Interview room : 藤本 茂さんの巻

      2017/06/27

―こんにちは藤本茂さん、いつも寿禄会ホームページ(HP)の更新をありがとうございます!!

藤本  どういたしまして、お役に立てれば光栄です!

―けっこうな量がありますし、文字のフォントや写真のレイアウトなど、いろいろ面倒なことをお願いしているので、大変でしょう?

藤本  そうでもないですよ、ホームページの作成は、研究会(学会)の庶務幹事として、日本でインターネットが一般的になってきた1990年代終頃からの研究会HPの立ち上げ・維持管理を手始めとして、2011年からの中学同窓会HP、つい最近の大学同窓会HPの立ち上げ維持管理などいろいろやっていますので、そんなに負担ではないですよ。

―いろんな方面から依頼されていらっしゃるんですね~!
頼まれると断れず、大変なことと知りつつも、つい引き受けてしまうという面もあるのでは?

藤本  依頼されてというよりも、暇つぶしに丁度良い仕事ができたと、自分で仕事を作って喜んでいます。

―ご謙遜ですね。
確か寿禄会HPが立ち上がって間もなく、青柳会長のネットワーク(香椎中学の同窓生)で、藤本さんというコンピュータのスペシャリストがいらっしゃることを知り、HPの構築と記事の更新をお願いすることになったのですが、初めて話を聞かれた時のお気持ちはどうでしたか?

藤本  初めて寿禄会のHPを見せて貰って、お金をかけてキチンと作られているなぁ~と感じました。ただ個人のメルアドなどが、無防備にそのまま記載されているのを見て、これでは危ないと思い青柳君に削除するようアドバイスしたのが最初です。

―本当にメルアドの点では、助かりました。あのままにしていたら、どうなっていたことか・・・
お金をかけているというのは、どういうことですか?

藤本  ホームページ作成には幾つか方法があるのですが、寿禄会HPの場合「WordPress」というHP作成ソフトを使い、基本の部分はすでに青柳会長がプロ(Chacoweb)を使って作ってありましたので、HPにかける青柳君の並々ならない情熱を感じました。

―そうですよね~。

藤本  有料サーバーを使用して、パソコンだけではなく、スマホからも見れるようにうまく作ってありますし、大容量のメモリーを使えるようにしてあるので、現在やっているようなワンクリックで大画像を出すなど、容量を気にせずに奇麗な画面が作成できるというわけです。

―外注でHP構築とその後の管理運営を依頼すると、かなりの費用がかかることで青柳会長も悩んでいらっしゃったわけですが、それを藤本さん一人で無償で引き受けて下さって助かりました。本当にありがとうございます!!

藤本  プロのHP更新にはとても及びませんが、そこそこはできているかなと思っております。

ありがとうございますヾ(。╹◡╹。)ノ゙!!(寿禄会全員の声)

―不審なアクセスやウイルスの攻撃からHPを守るため毎日異変の有無を確認したり、記事をHPに追加したらそのつどバックアップしたり、人知れず苦労していただいているんですよね。

藤本  つい最近も「ランサムウエア(身代金要求型ウイルス)」を侵入させ、身代金をとろうとした輩がいて世界中で問題になったのですが、世の中には悪い輩はいくらでもいますからね、それに対する備えをしておく必要があるわけです。

――ランサムウエアとは、どういうものですか?

藤本  このウイルスに感染すると、コンピュータ中のファイルを突然読み出すことができなくなって、それを解決するために「数百ドルのビットコインを振り込め」という脅しに、世界中が震撼した事件で、数日前に大きく報道されていました。

―苦労して積み上げてきた寿禄会のHP原稿が消えてしまうなんて、考えるだけで辛いです。
本当に卑劣な行為ですね。

藤本  そのためにも、非常時用にバックアップを取っておくことが重要なわけです。

―西日本新聞に連載中の「福高賛歌」の記事をHPで紹介したところ、新聞社から「著作権侵害の警告」が来て、記事を削除することになりましたよね。良かれと思って掲載した記事を削除するのは、空しい作業だったでしょうね。

藤本  残念ですが、仕方がありません。

―新聞社が創作した記事やデータを転載したのとは違いますし、福高の先生方や卒業生が取材に協力して記事ができ上がっているわけですから、こちらとしてはむしろ取材協力費をいただきたいくらいですよね(笑)。もちろんこれは、私の個人的な感想ですが・・・

藤本  同感です。

 

