MY CHRONICLE 私とリクルートと江副さん

      2018/03/03

 

 私のリクルートでの最初の配属は営業、福岡営業所で二か月、東京営業部で三年半、会社の人事部を訪問『企業への招待』、学生求人募集広告集への掲載依頼営業でした。
営業部での担当会社は三井物産はじめ大手総合商社10社、大手都市銀行、日本製鋼所等大手非鉄金属でした。会社は丸の内ビル街にありました。

 田舎から出てきた私は、ビル街を迷いながら歩き回りました。当時の大手会社の人事部の求人活動は、リクルートブック等を使い始めた時期、人事部に行くと掲載どうのこうの話より、他の会社はどのような動き、学生はどう、大学学生課はどうと言ったことの会話が多かった。私達リクルート営業マンの役割は、人事部担当者の話し合い手であり、人事部の人材採用相談相手でした。

 お昼時期に行くと、食事をご馳走になる機会が多かった。営業マンの中には、話し相手だけでなく、担当会社の採用を直接手伝う人がいました。担当会社に自分用のデスクを置いてもらい、採用計画を作り、試験から面接に至るまで世話をしていました。

◆現在の丸の内オフィス街

 そんな営業マン時代、事件が私に起きました、課長と喧嘩したのです。営業マンの担当するスポンサー移動、交換時の時です。課長は私に実績のある大手化学薬品メーカーを渡しました。一度他課に出したスポンサー、戻ってきたスポンサーです。訪問すると、リクルートブックに掲載は申し込まないと言ったはずと、言われてしまいました。課長は経緯を知っていながら私に実績のある会社を担当させたのです。

 私は怒り心頭、大喧嘩しました。翌日、私は胃が痛く、気分も悪く落ち込んでしまいました、課長はケロッとした顔でいました。この時思ったのです、イライラして体調崩した私とケロッとしている課長、喧嘩して損した私、この時以来、下手な喧嘩、怒りはやめるようにしました。ストレスは体に悪いと、判断したのです。この経験が、私の今ある健康の原点となりました。

 私は予備校に通っている夏、急性肝炎になりましたが薬で治しました。学生時代は無事に過ごしましたが、東京転勤一年で肝炎再発、帰郷して一か月入院、一か月休養二か月間会社を休みました。営業は休みの時期、影響は少なかったようです。
肝炎とは現役引退するまで、長いお付き合いをしました、一病息災とは良く言ったもの、自分の体を知るようになり、今では健康診断・血液検査ではすべてが正常値範囲にあります。

 

 

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