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私とリクルートと江副さん

      2018/03/25

◆現在のリクルートロゴ

 

 

 リクルートは急成長の歪が常に存在する会社でした。営業三年半経過した1972年秋、鹿児島と宮崎の県境にある町・志布志牧場兼農場へ研修に行きました。

 この農場を作った目的、江副さんいわく『日本列島沈没』という本が売れていた時期の事です、「自然災害が起きた時、農場を持っていれば社員が食べ物に苦労しない」でした。この農場を作った目的、江副さんいわく『日本列島沈没』という本が売れていた時期の事です、「自然災害が起きた時、農場を持っていれば社員が食べ物に苦労しない」でした。

 もう一つ研修好きな江副さん、社員の働く意欲を高めることを大事にしていた江副さん、この牧場に部単位で農場手伝い研修に行かせることにしたんです。研修半分レクレーション半分でした。研修の最後はたき火を囲んで歌い、喋ったものです。この農場、社員の希望者が運営していました、学生時代から希望していたとのことでした。

 一ちゃん、たき火の前で、ギターを弾きながら知床旅情を歌っていました。彼とは今でも、偶に会い「ようよう」という仲です。不動産好きな江副さんのしたことです。後にオイルショック時期、志布志湾が石油開発=石油貯蔵基地になり、志布志近辺の土地が高騰、ファームはクローズしました。クローズしに部下と二人で清算仕事をしました、帰りに霧島温泉で一泊した記憶があります。

 ファーム研修が終わってNビル(この8月に竣工したリクルート最初のビル、西新橋ビル)の営業部フロアに戻ったところ、上司から、君は明日から経理部だと言われ、呆然としたのを覚えています。
 すぐ経理部長が来て、君に頼みたい仕事があると、4千万円の未入金リストを渡され、『回収してくれと』一言。これが、私のリクルートでの、トラブル解決担当=成長の歪解決担当の始まりでした。江副さんが亡くなるまで続きました。この人事の背景に、江副さんがいたのではないかと、憶測しているのです。

 急成長が始まったリクルート、経理部に行ったら、入社して数年の若い男女が、伝票集計、請求書作り、毎日残業、売掛金回収どころではありませんでした。成長の大きな歪でした。そして、部長が、誰かいないかと、江副さんに相談したのではないかと、そして私に白羽の矢が当たったのではと。4千万円の未回収の売掛金、不良売掛金ではありませんでした。未回収の会社の経理訪問、請求と入金をチェックさせていただき、未回収分を再請求、短期間で回収した記憶があります。

 この時、嫌いになった会社があります、ダイエーです。やはり急成長していた会社、大阪の本社、経理を訪ね照合をさせていただきたいと、照合を依頼したところ、門前払いだったのです、相手にされませんでした。

 この人事異動で経理部門へ行っての変化、給料が倍になったのです。なんと月に残業が7-80時間、そう、毎日3-4時間の残業があったのです。若い男女が猛烈に働く要因の一つだったと思います。営業マン時代、残業はゼロでした。

 
江副さんのアタマの中身 ①

江副さんは、論理的思考、理屈?理由?を考える人でした。

 志布志ファームの撤退を、志布志湾の石油基地開発による不動産の高騰、オイルショックの影響と、江副さんが言っていたと書きました。しかしこれは社員への説明理由だと思います。事実は、志布志が遠すぎたことが原因だと思います。遠いと言うことは、最初から分かっていたことです、これを理由に撤退はできないのが、江副さんの思考。オイルショックが丁度良い理由でした。

 当時東京から志布志まで、東京からは夜行列車で九州へ、日豊線で行くか、飛行機でした。時間、距離、お金も相当かかりました。移動に半日以上かかっていました。.

 一方で、後に書く竜が森開発(現在は安比)は、高速道、新幹線の開発が予定され、近い将来、東京からは3-4時間で行ける場所でした。江副さんが契約に直接関与するのに通えるエリアでした。江副さんは何回も出かけ、直接地元の有力者に会い、飲めない酒を飲み、話し込み、土地契約にこぎつけたのです。志布志とは全く違っていました。

 

 

 

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