さようなら ぼくのメルケル

      2021/12/31

 

この表題は、一国の宰相を相手にまことにおこがましいですが、いまのぼくのまぎれもない心境です。

 ドイツのメルケル政権は、この9月26日の連邦議会選挙を経て幕を閉じます。メルケル首相は、すでに早くから引退を表明していました。選挙結果は、社会民主党が第1党になり、メルケルの後継者が首相候補でたたかったキリスト教民主・社会同盟はそれに及ばず、次期政権は、現在政党間の協議中ですが、社会民主党、緑の党そして自由民主党の連立政権となりそうです(10月末現在)。政党カラーが、それぞれ赤、緑、黄色なので、アンペル・コアリチオン(信号機連立)と呼ばれています。

 

東ドイツ出身の理系少女はいかにして"ドイツの母"になったのか?

 メルケル政権は、社会民主党と緑の党の連立政権に代わって、2005年に誕生しました。そのころ、ある集まりで「メルケルってかわいいよね」と口走って、ぼくの審美眼への異議を含めてひんしゅくをかったという話を以前のコラムで書きました。

 「ドイツのお母さん」参照(編集部注)

左:メルケル首相の評伝の一つ 右:16年間の苦闘に感謝して玩具メーカーが作ったメルケルのテディベア

 それから16年間、メルケル政権が続きました。メルケル政治にはもちろん毀誉褒貶があり、東ドイツ出身の女性物理学者(1954年生まれ)がその才能によって統一後のドイツ政界、そして欧州、さらに世界でどのようにキャリアを積み上げていったか、すでに少なからぬ伝記が刊行されています。

 

"お気に入り"メルケルをめぐって「エマ」編集長と意気投合!? 

 ドイツの週刊誌デア・シュピーゲル9月4日号が「アンゲラ・メルケルの16年間 “もうへとへと”」という特集を組みました。

 その中で、ドイツのもっとも戦闘的なフェミニスト、アリス・シュヴァルツアーがインタビューに応じています。1942年生まれのかの女は、1977年に"Emma"という雑誌を創刊し、いまも編集長でがんばっています。

左:シュピーゲル誌9月4日号の表紙  右:雑誌「エマ(Emma)」編集長・アリス・シュヴァルツアーさんと

 2006年夏にかの女を訪ねて話を聞いたことがありました。
 メルケル政権の誕生についてのかの女の感想は、「少女たちが、ドイツには女性がなれないものなんてないんだと、思えるようになった」でした。

 「デア・シュピーゲル」のインタビューは、メルケル首相がフェミニストか、フェミニスト的政策を進めたか、をしつこく尋ねています。シュヴァルツアーの応答に、記者が「お話は、あなたがメルケルのファンのように聞こえます」と皮肉を言った積りだったのでしょうが、「わたし、昔、プレスリーやジェームス・ディーン、モンローのファンだった。そういえば、わたしはなにかしらメルケルを楽しんでいるわね」といなされています。

 かの女は、メルケルが初めて大臣になったとき、“エマ”への寄稿を頼んだのがきっかけで交流が続き、単純にいうとメルケルが気に入っているのです。ここを読んだとき、ぼくも同じだ、と。

◆雑誌Emma、2005年9ー10月号の表紙

 

大企業の意思決定機関「監査役会」の女性比率を30%に義務づけ

 メルケル首相は、女性のためにも仕事をしました。東京で日独学術交流を担当するドイツ人女性たちから聞くところによると、「指導的地位の女性と男性の同権的関与のための法律」(2015年5月施行)は「やったね!」と快哉したそうです。

 ドイツの株式会社は、日本とちがって株主と従業員がそれぞれ選出する監査役会がトップ機関で、取締役を任命します。同法は、監査役会の女性比率を30%にすることを大企業に義務づけました。ザル法にならないように、女性比率が30%に達するまでは、女性のためにポストを空けておくべしとされています。ドイツらしい、徹底したやり方です。この話をしてくれた女性たちがメルケル首相をどう評価していたか、いうまでもありません。

 

ほれぼれする即断ぶり、福島の事故を受けドイツ原発の廃止に着手!

