大和路に紫陽花の寺を訪ねる

      2017/09/01

豊臣秀長公百万石の城下町

 空梅雨が続く6月半ばの1日、大和路にアジサイの名所矢田寺を訪ねた。この日も奈良はよく晴れて真夏日一歩手前。日陰、木陰を縫って歩くハイキングとなった。
 午前中、奈良県の北部に位置する大和郡山市の城下町をボランティアガイドの案内で散策。大和郡山市は豊臣秀長100万石の城下町として栄え、今も箱本十三町として塩町、本町、茶町、雑穀(ざこく)町、奈良町、今井町など古い街並みが残る。元造り酒屋、元両替商、元旅館、元呉服屋、紺屋、火の見櫓、木造三階建ての旧遊郭など歴史ある建物が点在し、趣ある風情を漂わせている。十三町の南部には日本三大稲荷の一つ源九郎稲荷神社がある。

◆写真上左/紺屋 上右/三階建ての旧遊郭 下左/和菓子の老舗 下右/元旅館

 筒井順慶が1580年に築城し、その死後、1585年に秀長が入城した郡山城は、大和で最も大規模な城郭として知られる。幾重にも堀と頑健な石垣が囲み、天守台や野面積みの長大な石垣が往時を偲ばせる。いくつかの櫓や追手門が復元され城としての姿が戻りつつある。城の一角には我らの母校と同じく今年創立100周年を迎えた県立郡山高校がある。

◆復元された櫓

◆復元された追手門

 市内には数多くの池があり、ため池や金魚の養殖池として用いられてきた。金魚の養殖は、江戸時代武士の副業として始められ、山形県の庄内市と市場を二分するシェアを誇る。後継者不足や市場の低迷から養殖池は年々減っているが、近年、「全国金魚すくい選手権大会」など市場の活性化に向けた様々な試みが行われている。

移ろう色――1万株の紫陽花に酔いしれて

 午後、関西で一二の人気を誇るアジサイの寺、矢田寺へ。矢田のお地蔵さんで親しまれている矢田寺は、城下町郡山より西へ3.5キロ、矢田丘陵の中心矢田山の中腹にあり、日本最古の延命地蔵菩薩を安置している。

 約1300年前大海人皇子(後の天武天皇)の勅命により、智通僧正が開基した。お地蔵さんは子供を守る神様だと思われているが、もともとは仏教よりずっと古い時代に信仰されたインドの「大地の神様」が起源で、「地上の生命あるもののすべてを養ってくださるもの」という意味を持っている。

 アジサイは昭和40年頃から植え始められ、その丸い花は、お地蔵さんが手に持っている宝珠の形でもある。アジサイは、日本の暖地に自生するガクアジサイを母親として生まれた日本特有の花木である。学名の「オタクサ」はシーボルトが帰国後、日本滞在中の妻「おたきさん」を偲んでつけたもの。

 25000㎡の境内に60種10000株のアジサイが見ごろをむかえ、たくさんの人が訪れていた。駐車場から寺まで日陰のない長い坂道と石段が果てしなく続き、本堂にたどり着く頃には、息が切れ、足は棒のよう。胸の動悸が鎮まり、我に返るとそこは別世界。そこここに色とりどりの鮮やかなアジサイが咲き乱れている。撮影に夢中になっているうちにいつしか仲間とはぐれてしまった。。

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