ドイツのお母さん
2016/09/18
廣渡 清吾
◆連載エッセイ Vol.2
韓流ドラマで責められる!?
前回は、48年間の生存空間としての大学から足を抜いた話を近況報告でいたしました。大学を離れても、研究者としての活動は、続けていますので、少しは整理しましたが、まだかなりの学会に所属しています。学会は、専門毎に組織されるので、おそらく2000以上の大小の学会が日本にあります。学会という組織は、ごく少数の例外を除いて、第二次世界大戦後、アメリカの影響のなかで生まれました。
わたしの属している学会の1つに「日本ドイツ学会」があります。1985年創設で会員数は250名程度ですから、新興の小規模学会です。この学会は、ドイツ語の地域、ドイツ語を話す人々を研究対象にする研究者の組織です。ですから、法律とか、経済とか、の社会科学のみならず、自然科学も、人文科学の人も含みます、といっても、実際の会員は、歴史、文学、哲学、のいわゆる文学部系の研究者が多いので、相対的に女性会員の比率が高いです。
わたしはこの学会の理事長を10年つとめました。学会という組織は、だいたいのところ、運営のために会員が選挙で理事を選び、理事会で理事長を選びます。わたしのころは、理事会のほぼ半数が女性でした。理事会が終わると、本郷の台湾料理屋で飲むのが習いでした。わたしが、「冬のソナタ」を知り、かつ、見るようになったのは、この飲み会でわたしの両となりにすわった女性理事から、「エッ! 冬ソナ、知らないの!!」と情熱を込めて、かつ、かなり押しつけがましく紹介されたからでした。
審美眼でまたまたブーイング!?
ドイツの歴史上、初めて女性の首相が誕生したのは、2005年秋のことです。彼女の名前は、アンゲラ・メルケル。日本の安倍首相と同じ年(1954年)に生まれています。ドイツは、世界で初めて女性参政権を認めた国です。みなさんご存じのワイマール憲法が男女平等の普通選挙権を規定しました。この憲法の施行が1919年でしたから、86年たってやっと女性首相が誕生したとドイツでもそれなりのセンセーションでした、当然、件の台湾料理屋でも、この話題で盛り上がりました。もちろん、話はちゃんと学問的な分析が中心だったと思いますが、その最中にわたしが「メルケルって、可愛いよね」と率直な感想を述べただけなのに、ブーイングが起こりました。「広渡さんの審美眼を疑う」という趣旨でした。
電光石火の〈脱原発〉決議
メルケル首相は、その後、連邦議会(4年任期です)の選挙に2度勝って、いま第3期目の政権を担当しています。彼女について、世界が一番印象づけられたのは、2011年3月11日の福島第1原発事故のあと、あっという間にドイツの脱原発を決めたことです。ドイツの連邦議会は、メルケルのイニシアチブの下、2011年6月に「全員一致」で、2022年までにすべての原発の稼働を停止する脱原発法を可決しました(一部の議員が2022年よりもっと早く稼働停止せよとして保留しましたが)。メルケルは化学を専攻した自然科学者ですが、「日本のように科学技術の先進国でも事故が起こった」ということが彼女を決断させたと言っています。
実物はタフで聡明な女性
メルケル政権は、多分そう言っていいと思いますが、安倍政権とちがって極めてバランスがよく安定した政権で支持率が高く、ついに彼女は「ドイツのお母さん」と人々に愛称されるようになりました。そのメルケル首相に直接会って話をする機会が訪れました。メルケル首相は、就任以来、中国には頻繁に出かけていますが、日本には7年ぶりに2015年3月にやってきました。このときもたった2日間のあわただしい滞在でしたが、そのなかで日本の科学者と懇談したいということで、大使館から8名が招待されて、1時間ほど意見を交換することができました。
懇談会は司会もなく彼女が自分で仕切って、話を進めていくというやり方でした。「タフで、聡明な人だ」というのが強い印象でした。わたしが「可愛いよね」と言ったときから、10年間首相を務めてきた人物ですから、当然ですね。
貫かれた人道主義
メルケル首相は、昨年、シリア難民がドイツに押し寄せた時に、「人間の尊厳を擁護」するという憲法規定(ドイツ憲法第1条)の前では、ドイツ人もそうでない人も変わりがないと断言しました。
とはいえ、現実はかなり厳しく、ドイツでも反難民の勢力が拡大していて、メルケル首相が、2017年秋の連邦議会選挙で勝てるかどうか、ファンとして心配しています。他方で、ドイツの民主主義にとって同じ人が4期16年も首相をやることはいかがなものか、という心配もあり、複雑な心境です。