フィリピン ボランティア滞在記 4

      2017/05/31

◆ダグーパン転居も近づいた早朝のスワル宿舎ベランダで

 フィリピンでの滞在期間は、スワルが約2ケ月、ダグーパンが約3ケ月余、そしてスワルの北西アラミノスが約3ケ月でした。ダグーパンには7月29日に転居しました。雨季で曇り模様の日もあり、時々強く雨が降りますが湿気はあまり感じません。陽射しは常に強く日本の暑い夏日のようでした。

お洒落なアパートに引越し

 ダグーパンとアラミノスのアパートにはエアコンがついていました。寝苦しい時などに時々使いましたが、殆どは扇風機でしのぎました。エアコンは室外機がない一体型で壁に直接取り付けています。30歳代の半ばに沖縄勤務をした時、米軍から引き継いだコンクリート建ての官舎で同じタイプの物を使いました。歳をとり寒暖に鈍くなったのか?沖縄での方がエアコンを使う頻度も時間も多かったように思います。

◆転居したダグーバンのきれいなメゾネット式アパート

 引っ越し当日は風邪をひき、熱と頭痛できつい1日でした。渡航時に持参した風邪薬と頭痛薬を飲んで翌日には回復しましたが、その夜には腹痛が起き、妻も1日遅れで腹痛になりましたので、疲れて「水当たり」になったと思います。これは「正露丸」で直ぐに直りました。滞在間に二人とも痩せましたが、体調を壊したのはこの時だけです。幸運だったと思います。

スリムなパンツに憧れる女心

 ダグーパンに移ってからは、現地代表の助言に従い、活動を月曜・水曜・金曜の3日とし、朝から夕方までとしました。進行中のブラウス作りは日々進み、この頃には3着目を作る人も多くなりました。そこで妻は生徒さん達の希望を聞き、次はパンツ(ズボン)を作ることにしました。

◆パンツ(ズボン)作りの採寸です。

◆パンツ作りの型紙づくり(製図)です。

◆同左

 ブラウスと同じで、採寸、型紙作り(製図)、裁断、縫製の手順です。妻は「フィリピン女性の皆さんはスタイルも良いし、ピッタリしたのが好きなのよ」と言っていましたが、私は横から眺めていて「ピッタリに作るにはスキルのレベルも必要では?」と感じていました。
 皆さんの「ピッタリ」志向はほどほどに受け容れて進めた、というのが妻の本音のようでした。パンツ製作もブラウス作りと同じく初めてです。生徒の皆さんはとても嬉しそうで毎日熱心でした。

◆妻がパンツの縫い方を指導しています。

◆パンツ完成、大喜びのミッシェルさん

妻に負けないよう、私も頑張ります!

 私の方の組合活動指導ですが、現地代表が市から入手されたSual Sowers AssociationのBY-LAWS(組合規約)を教育することになりました。組合発足時に作成されていたものですが、組合員である生徒さん達には周知されていなかったようでした。

 私自身は現地代表の助手のレルマさんが翻訳して下さった英語のもので勉強し、生徒さん達にはルソン島北部で使用されるイロカノ語で書かれた原本のコピーを準備しました。しっかりした内容の規約でした。教育は通訳のマリーさんと一緒に何とか出来ました。と言うのが、マニラ出身のマリーさんもタガログ語とは違うイロカノ語は、あまり良くは分からなかったからです。

◆組合規約(定款)の教育です。左奥に竹田がおります。

乗るも降りるも、自由過ぎる(^^)フィリピンのバス

 ダグーパンはスワルから東に約30kmでバスでは1時間半前後ですが、通訳のマリーさんのお世話で、朝はバンの乗り合いタクシーで通うことにしました。約束の時間・場所で乗ります。約束の人が逐次に乗り込み10名ほどでした。窮屈でしたが、毎朝確認メールも入れてもらえ、値段もバスより2ペソだけ高い40ペソ(80円)でした。同様のタクシーに町中の営業所からも乗ったことがありました。日本の白タクではなく正式に営業が認められたものと思いました。

 この地方の乗り合いバスは3種あり値段が違います。いずれにも冷房車はありません。バスも他の車も殆どは日本の中古車です。中には日本の会社名などもそのままで走っています。

 バスの値段区分を定義すれば、「ドア・窓も全部開閉でき椅子も概ね破れていない」のが上、「乗降ドアも閉まらないのがあり、椅子・天井などは相当に破れ壊れている」のが中と下、と言えるでしょう。信号も無い地方道を、黒煙を吐いて追い抜きながら飛ばします。風が入り涼しいのは良いのですが危ないと思いました。

◆乗り合いバス(中クラス)の座席の傷み一例

 

◆夕方、ダグーパンへ帰るバスを待つ妻和子、縫製通訳のマリーさん、溶接通訳のジェシーさん(マリーさんの夫)  ※こんな感じの屋根付きの建物が方々にありますが、バス会社が作ったバス停ではありません。

