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フィリピン ボランティア滞在記 5

      2017/07/08

 

フィリピン滞在中に一度自分たちだけの旅行をしました。

 私たちは「贅沢はしない。あちらの人達と同じに・・・」との思いで渡航しました。観光はさほど頭にありませんでしたが、日本人慰霊碑やフィリピン国軍の士官学校があるバギオはダグーパンから近いので、8月21日(金)の祝日に出掛け1泊しました。バギオは高地で涼しく美しい都市で、夏の間は大統領(府)も移って来ると聞きました。

 昭和20年1月9日、米軍はリンガエン湾から上陸し南北に進攻しました。バギオ周辺に後退し防御した日本軍は4月末包囲されるに至り、さらに後退して戦闘を継続しましたが、飢えと病気で続々と倒れました。フィリピンでは、各戦域で最多の約50万人が亡くなりました。

雲の上の高原都市――バギオへ

 さて、朝食後にジプニーでバンのタクシー乗り場に行き、10名ほどが乗り合わせて出発しました。平地から徐々に山地に上がって行き、約1時間40分でバギオに着きました。運賃は一人100ペソでした。町並みはスワルやダグーパンより随分と綺麗です。標高約1,400mで、涼しく心地良く感じました。少し歩き、中程度のホテル(部屋代:朝食付き900ペソ)に入りました。

◆私たちが投宿したホテルです。中程度というところです。少し良いところは、部屋代が大体倍くらいです。

日比全戦没者の鎮魂の碑――英霊追悼碑

 荷物を預けて中華レストランで昼食を食べ、バスで少し郊外の士官学校に行きました。ところが失策です。学校正門で「何かIDがあるか。」と聞かれましたが、旅券もキャッシュカードも持参していません。「失くさぬ・盗られぬには持たぬが一番」を実行していましたが、この場合は全く迂闊でした。仕方なく士官学校見学は諦め、市内に戻り慰霊碑に行きました。往時を偲んで参拝しました。美しく維持されており、高齢男性の管理人がおられたので、お礼を申し上げ記帳もしました。バギオのライオンズクラブによる祈念碑も読み、フィリピンの人達のお心遣いに対し深い感謝の念を覚えました。

 ◆写真上/日本人慰霊碑(英霊追悼碑)です。周囲が綺麗に維持されています。
 ◆写真左/バギオのライオンズクラブによる碑文です。日本人に対する恨み言などは一切書いてありません。

12月にアラミノスで、校外研修中の士官学校3年生と偶然に出会い話ができました。とても涼しげで爽快に感じる青年達でした。聞けば、フィリピンの士官学校は日本の防衛大学校と同じ制度です。大学相当の4年制で、卒業時に陸・海・空の3軍に分かれます。女子学生も含めた各学年が200名余とのことです。
防大卒で陸上自衛隊に勤務した私のことも話し、「フィリピンのため頑張ってほしい」と激励したら、「Yes Sir」と揃って敬礼を返してくれました。格別に嬉しく思いました。

赤い二つの尖塔――バギオ大聖堂

 次にバギオ博物館に行って約1時間半見学しました。入館者は少なく、2人の女子大生に出会い、言葉をかけたら案内してくれました。戦争中の展示コーナーでは、日本人として率直にお詫びを言いました。別れる時にお礼と「しっかり勉強して」と言いましたら、笑顔で喜んでくれました。
 カフェで休んでから有名なバギオ大聖堂を見物し、散策しながらホテルに帰り部屋に落ち着きました。

◆バギオ大聖堂です。1990年の震災後に修復されたそうで、フィリピンでは珍しく、新しい感じでした。

 夕食はバーベキュー・グリルで少し奮発して御馳走を食べ、ホテルに戻りシャワーをしました。温水が出て満足でした。トイレは予想どおりの「フィリピン式の水洗」でした。故障のままなのでドラム缶などで水が置いてあり、柄付きの桶で水を汲んで流します。チリ紙は流さず別に捨てます。スワルの宿舎やトレーニングセンターなど多くの所でも同じでした。

◆写真左/ホテルの部屋はこの程度です。汚くはありませんが、綺麗とは言えません.。  右/トイレ・シャワーです。「フィリピン式水洗」用の柄付き桶が奥に見えています。水が入った大きな容器はドアの陰だったと思います。

