クロアチア紀行

      2016/12/01

田中 功也

 イストラ半島の港町ポレッチ、ロヴィ二、プーラの魅力を知って数年が経過した昨年5月下旬、ようやくクロアチアと周辺4ヶ国を巡る機会が訪れた。
 1991、92年に旧ユ-ゴスラビアから独立したスロヴェニアとクロアチアはイタリアの東、アドリア海を挟むバルカン半島に位置する。豊かな自然と数多くの世界遺産に恵まれた国々である。人々は親切でにこやか、日本の半分の収入でも心豊かに暮らしている。

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%e3%82%b9%e3%83%ad%e3%83%99%e3%83%8b%e3%82%a2%e5%9b%bd%e6%97%971日目 スロヴェニア—―ブレッド島

 観光初日、スロヴェニアのブレッドでは、夜半、腹の底に響く落雷と激しい雨の手荒い歓迎を受けたが、朝には晴れ上がりかわいい小鳥のさえずりに目が覚める。アルプスの瞳ブレッド湖へ。周囲6㎞の小さな湖に浮かぶブレッド島に、%e3%82%b9%e3%83%ad%e3%83%99%e3%83%8b%e3%82%a2%e3%83%bb%e3%83%96%e3%83%ac%e3%83%83%e3%83%89%e6%b9%96%e3%80%80%e6%89%8b%e6%bc%95%e3%81%8e%e3%83%9c%e3%83%bc%e3%83%8820人乗りの手漕ぎのボートで渡る。
 100段の石段を登って聖マリア教会へ。新郎が花嫁をお姫様抱っこしてこの石段を登り切って初めて結婚が認められる。式が近づくと新郎は体力増強に、新婦はダイエットに励む。結婚した頃の私にはとてもそんな体力はなかった。

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 ユリアンアルプスの最高峰トリグラフ山(2864m)の頂には昨日降った雪が白く輝いている。オーストリアのチロルやスイスに似た湖畔の散策を楽しむ。

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 ヨーロッパ最大のポストイナ鍾乳洞では、そのスケールと10万年を要してできた鍾乳石に感嘆。

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%e3%82%af%e3%83%ad%e3%82%a2%e3%83%81%e3%82%a2%e5%9b%bd%e6%97%973日目 クロアチア――新緑のイストラ半島へ

 旅の3日目はいよいよ新緑のイストラ半島巡り。ポレッチからロヴィ二へ。聖エウフェミヤ教会の60mの鐘楼に上る。オレンジ色に統一された屋根瓦の家々とアドリア海の蒼い海のコントラストが美しい。しっとり落ち着いて鄙びた港町、思っていたとおりの素晴らしさで、夢がかなう。

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 プーラの円形闘技場は、ローマ帝国6番目の規模。2万5千人を収容する現役の劇場でもある。地下の剣闘士控室跡の博物館では小学生の一団が熱心に見学していた。

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%e3%82%af%e3%83%ad%e3%82%a2%e3%83%81%e3%82%a2%e5%9b%bd%e6%97%974日目 幸せの絶頂――クロアチアの花嫁に遭遇

 4日目、クルカ国立公園では、大小様々な池や渓流を巡る2㎞の木道ウォーキング。水量豊かな滝は中々の迫力。水あくまでも清く、魚もゆったり泳いでいる。土曜日のこの日、ドイツからキャンピングカーが大挙してやって来ている。ホテルの結婚式の花嫁さんが光り輝いて見えるのは、明るい日差しのせいばかりではないだろう。

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エニシダの黄色い花越しに見えるプリモシュテンは、小さな島全体が街になっている。古い石造りの家々が密集し、海に零れ落ちそうである。夕食後、ホテルの前の海岸を散策。アドリア海に手を浸す。ワインに火照った体に心地よい。

5日目の古都トロギールは、紀元前385年頃にギリシャの植民地として建設された沿岸都市。300mで通り過ぎてしまう小さな街だが、13世紀に建てられたロマネスク様式とゴシック様式の調和した聖ロブロ大聖堂が美しい。日曜ミサで中には入れず。
人口20万人、クロアチア第2の都市スプリットでは、ローマ時代の遺跡ディオクレティアヌス宮殿を巡る。宮殿は市街に溶け込んで街と一体となっている。折しも入港中の大型クルーズ船の団体客で溢れている。石壁のホールにアカペラで歌う男性6~7人のコーラスが響く。声量、ハーモニーともに素晴らしく、思わずCDを買ってしまった。晴れて日向は暑い。迷路のような路地、日陰を求めて歩く。

