二人のザピーネ

      2018/03/25

 

 ザピーネは、女性のファーストネームです。人名事典をひくと、古代ローマ北部の美しい景勝に由来し、皇帝ネロの妃がこの名を称し(Sabina)、現代では流行の名前であるとでています。

 ぼくが「二人のザピーネ」に出会ったのは、南ドイツのシュタウフェンという小さな町でした。シュタウフェンには、ドイツ語学校(ゲーテ・インスティテュート)があり、大学で留学生活を始める準備にそこで2か月学びました。クラスは、中級段階で15人くらい、最高齢は娘がドイツ人と結婚し、孫とドイツ語でしゃべりたいというのでアメリカからやってきたおばあちゃん、一番若かったのは、ピアニストを目指すメキシコの青年。

 クラスメートのなかで、自然とグループができます。ぼくは、年恰好の近い韓国の牧師のキム、スペインから宝石研磨工の修業にきたアルマツァンとよくつるんでいました。朝は、学校の食堂ですませますが、ランチは町一番の(といっても数軒しかない)レストラン、クロイツ・ポスト(往時は郵便馬車の発着所だったとか)によく3人でいきました。

 そこの看板娘が、ザピーネの一人です。ちょっと大げさにいうと、オードリー・ヘップパンに面影が通じていて、本当に可愛かった。ある日の授業で「○○は評判がよい」という慣用句を習ったので、早速レストランでマダムに「あなたの娘のザピーネは町中でとても評判がよい!」と3人がこもごも言いたてたら、注文しない大ジョッキがどーんとテーブルに置かれて、してやったりです。 

 このザピーネにアルマツァンが恋をしました。キムとぼくに悶々として訴えるようになり、そしてついにデートに誘うところにこぎつけました。「がんばれよ」と送り出して、翌朝、学校で成果如何とキムと二人で待ち構えていたのに、かれはやって来ません。やっと昼過ぎにクラスに顔をだしましたが、その顔つきが暗いのです。

 「どうしたんだよ」と話を急かせると、こうでした。シュタウフェンにはデート適合施設がないので、電車で40分ほどの都会フライブルクにいった。映画をみて、食事をして、ワインをのんだ。見事におきまりのコースをたどり、夜の闇のなかで、キスをした。
 「よかったじゃないか!」と肩をたたいたのですが、そこからが問題でした。アルマツァンが「もう一度キスしていいか」(そんなことわざわざ聞くかなーと思いますが)と言うと、ザピーネは「also・・・」と答えたというのです。

 かれは、この「also・・・」によって状況理解不能におちいり、そこから暗い顔となって今に至っているというわけです。「先生に聞いてくれないか」とかれが懇願するので、ぼくとキムでクラスの先生に尋ねにいきました。先生は真顔で「状況依存的表現である」と答えてくれましたが、胸のうちではきっと大笑いしていたに違いありません。

 そのクラスの先生が、もう一人のザピーネです。スリムで短髪、とても知的な感じがしました。学校は週5日制で終日なので、始終先生と一緒にいます。ザピーネ先生は、午前と午後で着ているものをちょっと変えてきます。ブラウス、パンツ、スカーフの組み合わせのヴァリエーションで、さりげなく目立たないけれど、ぼくにはとても好ましく思えました。

 レストランのザピーネがオードリーなら、先生は、キャサリン・ヘップパーンの風情というか。授業では、いつも小さな試験をやりましたが、先生は「広渡さん、文法はいつも満点!」と笑いながら、ほめているのか、けなしているのか。おそらくかの女が「どうして?」と思うほどに、ヒアリングの出来がアンバランスでした。

 ザピーネ先生は、いまでいうバツイチでした。結婚してお連れ合いの仕事の都合でパリに住んだけれど、先生は仕事がなく、うちに閉じこもっていた。だから、かれが帰宅すると、「ネエ、ネエ、今日は何があった?」とうるさくつきまとうのがつねだったそうです。「そんなことが積み重なって・・・」。「女性は自立しなきゃ」ということかなと思って聞いていました。

 アルマツァンがデートをしたフライブルクには、ワンタンスープのおいしい中華料理店がありました。先生は食べたことがないというので、休みの日に誘いました。乗換え駅の構内に花屋さんを見つけて、先生のために赤いバラを1本だけ買いました。ドイツだからの気の使い方ですね。

 シュタウフェンの語学コースが終わって、留学先の大学に出発する前の日、ザピーネ先生はドライブに誘ってくれました。

 「あなたが分からないなーという顔をしているときには、あてなかったのよ。」 ぼくのプライドを気遣ってくれたそうです。2か月間のあれこれや、おたがいのあれこれを話しつつ、あっというまに時間が過ぎ、ぼくのホテルのまえに車をとめて、さらにしばし。

 「遅いからもう行きます」と車を降りようとしたら、「ひきとめないわ」が先生の別れのことばでした。
「そうか。こういうシチュエーションではこんな表現をつかうのか」とホテルの玄関をはいりながら復唱していました。さいごまでまじめな生徒でした。

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