 翌日、ホテルの朝食は簡素なものでした。トーストは既になかったので、ご飯のプレートをいただきました。小袋のインスタントコーヒーが付いていました。

◆簡素な朝食です。プレートの中は、ご飯のほか、目玉焼きとソーセージみたいなものです。端の方のブルーの四角い小袋がインスタントコーヒーです。

申しわけないほど安いお土産品

 この日は、先ず山際の「マインズ・ビューパーク」に行き、山々の美しい景色を眺めました。
 土地のおばあさん達が頑張っているのに共感したのか、妻が部族の貸し衣裳を着て写真を撮りました。また、公園入口の土産店で、フィリピンから持ち帰った唯一の物を買いました。直径約30cmの木を縦約30cmで切り、そのまま彫り抜いて作った花置台です。あちらで親しまれ農作業に活躍する水牛の顔の部分を台の3本の脚として彫ってあります。2つで1,500ペソでしたが、安くて申し訳ないような気持でした。

◆写真左/マインズ・ビューパークから見た美しい眺めです。  中/部族衣裳を身につけた妻です。衣裳と帽子の2点で20ペソでした。  右/木彫りの花置台です。脚の部分が水牛の顏になっています。

 その後市内に戻り、アメリカ統治時代に造られた広くて美しいバーンハム公園を散策しました。さらに町中を歩いて昼食後にホテルに戻り、少しお礼を足してチェックアウトしました。
 往路と同じバンのタクシーに乗って山地を下り、15:00頃ダグーパンのアパートに着きましたが、喧騒の下界に帰ったと言う感じでした。色々と大変良い思い出です。

◆バーンハム公園の中の大きな湖です。

IMMIGRATION事務所でビザの延長

 ところで、私達は観光ビザで渡航しましたので、滞在間に都合4回ビザの延長をしてもらいました。ダグーパンにIMMIGRATION事務所があり、初回は渡航後3週間目の数日前に申請に行きましたが、少し緊張しました。その後も規定の時期に行きました。所長の出勤が遅れて少し待たされたこともありましたが、旅券に申請書を添えて出し、お金を納めれば終わりです。
 一人につき、2回は約3,000ペソ、2回は約5,000ペソを支払いました。所長は少し威張った感じの人でしたが、室内に掲示してあるフィリピン国旗に向かって私が礼をするのに気付いたのか、親しく話しかけてきて、コーヒーを御馳走してくれることもありました。

◆ダグーパンに在るIMMIGRATION事務所です。

 

ショットガンで武装したガードマン、現金輸送は装甲車

 日々使うお金ですが、渡航前に口座を作って国際キャッシュカードを持参し、現地のATMで引き出しました。NISVAから支給される生活費はその口座に振り込まれましたが、余裕を持つため東京に住む娘にも機をみて振り込ませました。渡航当初はフィリピンペソは持たず相応額の日本円を持って行き、現地代表に紹介された両替商に交換してもらいました。中国系の人のようでしたが、良心的な交換比率でした。

 ATMでの引き出しですが、銀行入口近くで見通しが良い位置にあるATMを勧められました。どの銀行も常にガードマンが入口そばに立ち、拳銃を下げショットガンを持っているのです。現地代表に聞いてみましたが、実包(実弾)を装填しているとのことでした。銃器そのものには驚きませんが、強盗などに注意するように言われていたので毎回緊張しました。
 引き出した後は、人通りが多い所を通って安心できる場所まで急いだものでした。銀行以外でもショッピングモールや大型スーパーでは、拳銃を所持した男女のガードマンが入口に立ち出入をチェックします。銀行に来る現金輸送車は正しく装甲車です。現地代表が「大したお金も運んでないのに。」と冗談を言われました。

注文品づくりにハリキル生徒さんたち

 洋裁の方はパンツ(ズボン)作りを進めていましたが、袋などの小物作りの注文も入ったりしました。妻は、それぞれの生徒さんや注文品作りの状況に応じながら洋裁指導をして、納期に間に合うようにしていました。注文品を作る時は、共同の作業や各人の縫製作業に区分して時間数又は数量などを会計係がノートに記録し、後日の給与計算の基礎としていました。生徒さん達は家業や家庭の都合もあるのですが、出て来て一緒にやるのが一番楽しみのようでした。 

 

 

 

 

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