電気の給湯器も使えましたが、殆どは水ですませました。フィリピンでは大変恵まれた施設だったと思います。
 ホテルでも安いところは水シャワーのみです。殆どの生徒さんの家もそうで、中には水浴び(行水)の感じのところもありました。でもきれい好きで、よくシャワー(水浴び)をします。混んだ乗り合いバスの中でも、体臭や汗の臭いを感じたことは殆どありませんでした。

 

妻の“同行者”の私に依頼された仕事

 さて、妻に同行した私は何をしていたのか?ということです。私はサポーターとして一緒に行動するという意識だけで渡航したのですが、何か出来ることがあれば、例えば子供達に勉強を教えようか、などの漠然とした気持はありました。ですが、妻の活動開始からしばらくした時、NISVAの現地代表から私も仕事をいただきました。

◆組合の意義や活動のあり方を講義

 実は、洋裁の生徒さん達は組合(Association)を作って届け出がしてあり、市を通じて国の補助金も貰っていました。組合の実体が何も出来ていないので、「組織化と活動の促進を図って欲しい。」というものでした。
 私は、現状把握から始めました。生徒さんが洋裁の手を休めている時とかに、個別に話を聞いたりしました。フィリピン語(タガログ語)は駄目ですから英語です。でも上手には話せませんので、細かい点は、NISVAに通訳として雇われているマリーさんを介して理解に努めました。

 そんな時、DOLEと言う国の機関(厚生労働省のようなもの)からの現地調査があり、横から眺めておりました。調査の朝に市庁舎から担当者が来て、補助金で買ったと言う縫製教室にあるミシンの1台1台に小さな物品管理票を貼って帰りました。購入価格が確か7,000ペソ(14,000円)と書いてありました。私は胸中で苦笑しました。(意味を書くことは控えます。)

 生徒の皆さんは、組合を組織しているということを意識してはいるのですが、組合の意義や活動のあり方が分かっていないようでした。そこで8月になってから、洋裁の時間を割いて、そもそも組合とは何かということを教育しました。一般にある会社とはどう違うのかというような比較をしながら分かってもらうように工夫しました。そのことを原点として、どのように活動してゆけばよいかということを説きました。

 

スワルからダグーバンへ移転

 ところで、7月末にスワルの孤児院から地方都市ダグーパンのアパート(メゾネット式の3軒長屋)に移り、前述の現地代表の隣に住むことになりました。綺麗なアパートで周りも高い壁で囲まれ、それまでの田舎町スワルとは違いました。洗濯機に溜まった水道水を見たら僅かに薄い茶色でした。勿論飲むことはできません。歯磨きも飲用の水でしました。

 

 ダグーパンの町中では、二人で帽子・Tシャツ・半ズボン・ゴムサンダルという標準的?格好をし、現地の人の気分で歩き回りました。

 3回目はこれくらいにさせていただきます。

 

 

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