エジプト紀行(前編)

      2017/03/27

 

60年来の憧憬の地へ

 5000年の歴史を誇る悠久のエジプト。小学校の教科書で見たスフィンクスとピラミッドに大いなる興趣を覚えて60年近く。
 しかし、1997年11月にイスラム過激派のテロ集団がハトシェプスト女王葬祭殿を襲い、邦人10名を含む観光客61人と警官2人合わせて63人が射殺される凄惨なルクソール事件が発生。その後も度々のテロ事件で延期、2013年2月になってようやくエジプトへの旅が実現した。

 近距離でも移動にはすべてバスを使い、必ず警官が1人添乗した。ハトシェプスト女王葬祭殿には自動小銃を携えた数人グループの兵士が何組か巡回し、警戒に当たっていた。テロ集団が侵入して来た周辺の岩山に立ち入ると、問答無用で射殺されると注意を受けた。
 2月を選んだのは、酷暑の時期を避けるのと、もうひとつはアブシンベル神殿光の奇跡(ラメセス・デイ)を見るためである。1年に2回、2月22日と10月22日、アブシンベル神殿の最深部にある4体の神像に光が届き、3体の神像を朝日が照らす。

 

世界最大の神殿建造物――カルナック神殿

 観光初日に訪れたルクソール東岸のエジプト最大規模の遺跡、カルナック神殿でそのスケールの大きさに度肝を抜かれる。アムン大神殿。134本の大列柱室、ラメセス2世の戦勝レリーフや数々の浮彫のレリーフ、スフィンクス参道、オベリスク……とエジプトの歴史の重み、奥深さをズシリと感じ、圧倒される。雨がなく2000年以上経った日干しレンガの建造物がそのまま残っている。

写真上:カルナック神殿・アムン大神殿/下:カルナック神殿・134本の大列柱室

 旅はこの日から5つ星のデラックス船でナイル川を遡る3泊4日のクルーズとなる。翌朝、ルクソール西岸のメムノンの巨像へ。新王国絶頂期のアメンホテプ3世の21mの石像。バスを降りるとすぐ土産物売りが群がってくる。
 電気自動車に乗り換え、王家の谷へ。ラメセス4世の墓の壁には、太陽神についてあの世への死の旅をする3千数百年前の案内図が色鮮やかに残っている。1992年に発見されたツタンカーメン王の墓には、ミイラと人型棺が展示されている。見学は4分で終了。入場料が100エジプトポン・ポンド(1400円)と高く人は少ない。この他ラメセス3世の墓も見学。王家の谷は一切撮影不可。 

 ハトシェプスト女王葬祭殿へ。テロの10名の邦人犠牲者には同じ業界で働いていた人もおり、複雑な気持ちでの見学となる。警戒に当たる制服、私服の兵士の多さは16年前のテロ事件の衝撃の大きさを物語っているようだ。パピルス店では5~900ポンドできれいな絵が買える。

写真:古代エジプト唯一の女性ファラオ・ハトシェプスト女王が造営した葬祭殿

 

ナイル川クルーズ、土産物売りとの攻防

 クルーズは快適。ナイル川の水は思いの外きれいだが、時折ヤギなどの死骸が流れて来て悲鳴が上がる。物売りの小舟が巧みに群がり寄って来て、衣類などの土産物を船に投げ上げる。不要であれば投げ返す。不思議と川に落ちることはない。

写真左:ナイル川を航行する5つ星のクルーズ船/右:群がってくる物売りの小舟

 船内では、アラビア文字の講座やカクテルパーティー、ベリーダンスショーなどが開かれ、アフタヌーンティーが供されて退屈しない。疲れたら客室に戻って昼寝してもよい。デッキに出てナイル川の風景を楽しむのもよい。気ままに過ごせる。この時期、朝は9℃くらいで上着がいるが、日中も25~6℃と涼しい。真夏は40℃は当たり前、60℃にもなる日があり、とても観光どころではないという。
 エスナの水門を夜半に通過。7~8mの水位差を水門を締め切り30分かけて上昇する。狭い水門で多くの船が順番待ちしている。

写真上:デッキから眺めるナイル川/下:ナイル河畔の風景

 

圧倒されるホルス神殿・36mの塔門

 3日目、エドフの街は朝の活気に溢れている。屋台では焼きたてのパンが売られ、登校する小学生の一団が賑やかに通り過ぎ、馬車と自動車が混然一体となって走る。2人乗りの馬車がホルス神殿へ向かう。どこに連れていかれるか分からない怖さがある。
 高さ36mのギリシャ時代の塔門、神殿が素晴らしい。エジプトの遺跡はどこに行っても目を瞠る。船に無事に戻ったが、御者からチップが少ないと凄まれる。
 船ではヒエログラフ文字で名前を入れる特注のTシャツの発注会が開かれる。旅の終わりにカイロで受け取れる。
 エジプトは生水、氷、水分を含んだ生野菜やカットフルーツと脂分の多い食事の食べ合わせが原因で下痢気味になることが多い。気を付けてはいたが私も3日目にして被害に。

写真上:エドフのホルス神殿塔門/下:壁に描かれたレリーフ

 夕方、ナイル川に突き出た丘の上に建つコムオンボ神殿へ。隼とワニを祭る二重神殿。プトレマイオス朝時代に建てられ、ローマ皇帝アウグストゥスの時代に完成した。アラビア語でオリンポスの丘を意味する。赤ん坊の出産風景や医療・手術器具、シーザーとクレオパトラのカルトゥーシュ、ギリシャ女性などのレリーフ類とライトアップされた神殿が素晴らしい。

写真上:ライトアップされたコムオンボ神殿/下左:コムオンボ神殿の落日/下右:レリーフ

 

 

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