 でも徐々に慣れてきて、妻は「子供達に乗せてやれたら喜ぶだろうな」と何度も言いました。今でも「楽しかったね」と話します。乗り降りは便利です。バス停はなく、道端でバスに向かって手を挙げれば停まり、降りる時は「パラ、パラ」と声を出し天井やドアを叩けば停まります。小さな声でも周囲の者が知らせるので大丈夫です。

物価は日本の約5分の1

 ダグーパンでは自活生活になりました。買い物などでよく町を歩き回り楽しみました。市場でアジやイカなどなじみの魚や肉それと野菜などを買い、お酒やインスタントコーヒーなどは主にショッピングモール(スーパー)で買いました。
 キャベツや大根などは一般に貧弱です。葉物野菜は殆どなく、生食を避け買いませんでした。里芋は大きいですが少し硬く、生姜などもありました。アンパラヤ(苦瓜)は大きいのがあり、よく食べました。バギオなど高地で涼しい地方が野菜類の主な産地のようでした。あちらの人達は脂身の肉が好きなようで、私達が脂のない部分を切り分けてもらうように頼むと怪訝な顔をして「どうして?」と言うのです。
 アパートの家賃は7,500ペソ(15,000円)で、ビールは有名な「サンミゲル」の小瓶24本ケースが480ペソ(960円)でした。通訳のマリーさんのご主人ジェシーさんは、スワルでのもう一つのボランティア活動である溶接の通訳でしたが、その妹さんの食堂がすぐ近くでしたので何回か食べに行きました。二人で大体60ペソ(120円)でした。その店には高校生が多く来るのでコピー機を置いてありましたが、コピー代は1枚1ペソ(2円)でした。少し良いレストランでの食事は、二人で300ペソ(600円)くらいでした。

◆少し上等のレストランでの食事です。ご飯もあります。デザートにアイスクリームとコーヒーが付き、二人で365ペソ(730円)でした。小さい緑のきんかん大のものは「カラマンシー」といい、すだちと同じようなもので、多用されています。

◆ある日のわが家の夕食です。ダグーパンのアパートです。鰹節がかかった緑色のものはオクラです。その右は竹の子のスライスです。右の方に置いてあるのは、パパイアと米で作ったお菓子で日本にもあります。安く美味しいのでよく食べましたが、現地代表にあまり食べない方が良いよ、と言われました。

 大雑把に言って、物価は日本の1/5ほどです。しかし労賃に係るものの差は非常に大きいです。例えば、散髪料金は60ペソ(120円)でした。ごく普通の大衆店です。洗髪はなしですが、丁寧にタオルで拭いてきれいにしてくれました。店や用具も不潔ではありません。洗髪もする高級店?も見かけましたが、おそらく倍額は取っていないと思います。

初めての盗難被害 ( ゚д゚)ポカーン

 初めてのアクシデントです。渡航後3週間余の週末に初めて自分達だけで外出しアラミノスに行きましたが、ショッピングモールのエスカレーターで上がる時、妻が布製ショルダーバッグを後から切り裂かれて財布とデジカメを盗まれました。
 気付かないまま店内を回り、買い物をしてレジで財布を出そうとしたらありません。デジカメもありません。それでもバッグを切られたことには気が付かず、どこかに置き忘れたのかと思い、その前に寄ったレストランに行き、捜して尋ねました。肩掛けのショルダーバッグですから、手を入れて盗られたとは思えなかったのです。財布は小額しか入れてなかったのですが、電話で現地代表の指導を受けて、アラミノス警察署に行って申し出ました。

 担当の警察官は話を聞きながら妻のバックを見て、切り裂かれた部分を示し「これですよ」と言いました。私達は驚愕しました。警察官には「プロの仕事で、戻っては来ない」と言われ、私達と警察官のやりとりを見ていた傍の留置場に入れられている男達にも慰められました。警察官の応対はきちんとしており、翌日被害証明書の交付を受けました。


 エスカレーターに乗る前にプリントのため写真屋に寄ったので、その時から狙われていたのだと思います。エスカレーターで私が妻の後に立つべきだったのです。安全と衛生については渡航前から何度も注意を受けていましたので、関係者にご心配をかけて申し訳なく思いました。身が安全だったことを何よりと思いました。

◆切り裂かれた妻のショルダーバッグ(布製)です。鋭い刃物で切られていました。盗まれたとは思いもよらず、財布とデジカメはどこかに忘れたか落としたかと思ったのです。バッグは妻が残していました。

 生徒さん達をはじめ皆さんが同情し慰めてくれましたが、私は滞在させてもらっている他国人として、 
  罪つくりをしてしまいすまないという気持でした。

 

 

 

 

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