 メルケル首相が2015年3月に訪日したとき、ある会合で話をする機会をえました。とても賢いな、と強く印象づけられました。その翌々日「朝日川柳」(朝日新聞2015年3月11日」付)の巻頭2首は、「春の夢 安倍とメルケル替えてみる」、「似た二国 差は原発と過去への目」と反応しました。

 「春の夢」の作者は、「長崎県 中里喜昭」とあり、これに驚きました。中里喜昭氏は、ぼくが若い時代に愛読した労働者作家で、三菱長崎造船で働いていました。ついでにいうと、かれは歌も作りますが、ぼくの好きなのは「手のひらの 骨透くるまで七輪の 火を熾しつつ 逢いたかりけり」です。 中里さんも、メルケルのファンだったんだと嬉しくなりました。

 「原発と過去への目」、なるほどなーです。ドイツは来年2022年末で原発の利用をすべてやめます。もともとメルケル政権は、前政権の決めた脱原発を先伸ばしする政策でした。これを再逆転したのは、「科学先進国日本で事故が起こった!」という科学者メルケルの危機感です。

 2011年3月11日は金曜日、首相は、土、日に精力的に根回し、翌週月曜日に古い原発(17基中の7基)の即時停止、原発の是非を検討する委員会の設置を発表します。学者、宗教者、政治家などからなる委員会は、4月からほぼ2か月で「ドイツのエネルギー転換-未来のための共同作業」と題する報告書を仕上げ、「未来社会のために」完全脱原発を提案、6月末に連邦議会は、この提案に基づく関連法案を全会一致で可決。メルケル首相の果断さには、ほれぼれしました。2021年3月11日、ドイツ政府は「フクシマから10年」を脱原発の歩みとしてあらためて振り返っています。

 

難民受け入れ――「人間」とはドイツ人だけのことではない

 「過去への目」は、「過去の克服」として、戦後ドイツ社会のもっとも深刻な主題です。ドイツの憲法第1条1項は「人間の尊厳は不可侵である。その尊重と擁護は、すべての国家権力の義務である」と規定し、これがナチスのユダヤ人虐殺とテロル独裁の過去に対するドイツ社会の原点になっています。

 メルケル首相は、シリアから大量の難民がヨーロッパ・ドイツに押し寄せる中で、この第1条1項にいう「人間」は決してドイツ人だけのことではないと毅然として述べました。難民を受け入れるという首相の判断は、その後、政治的障害にぶちあたり、ドイツ国民に少なからぬ不安を与えました。かの女は、一定の軌道修正を迫られます。しかし、メルケル首相が示したのは、世界の混乱のなかで目指すべき希望でした。

 芥川賞作家(1993年授賞)であり、日独2か国語で作品を発表する多和田葉子さんは、2006年からベルリンに住んでいます。新型コロナウイルス感染症とたたかうメルケル首相が、国民からふたたび信頼をとりもどしていったこと、「自由の制限」の深刻さを知るメルケル首相がそれでも「全人類の健康を願う」ために「理性に、静かに訴える」ことを多和田さんは、「ベルリン通信」(朝日新聞2020年4月14日付)で伝えています。その結びを引用します。

 「テレビを通して視聴者に語りかけるメルケル首相には、国民を駆り立てるカリスマ性のようなものはほとんど感じられない。世界の政治家にナルシストが増え続ける中、貴重な存在だと思う。新たに生じた重い課題を背負い、深い疲れを感じさせる顔で、残力を振り絞り、理性の最大公約数を静かに語りかけていた。」

 

今年のクリスマスを"祖父母との最後の時間"にしてはいけない

 首相官邸から人々に行動制限の必要性を訴えるメルケルのメッセージは、ぼくもオンラインで何度か聞きました。クリスマスに祖父母に会えなくなるつらさを思い申し訳ないと謝りながら、かの女は、「どうぞ、電話をかけてください。メールを送ってください。そして手紙を書いてください」と言うのです。信実がこもっています。いまでは、つれあいを相手にこの句をドイツ語で繰り返し、メルケルを「楽しむ」ことになりました。

◆2020年大みそか、国民に自粛を呼びかけるメルケル首相

 

 

 

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