%e3%82%af%e3%83%ad%e3%82%a2%e3%83%81%e3%82%a2%e5%9b%bd%e6%97%976日目 アドリア海の絶景都市――ドブロブニク旧市街

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 6日目は旅のメイン、ドブロブニク旧市街へ。独立戦争の激しい砲火で破壊されたが、きれいに復旧している。強い雨と雷にロープウェイは運休し、スルジ山からの旧市街展望はキャンセルになった。滝のような雨に一時屋根の下に避難。カメラのレンズが濡れて思うように撮れない。幸い1周1時間の城壁ウォークの頃には小止みになる。かなり急な石段があり、息が切れる。天気がよいと混雑する城壁は人が少なく、オレンジ色の屋根々々の風景をゆっくり楽しむことができた。

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 7日目、ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルへ。ヨーロッパとは思えないオリエンタルな雰囲気に溢れている。ネレトヴァ川に架かる有名なアーチ型の石橋スタリー・%e3%83%9c%e3%82%b9%e3%83%8b%e3%82%a2%e3%83%bb%e3%83%98%e3%83%ab%e3%83%84%e3%82%a7%e3%82%b4%e3%83%93%e3%83%8a%e3%80%80%e3%83%a2%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%ab%e3%81%ae%e3%82%a2%e3%83%bc%e3%83%81%e6%a9%8bモストはオスマン時代に築かれた。河原から見上げる橋は圧巻。中学生くらいの少女や子どもが手を差し伸べ、お金をねだってどこまでもついてくる。外国人観光客が溢れ、スリが多数出没し油断できない。26℃と暑くなる。夏には40℃を超える日が続くという。トルコ風肉の串焼き料理チェバブチチに舌鼓を打つ。ちょっと塩辛いがポテトやナンと合わせるとちょうどよい。

 

%e3%82%af%e3%83%ad%e3%82%a2%e3%83%81%e3%82%a2%e5%9b%bd%e6%97%978日目 プリトヴィッツェ湖群国立公園

 8日目、プリトヴィッツェ湖群国立公園へ。大小16の湖と92ヶ所の滝をもつ世界遺産。夏のシーズンは通勤ラッシュ並みの混雑となるが、オフの今は貸し切り状態。上12湖をウォーキング。電気船で湖を静かに滑るように進む。頬に当たる風は冷たい。透き通った水、鱒が群れを成して泳いでいる。

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ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争は20万人の死者を出し、1995年まで続いた。自然に恵まれた美しい国々が悲惨な戦争に明け暮れていたとはとても信じられない。野外博物館に壊れた戦車や戦闘機が展示され、街の建物の壁には砲弾や銃弾の跡が残っている。%e3%83%a2%e3%83%b3%e3%83%86%e3%83%8d%e3%82%b0%e3%83%ad%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%88%e3%83%ab%e6%97%a7%e5%b8%82%e8%a1%97%e3%81%ae%e6%95%99%e4%bc%9a%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc世界遺産の橋のたもとに錆びた機関砲の弾帯がDon’t Forget の文字とともに置かれていて、平和な国から行くとかなりのショックを受ける。戦争を忘れないために残しているのだという。
2006年に独立したモンテネグロの海洋都市コトルにも寄った。紛争の名残か国境の検問では長い時間待たされ、早く通過できるように運転手が係官にビールなどを差し入れていた。いつものことらしい。ボスニアやモンテネグロには外務省が指定する危険地帯がまだまだ残っている。

★モンテネグロ・コトル旧市街の教会

近年、バルカン半島は欧州を目指す中東やアジアからの難民の通行ルートになっている。船で地中海を渡るより安全だからである。シリア難民の流れは止まり%e3%81%97%e3%82%8d%e3%83%af%e3%82%a4%e3%83%b3そうもない。
10日間駆け足で巡り、最後に泊まった安全なオーストリア・グラーツのレストランでは、ほっとひと息。緊張が解けたせいか白ワインが実に美味しく、思わず「ワンモア プリーズ」と叫んでいた。

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