播州龍野と寅さん

      2017/07/19

◆寅さんが初めて龍野芸者ぼたん(太知喜和子)と出会った梅玉旅館の玄関

男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け
昭和51年7月

日本の原風景が残るロケ地――播州龍野

 梅雨が明け夏本番となると、夏の季語である「冷素麺」の出番です。素麺はあの名高い「揖保乃糸」。その素麺の付け汁に必要なものは醤油。その両者の名産地が播州龍野。童謡「赤とんぼ」の作詞者・三木露風の故郷でもあります。ちなみに渥美風天には次の句があります。

赤とんぼじっとしたまま明日どうする

 龍野は平成の大合併で「たつの市」という味気ない名となりました。龍野は播磨の小京都といわれる城下町。日本の原風景といわれる土地をロケ地とした映画「男はつらいよ」の脚本を書き、監督した山田洋次さんには願ってもない所でした。

 映画は寅さんが恋をし、多くの場合ふられるという筋立てで、多くのマドンナが出て来ます。小学館が募集した寅さん川柳に入選した私の句

赤くなり青くなりして寅の恋
のとおりです。

◆旅館の玄関先で寅さんを見送るため、芸者ぼたんが奥方向から走って来る名シ-ンはここで撮られた

◆露風も通った書店

◆醤油・もろみの自動販売機

誰もが認めるシリーズ最高傑作

 第17作「寅次郎夕焼け小焼け」はシリ-ズ中一二を争うといわれる名作で、マドンナは異色の女優でしたが、共演の老女優も異色でした。

 このマドンナと寅さんとの恋模様を楽しみにしているファンも多いのでしょうが、私の一番の関心事はロケ地です。学生時代、横長のリュックを担いで旅した「カニ族」の一人として、試験休み等に各地を巡ったことを懐かしく思い出します。昔訪ねた土地は50年を過ぎ、変貌を遂げていることでしょうが、寅さんのロケ地も含めて訪ねることが、今の私の楽しみです。

樺太に消えた恋の逃避行

 前述の異色のマドンナは、芸者を演じた太地喜和子さんで名演技でした。しかしここで取り上げるのは、宇野重吉さん演じる日本画家の昔の恋人を演じた岡田嘉子さん。数十年ぶりに出会った彼との会話の台詞が長く心に残っています。

 それは彼女の「仮にですよ、あなたがもう一つの生き方をなすったら、ちっとも後悔しないと言い切れますか。私、近頃よくこう思うの、人生に後悔はつきものじゃないかしらんて、ああすればよかったなあという後悔と、もう一つはどうしてあんなことをしてしまったんだろうかという後悔・・・」というものです。

 岡田さんは大正から昭和初期の大女優、恋多き女性でスキャンダル女優のはしりでしょうか。昭和13年1月、演出家の杉本某と吹雪の中を樺太からソ連へ越境し逮捕されて労役を課され、戦後はソ連で放送等の仕事をしたとか。

 第17作は昭和51年、日本滞在中に出演したもので、山田さんはどのような気持ちでこの台詞を書いたのか、配役をしたのか、また岡田さんはどのような気持ちで出演したのか、台詞を言ったのか、聞けるものならばお二人に聞いてみたいものです。

瀬戸内寂聴が見た女優の高慢

 ちなみに岡田さんとモスクワで会った瀬戸内寂聴さんは、その著書「奇縁まんだら」で次のように記しています。
 岡田さんは「岡田嘉子をお書きなさいよ。日本に帰ったら関係者をいろいろ紹介してさしあげます」と言ってくれたが、2時間の間に一度も笑わなかったことが私には気がかりだった。
 さらに70歳となった岡田さんに日本で会った寂聴さんは、次のようにも記しています。
「対談の間じゅう、私はずっと嘉子にからかわれている気がした。質問はすべてはぐらかし、答えはみんな嘘ばっかりであった(中略)。別れる時、つけまつげの濃い大きな目で私を上から見下し「書きたいんでしょ?話してあげてもいいわよ」と言い、鼻先で冷笑した。私は屈辱に震えながら「はい、ありがとうございます。ご縁があれば」と答えたが、誰が書いてやるものか!と内心叫んでいた。

 帰国した岡田さんはモスクワで亡くなり、東京・多磨霊園に埋葬されました。

 山田さんは出演者の口を借りて、味わい深い台詞を言わせることが多多あります。とても寅さんのような人が言えることではないような台詞もありますが、それも映画を観る楽しみの一つです

◆写真左/醤油工場の煉瓦作りの煙突  中央/元医院  右上/龍野城  右下/赤とんぼの歌碑

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