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都の西北青春記  Vol.2

      2017/08/16

中野 健司

連載エッセイ ❷ 

 夏期軽井沢合宿

中野-1後列、左から2番目が、中野健司君

中野-2右から高橋直樹君、中野健司君、三輪田勝利君

学徒出陣を見送った安部球場

前回に続いての寄稿になりますが、ご一読いただければと思います。

東京六大学のリーグ戦は、春季、秋季の年2回対抗戦が組まれる。各校2試合総当たりで勝ち点を競う。試合は土日に組まれ、一勝一敗の時は月曜日に第3戦を行い、勝敗を決する。

母校早稲田の練習グランド、安部球場はキャンパスの隣にあり、戦時中、最後の早慶戦が行われたことでも有名である。多くの名選手が戦場に出征した歴史的な球場でもある。

さいごの早慶戦

★1943年秋、学徒出陣直前に行われた「最後の早慶戦」。

【出典】 http://www.waseda.jp/student/weekly/contents/2005a/061e.html

 

刺青背負った「スズメさん」

ゲーム日以外はそのグランドで練習の毎日。すずめ(ふくら雀)スタンドには一般学生をはじめ、地元のファンも熱心に足を運んでくれる。熱心なファンのことを、我々は『スズメさん』と呼んでいた。『スズメさん』たちは我々の情報、例えば出身校とか、甲子園経験者かどうかなど詳しく掴んでおられた。

その中の一人に僕のファンがいて、卒業まで親しく付き合ってくれた。名前は苗村さん。最初の出会いは銭湯だった。年のころは40代、すでにカタギの身だったが、背中に総刺青、左手の小指はなく、初めて見たときは股間が縮む思いだった。

その後しばらく付き合うことになった。時々練習を覗いては、その日の練習をチェックして、夜は僕のアパートにお出ましになり、素人ながらのうんちく?を聞かされた。アルバムに貼っていた学生時代の写真も、想い出にとその多くが持ち去られてしまった。卒業後はお会いする機会もなくなったが、その後どうされただろうか?

やこう列車シーズンが終わると故郷への帰省は急行列車に揺られて26時間。上京時は特急列車で、それでも16時間の長旅。まさに今は昔である。

2年の夏休み、新宮の実家でのんびりしていると、「軽井沢の夏期合宿に出るように」との電報をもらい、緊張して上京した。レギュラークラスの合宿である。選ばれたことの嬉しさで必死に練習した。

遠かった甲子園への道

最後に高校時代の野球部の思い出について。中学時代の軟式野球から、高校に入って初めて硬球に触れたときは、言い表しようのない感触で、強く感動した。野球部は部費も少なかったようで、バットは折れない竹バットを使った。また節約のため、練習ボールは修理して使った。家に持ち帰って縫ったり、授業中にも内職した。

1、2年の時は1回戦負けだったが、3年時は同期中川健一君、中島亮三君、秋根卓美君、大久保史君、高島征夫君らで1回戦不戦勝。2回戦は朝倉高校に5対0で勝利し、3回戦は秋根君の決勝ホームランなどで浮羽工業に2対1と勝ち進み、4回戦やきゅうは大濠高校と香椎球場(今のかしい花園)で対戦した。当時香椎球場は西鉄ライオンズの2軍の球場ということもあり、内野部分にはコンクリートのスタンドもあった。スタンドには応援団をはじめ、多くの福高生の応援があった。大声援を受けて戦ったが、0対1で惜敗した。初めて、今でいう高校野球らしい風景の中での試合であった。

 

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