てくてく歩いて13年!寿禄会 箱崎浜~志賀島25kmウォーキングの歩み
2021/12/31
はじまりは2009年9月のこと。寿禄会ゴルフコンペの昼食後、竹中駿介君から次のような提案があった。竹中君のお母さんが還暦の時に、箱崎浜の大鳥居を出発して志賀島の志賀海神社まで歩けるかどうかやってみたいと宣言され、家族も同意して実行、無事に達成された。
このことから、我々も同じコースで歩いて見ようと思うが、賛同者は、後日、連絡して欲しい、との事だった。
◆2009年10月10日 今は無き箱崎浜大鳥居前に集合 左から横山、竹中、藤野、馬渡
目的地は・・・
第1回目の日時は2009年10月10日 AM10:00、集合場所は箱崎浜大鳥居前と決められた。第2回目以降も、毎年10月10日AM10時、集合場所も1回目と同じ場所に決まっていた。出席者は、竹中、横山、藤野、馬渡の4名に決まった。
出発時間が決まっても、箱崎浜から志賀島まで25kmあって、5km毎の通過地点及び通過時刻を試算したり、帰りの市営渡船で志賀島から博多港まで行く船便の時間も私が調べて次表のスケジュール表を作成した。
センターからマリンワールドまでの距離は約4kmで、ほぼ直線道路で単調な両サイド防風林が続き、疲れ気味になる。やっと志賀島橋にたどり着き、記念写真を撮って志賀海神社に向かう。志賀海神社に参拝し、無事に到着出来た事のお礼をして、内航船の乗り場に向かい、博多港に到着した。
第2回目は、初回の成功に気を良くして、志賀島で1泊、翌日帰路も歩いて帰ろうと決まり、森田 孝君がたまたま11日にレクセンターで野球の試合があると言う事から、同じ志賀島の国民宿舎に泊まって、2回目の完歩祝いと明日も頑張ろうの宴会が盛大に催された。
翌日、朝から温泉に入って、朝食、送迎バスで渡船場まで送ってもらったが、皆、復路を歩く気力が無くて、AM9時の船で、博多港に向かった。
第3回目、4回目は特記事項なし。第5回目、神崎誠志君が初参加、但し、25kmは無理との事で、神崎君はJR香椎線、雁ノ巣駅で我々と合流、残り11kmを完歩した。志賀海神社にお参りして、博多港に戻って、博多駅都ホテル裏の飲食店大関で会食した。
◆博多駅・筑紫口「大関」で打ち上げ
第6回目、石田靖尚君初参加、常連の竹中君は風邪で欠席、最後の志賀島橋の所で、玄界灘から博多湾にサンドストームが吹き荒れて、砂が顔面にあたり、痛いくらいだった。
打ち上げは今年も大関で開催、竹中君と、中村孜君も出席した。
第7回目が開催される前に、誰かが、我々も今年は71歳になる。和白経由の25kmはきついので、アイランドシティ経由にしてはどうかと提案があり、全員賛成し、決定した。だいぶショートカットしたので距離は20.6kmとなった。
アイランドシティ経由を歩いたら、立派に舗装された幅広い歩道があり、歩きやすかったが、未だ広大な空き地が至る所にあり、将来、開発されるか心配された。海の中道大橋を通過する時は、2003年に起きた飲酒運転で追突、3名の子供を死亡させた現場で黙とうして通過した。
◆海の中道大橋―3人のおさなごの命が奪われた、哀しみが癒えることはない
第8,9,10回と特に変わった事としては、アイランドシティの変貌ぶりである。いつの間にか、タワーマンションが林立し、ベジフルスタジアム(中央卸売市場青果市場)が開業、福岡市総合体育館、大きなスーパーマーケット等々が完成して、東区の一大拠点になっている。我々の昼食場所もレクセンターからベジフルスタジアムに変わった。
第11回目はなんと、広島から村田(旧姓弘中)千鶴子さんが参加、博多駅に彼女が着いたころ我々は箱崎浜をスタートしていたので、彼女はタクシーで追いかけて、千早で合流し志賀島まで完歩した。博多港に着いて、ベイサイドプレイスの焼肉屋「海王」で打上げ会を開いて、村田さんも痛飲した。
◆第11回目は広島から村田(旧姓弘中)千鶴子さんが参加 左から石田、村田、横山、竹中
◆ベイサイドプレイス「海王」で打ち上げ
12回は、朝6時に竹中君から電話があった。その時は豪雨だったので初めて中止となった。
13回は今年であるが、予定通りに実施、都市高速がアイランドシティまで延びた。
今年の、行程表を下記に示す。
スケジュール通り歩いて、博多港、海王にて打ち上げをする。
最後に、1回から13回まとめを下記に示す。
- 以上 -