―ところで藤本さんは、まだコンピュータが一般的ではなかった頃から、武田薬品でコンピュータの仕事をしておられたそうですね。

藤本  コンピュータの仕事ではなく、正しくは「コンピュータを仕事に利用していた」です。
1970年大阪万博の年に武田薬品に入社し、配属されたところが中央研究所・醗酵生産物研究所の工業化研究グループだったのですが、コンピュータと言えば、空調完備の埃のないきれいな部屋にある超大型のIBM360コンピュータが標準の時代に、今で言えば800万円位もする、当時としては珍しかったプログラムが可能なオリベッティの卓上コンピュータが、埃だらけの実験室にあり、微生物が酸素を利用する速度の計算などの科学技術計算に、日常的に使用可能なことにびっくりしながらも、毎日計算したり、プログラムを作ったりしていました。


オリベッティの卓上コンピュータ

―レトロモダンな、美しいフォルムですね。お仕事の内容は、どんなものだったのですか?

藤本  仕事としては、ノーベル賞を貰われた大村先生の「イベルメクチン」という抗生物質の生産と同じような仕事だと考えて頂ければ良いのですが、新規物質を発見しても、全世界へ安定して薬として供給できる工業的な生産体制が構築できないと商売にはならないわけです。工業的に大量に生産するには、百mlのフラスコ培養で得られたデータを、何百㎥という巨大な発酵槽でも同じように生産できるようにする必要があるのはわかりますよね。このように抗生物質などの醗酵生産物の生産を巨大な発酵槽で行うのに必要なスケールアップをするためのデータを取得して、巨大な発酵槽でもフラスコ培養と同じように生産できるようにすることを目的とする「工業化研究」が仕事でした。

藤本  工業化研究では、オリベッティの卓上コンピュータによる科学技術計算を手始めに、8ビットのマイクロコンピュータ(マイコン)が出てきたときには、マイコンを使った定量データ処理装置を自作したり、ジャーファーメンターという数Lの発酵槽の制御にマイコンを使ったり、より大きなパイロット発酵槽の制御にもマイコンを適用したりしました。

◆ジャーファーメンター制御装置例 

◆パイロット発酵槽制御装置例

―基礎研究を実際の生産レベルに展開するために、非常に重要なプロセスというわけですね。
開発した内容を世界にプレゼンテーションするために、海外の学会にたびたび参加されたとのことですが、どんな国に行かれましたか?

藤本  アメリカ(シカゴ、ロサンゼルス、ボストン、ニューオルリンズ等)、カナダ(バンクーバー、トロント)、ドイツ(ベルリン、フランクフルト等)、フランス(パリ)、スイス(チューリッヒ)、スペイン(マラガ)、イギリス(ロンドン、マンチェスター)、ノルウエー(オスロ、ベルゲン)、スエーデン(ストックホルム)など、今考えてもびっくりするくらいの多くの国に行きました。

◆研究者に説明中(2004年スペイン・マラガ)

◆ベルゲン港(2005年ノルウエイ・ベルゲン)

◆スキージャンプ台(2006年ノルウエイ・オスロ・リレハンメル)

―話をHPに戻しますが、今後どんなHPを作っていきたいですか?

藤本  世界一のコピーライターの市丸さんが作られた、世界一の奇麗な原稿を忠実に反映するHPを作成したいです。

―あははは、お上手ですね(^^)。最後に、HPを見て下さっている寿禄会の皆さんにメッセージをお願いします

藤本  青柳会長の発案で、寿禄会活動にHPが導入されたことは大変画期的で素晴らしいことだと思います。これをきっかけに、より多くの同窓生の皆さんがインターネットに親しまれ、同窓生同士の絆を深めていかれるといいですね。
これからも、藤本が対処に困るような、たくさんの投稿が殺到することを、期待します。

―本日は、貴重な時間をいただき、ありがとうございました。

By 市丸 幸子

P R O F I L E

藤本 茂/大阪府池田市在住 妻・子供3人・孫4人

【福高3年次】3年3組(川崎先生)
【経歴】 九州大学農学部農芸化学科発酵学教室・卒業・修士課程修了 1970年 武田薬品入社 研究職として大阪・十三研究所、山口・光工場、東京・本社等に勤務。
【趣味】 ビデオ撮影・動画編集・DVD作成、尺八演奏、ウオーキング
【出没する場所】 数か月に1度程度、大阪十三の飲み屋街  下戸だけど付合いは良い。
【出生にまつわるエピソード】
1945年12月31日、3男2女の末っ子として中国瀋陽(奉天)に生まれる。父は当時南満州鉄道(満鉄)勤務。その後一家で引き揚げてきた。
2006年7月、兄弟5人とその連れ合いで、昔住んでいた大連、白城子、瀋陽などを訪れ、思い出の地(小生は記憶にないが・・!)を巡った。

◆白城子機関区:居住地?

◆瀋陽(奉天):藤本出生地?

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