私とリクルート、江副さん Vol.4 異能の天才

      2017/01/11

江副さんと織田信長

 なぜ、私は江副さんのことを書き留めておきたいと願うのか? その大きな要因として、私を営業部から経理部の未入金回収係、つまり“成長歪解決担当”に引っ張ったのは、江副さんの「遠望深慮」だったのではないかと考えたからと、前回書きました。
 もう一つ私の心を捉えて離さないのが、江副さんの人間像です。
 江副さんは稀代の名経営者といって間違いありません。なぜこんな人が生まれたのだろう、存在するのだろうと、常に不思議に思っていました。思い当たる節はありますが、確信に至ってはいません。
 一つ言えるのは、江副さんの考え、行動が戦国時代の覇者=織田信長に似ているということです。織田信長も、あの戦国時代、諸大名が跋扈していた時代に、なぜあんな人物が育ったのか、私の大きな疑問でした。

天下を分けた「長篠の戦い」

 二人には驚くほどの共通点があります。
 長篠の戦いで織田信長は、鉄砲(火縄銃)を取り入れた近代戦術で、勇壮無敵と謳われた武田の騎馬軍団を打ち破りました。440年前の事です。海外から情報を得た信長は、火縄銃の扱い方をいち早く習熟し、また数を揃えることで100%勝てる圧倒的な軍隊を作りあげたのです。
 並行して、城の周囲に楽市楽座を設け、商業の発展を促し、そこから得る利益で軍隊を強化しました。それまで農業兼務だった兵隊をプロ化した、戦闘専門の部隊です。さらに堺での鉄砲作りに、高性能で修理が可能な分業制を取り入れ、大量の武器を確保できる体制を作りました。堺も利益を得ることで、生産増に応えることができたのです。つまり信長は、外国の情報を基に、長期的展望に立って、戦略戦術を練り、常勝軍団を作り上げたのです。今で言う、商売上手だったと思うのです。
 一方で、江副さんも同様でした。アメリカ経済の躍進ぶりを見、10年20年後の日本を予見して、経営戦略を立て、事業として成功100%の戦いを進めて行ったのです。鉄砲の代わりは、資金と人材でした。

二人には驚くほどの共通点が

1) 二人とも情報を得ることに長けていました。戦をするにあたって信長には、相手方の動きを読む卓抜した力がありました。また、宣教師などから外国の情報を得、戦略に取り入れました。
江副さんも、事業を拡大する際にアメリカ経済の動きを注視し、P.F.ドラッカーを愛読、新聞を下から読む(まっ先に広告欄をチェック)等、情報を得ることに努力を惜しまない人でした。また、細かいことですが、毎週月曜日部長会議などがあるときは、1階から階段で上がり、各フロアを回り、女子社員の間をめぐって、何らかの情報を得ることを習慣にしていました。そして、一度決意すると、あらゆる手段を講じて達成へと結びつけました。

2) 人材活用に壁を作りませんでした、信長はあらゆる人材を受け入れ、使えなくなると容赦なく外して行きました。江副さんも中途採用に積極的で、プロパーの社員、たとえ部長クラス、役員であっても、使えないと判断すると地方や子会社に外していきました。

3) 信長は本城を作りませんでした、その目を世界に向けていました。江副さんも、ビルを建てても『本社ビル』とは呼びませんでした。

4)派手なイベントが好きでした。

5)ストレス解消のため常に“苛め”の対象が必要でした。

6)自分の関心事の意思決定には、人の意見に耳を貸しませんでした。部下が勝手なことをして戦に勝っても褒めませんでした。自分の関心事、特に総務マターの事が好きで、それを総務部長などが相談なしに進め、決めるとあとで怒っていました。

7)粘着質でしつこい性格   

8)根は弱い人間     等々

 あの戦国時代に、なぜ織田信長という異能の天才が登場したのか。農耕民族の日本において、戦後の混沌とした時代に、なぜ江副さんという攻撃的な人材が育ったのか。今でも解き明かせない謎です。

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