福高寿禄会|福岡県立福岡高等学校16回卒業同窓会|

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私と福岡高校(5)竹田範弘、中野健司、小野塚満郎

      2017/08/16

 

 

  「福中・福高100周年」は誠にめでたく、卒業生の一人として大変嬉しく誇らしく思います。寿禄会の皆さんとともに心からお祝いを申し上げたいと思います。

  100年は長いとも短いとも言えます。高校16回生は卒業して53年ですが、明治維新から53年を数えれば大正10年です。日清戦争、日露戦争そして一次大戦・シベリア出兵と、ほぼ10年ごとに戦争でした。一方、福中創立の大正6年から53年と言えば昭和45年になります。私達は福高卒業後これくらいの長さを生きてきました。また、71年余戦争がありません。幸運だったと思います。

 さて、高校3年間を振り返れば、昨日のことのように嬉しく語り合って、皆で誇らしく喜ぶことができます。私達は素晴らしい高校生活を送ることが出来たのです。その良い校風が引き継がれて伝統になり、福中・福高の歴史が作られて来たのだと思います。

 私達もその伝統の中で育まれ歴史を刻んだのです。100周年と言うのは毎年の単純な繰り返しではなく、福中・福高生が誇りと自覚を胸に秘めて1年・1年を積み重ねた結果の100年であり、これからも続けて行くという意思と祈念する意味だと思います。

 福高時代の思い出です。体育の授業で毎学年続けてラグビーをしたのは、得難いことであったと思います。「きつい。痛い。」と言うのが毎回でしたが、基本のタックル・セービングを反復練習し、学級対抗の大会に出て試合も出来たのを、門田先生のお姿とともに懐かしく思い出します。
 その後、防衛大学校や陸上自衛隊でもラグビーをすることがありましたが、「福高で正統なラグビーを教わったのだ。」という気持を度々抱きました。

 

 

 近況です。8年前に行った「フィリピンボランティア滞在記」を寿禄会HPに掲載していただいていますが、帰国翌年の東日本大震災が起きた前月から、地元横浜の会社で、警備員指導の仕事を今年4月まで続けて退職しました。
 これからは、往年の体力(体調)を少し取り戻せるよう工夫をしたいと思っています。寿禄会の皆さん、今後ともよろしくお願いします。

 

 

 福中・福高創立100周年おめでとうございます。早いもので、卒業して54年、ほぼ半世紀経ちますが、地元の有名校として引き継がれていることを誇りに思います。

 昭和36年入学後、授業の難しさ、レベルの高さを痛切に感じ、挫折を思い知らされたものだ。幸い野球という大好きな部活に出合い、同僚、先輩、後輩に巡り合えたことは幸運であった。

 練習は毎日、陽が暮れるまで続き、明るい時間に帰宅できるのは定期試験の時だけだった。帰宅後は、街灯もない真っ暗な道を4~50分のランニング、朝は通学電車の来る音がするまで、裏庭で打撃練習をしたことが思い出される。

 

 私のポジションはキャッチャーで、眼鏡が使いづらいので、親に頼み込んでやっとのことでコンタクトレンズを買ってもらった。数日後、事件発生。その大事なコンタクトが見当たらず、部屋中探し回り、家族中大騒ぎになった。そしてとうとう学校を休んでしまった、コンタクト紛失事件。数時間後、黒目からずれていたのがわかり、一件落着。授業は休んだが、練習には出かけて行った。今でも家族が集まればよく話題に上がる。

 国語の小野先生から定期試験の出題に関してヒントがあり、半信半疑で学習したのが、私立大学の試験で丸々出題されたのに驚いた。正に目から鱗!おかげで合格できたと思うので、小野先生様々である。

 

 

 創立80周年記念誌を読むと、西暦1917年(大正6年)創立となっています。

 この年は第一次世界大戦が終わり、ロシア革命が起きた年です。激動の年に福中・福高は生まれています。世界は戦争の悲劇を忘れ、第二次世界大戦を引き起こし、今また地球各地で戦争というか、紛争というか、テロというか、殺し合いという愚かな行為が行われています。

 5月13日、東京福中福高100周年記念同窓会が開かれました。受け取った小冊子、旧制中学校の戦中戦後の記録『寺井日記』をつなぐ『未来日記』を読むと、歴史の大切さをあらためて、思知らされています。『東京あさぼらけ記念号』の記事の一つ、戦没した宅島さん(中学17回生)の遺稿『くちなしの花』の一文・・・
国守の 土のしとねとなる日 間近し
さらに、さらに歴史を大切に思うところ大です。

 

 私達福高16回生は、卒業して半世紀を過ぎ、大半が第二第三の人生を歩んでいます。総数450名、物故者は50名を超え、住所不明の方が100名近くと、報告されています。仲間との会話の中で、先輩達の物故者の数が、70歳を過ぎて80歳まで急速に増加していると、ありました。

 しかし、昭和20年生まれが大半の同級生、何故か元気な方が多い。青柳会長が言う『みんなで健康、楽しく長生き』を実践している。病気を抱えている人も、良い人生を生きてきた、福高仲間に支えられてきた、と残りの人生心豊かに過ごしている事と思います。

 私は、近くに高尾山という自然豊かな我が庭を持ち、週1回の早朝散歩を20年近く続け、心身ともに健康を維持しています。

 何時からか忘れましたが、東京寿禄会が結成され、事務局引き受け、多くの仲間と連絡を取るようになりました。今日現在も、句会仲間、ゴルフ仲間を中心に、飲み、食べ、喋りして楽しんでいます。並行して、遠方の仲間ともメールで欠かすこと無く、近況を連絡し合い、お互いの健康を確認しています。大半が福高16回生仲間です。

 私は、福高仲間と同じように、リクルート会社仲間とも、飲み食べ喋り、残りの人生を過ごしています。一昨年同級生結婚の智香子を亡くし、今年46歳になる息子と二人、お互い助け合いながら、八王子と新橋で楽しく生活しています。

 福高とリクルート、この二つの世界を持つことにより、仲間の大切さ、ありがたさを体の隅々まで感じながら生きています。

 

 

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