私とリクルート、江副さん Vol.5 閑話休題:私が今元気でいられるのは

      2017/03/27

 

気ままな独身生活で体を壊す

 私はリクルートに入社して3年半、営業マンでした。博多から東京へ、寮、社宅などない時代でしたから、港区愛宕下の母の実家、蕎麦屋の2階の4畳半、おじいさんの部屋に布団一組を持って入りました。都電が走っていた時代です。(この蕎麦屋近くにリクルートの倉庫があり、社員が蕎麦を食べに来ていました。祖父、叔父、叔母たちは、まだ無名の会社リクルートを知っていたのです)

 日比谷通りを都電で神田美土代町まで通勤しました。数か月で、横浜上大岡の一軒家に同期生と数人で移転、また数か月後に、京王線下高井戸の合宿所みたいな長屋に移住、そこは15部屋程度ありました。4畳半で二段ベッドがあるだけの部屋でした。
 食事は不規則、帰りは遅い、大抵は麻雀や先輩方との付き合いです。当然のごとく、翌年の春に体を壊してしまいました。博多へ戻って1か月入院、さらに1か月自宅療養をして、6月に東京へ戻りました。この年の秋に結婚、食事の改善などでようやく体調も回復し、営業も成績を上げられるようになりました。

神田美土代町の電停

京王線下高井戸駅

病気療養、結婚を機に健康と向き合う

 リクルート創世時代、結婚までの1年半、苦労とも何とも思いませんでしたが、肝臓を傷めつけて悪化させ、体が疲れてすぐ横になる状態。会社では大学の延長のように何の束縛も無く楽しかったのですが、体を壊してしまいました。それを智香子のお蔭で改善、元気になれました。
 この病気はまさに『一病息災』でした。自分の体を知ることができ、毎年の健康診断を注意して見るようになりました。肝機能は許容範囲ながらも高めでしたか、毎年の検査変化は無く、安心して仕事に専念できました。

 

 

感情をコントロールする術を学んで

 さらにひとつの経験が私を変えてくれました。それは営業マン2年目、ある件で課長と大喧嘩をしたこと、課長が私に隠し事をしたのが原因でした。
 翌日出社したら、私は胃がおかしくなり食欲もないのに、課長はケロッとしています。同じ喧嘩をしたのに、私だけが傷つき体に異常をきたしている、損だと思いました。以後、何が起こっても、怒ることを止めました。怒ってもコントロールすることを覚えました。結果としてストレスがあっても最小限の影響で済むようになりました。
 後年、東京寿禄会仲間の栗川君から「小野塚、お前はこの本の通りの生き方をしているな」って言われたことがあります。当時ベストセラーになった春山茂雄博士の『脳内革命』という本で、内容は『楽しいことや嬉しいことが起こると、脳内から脳内モルヒネが分泌され、やる気が高まって思いもよらない力を発揮する。ストレスはその反対で、プラス思考で物事に取りくむことがいかに大切かを説いたもの』でした。こうした経験が基礎になり、古希を越えた今もなお、心身ともに健康を維持できています。

 

 

心身を癒してくれる高尾山散策

 もう一つ、心身ともに私の健康の源になっているもの、それが『高尾山散策』です。リクルートを50歳で現役引退、子会社の監査役=閑職になり自分の時間を持てるようになり、睡眠をとれるようになり、歩くようになり、そして高尾山散策を始めたのです。体はみるみる健康になりました。毎年の健康診断、血液検査は全て正常値になりました。今も維持しています。

 

 

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