北海道の思い出 ~北見から再び苫小牧へ~
馬渡 和夫
自家発電で工場へ電力を供給
昭和51年3月 「山林部員を命ずる」の辞令で3年半勤めた北見から苫小牧工場への異動が決まり、赴任した。
工場の歴史を紐解くと、苫小牧と言う町は、王子製紙の工場ができる前は海辺の寒村に過ぎなかったが、支笏湖を背後に控え、水力発電に必要な落差のある豊富な水量に恵まれ、木材資源の入手に不自由しない所に工場が完成した。工場が出来てから、徐々に発展した典型的な企業城下町である。
天然のスケートリンクが一晩で
社宅は4階建のアパートで、入社年次の若い我々は、部屋に風呂がなく、各アパートの地下に大きな浴場があった。当時風呂付の部屋に入居できるのは、管理職一歩手前の人からで、早く偉くならなければと思ったものである。
冬近くなると、各部屋に配管されたスチームがカンカンと音を立てて蒸気暖房の供給が始まる。工場近くの社宅なので、工場から配管された蒸気と水、自家発電の電気は一般の市民の使用料金より極端に安い料金が給与から天引きされていた。
12月頃になると、社宅の男たちは空き地に25mプールほどの広さの周囲を10cm位土盛りをして、その中にホースで水を撒くと翌朝には立派な屋外スケートリンクが完成していた。4~5歳位の子供たちはアイスホッケーのスティックを持って暗くなるまで練習している。苫小牧と釧路は北海道の中でも冬季の降雪が少なく、全日本クラスのアイスホッケーの選手の中には苫小牧、釧路出身の選手が多いのも手軽にリンクが出来て、練習が可能という地域性が大きいと感じた。
輸送費カットに挑んだ僕の”プロジェクトX“
苫小牧山林部での業務内容は、プロジェクト担当となった。この仕事のルーティーンは、北海道に於ける中長期(将来年間)原材料調達可能量及び調達価格予測、取引業者実態調査(経営分析)の2つである。どう考えてもこの2つのテーマをレポートするのに2か月もあれば可能であり、1年の残り10ケ月は自分で山林の仕事の中から問題点を見つけ出してその解決策を見出さなければならない。これは大変なことになったと当初は思っていたが、この時代はまだ発展拡大の余韻があり、意外と懸案事項が多かった。
更に、人事部から、入社10年目に当たり、「挑戦と創造」というテーマで研究成果を発表してくれとの依頼があった。そこで、70km離れた江別工場から苫小牧工場に平ボディートラックで広葉樹の晒パルプが運ばれてくる。一方苫小牧からは輸入チップがチップ専用車で毎日江別へ輸送されている事に着目して、トラックの形体は違うが何とかチップ車でチップの帰り車にパルプを積んで複荷として運べないか、江別施設部の同期に検討依頼したところ、何とか可能との返事があり、早速「トラック輸送の合理化」というテーマで大きなコストダウンに寄与することを報告、社内報にも掲載され、実行に移された。色々な問題を解決するために、山林以外の江別工場の担当者、苫小牧の研究技術部、港湾荷役業者の方々とも交友の範囲が広がり、充実した期間を過ごすことができた。
日本一早い北海道の紅葉
苫小牧で特にまだ脳裡に焼きついて鮮明に思い出されるのは、秋の紅葉の見事さである。
また、苫小牧の街路樹には市の木であるナナカマドが街路樹として植栽されており、夏の葉っぱの緑色に対して赤い実のコントラスト、秋の黄色に変色した葉に対する赤い実、冬の真っ赤な葉に赤い実と季節毎の色合いを楽しませてくれる。真冬には葉が落ちて赤い実に白い雪が乗っかる風景も趣がある。
3年7月「春日井工場員を命ずる」という辞令がでて、10年ちょっとの北海道での勤務が終わった。
《2016年9月20日》