ホーム > コラムの広場 > 議員秘書時代の思い出 2016/10/21 2017/08/16 中野 健司 ボクが「福高野球部監督」をあきらめたワケ 私は32才から43才までの11年間、地元のY国会議員の秘書として勤めた。そもそもこの道に入ったきっかけは、コーチ、監督として福高野球部の指導を夢見ていた頃で、暇を見つけては練習に顔を出していた時、当時の野球部長の紹介で、議員事務所勤務であれば、選挙は数年間ないだろうから、部活の時間ぐらいは都合がつくのではないかと、Y議員の事務所を紹介された。しかし、目論見は見事に外れ、365日休みなく活動のし通しで、当初の夢ははかなく遠のいた。 「金帰火来」の代議士の影武者として 一般に縁のない、議員事務所ではどんなことをしているかというと、次に挙げる三つが主なものだった。一つ目は各種会合に代議士の代理として出席すること。代議士本人は「金帰火来」金曜日の夜に地元に戻り、火曜日の朝、上京するといったスケジュール。秘書は留守の間、本人の代理として勤める。 二つ目は地域からの陳情処理。県、市の行政に対する陳情や個人的な依頼、例えば就職斡施や役所への橋渡し等の処理。三つ目は次期衆議院解散に備えての後援会活動。衆議院は常在戦場の覚悟で対応せねばならず、地域後援会組織作り、後援会主催のソフトボール大会、ママさんバレーボール大会の企画運営等々であった。 即刻参上! 冠婚葬祭三点セット 各種会合出席の時はのし袋にご祝儀を包んで出席するのが常であり、葬儀の日程と重なることもあり、車のダッシュボードの中には祝儀袋、香典袋、黒ネクタイを常に携帯した。 また、夜は後援会員宅の酒宴に呼ばれたりもし、今どきのカラオケもない頃、トップバッターで一曲のご指名を受けたりもするので、スーツの内ポケットに歌詞カード(自分の得意?の歌)を準備したこともあった。 超過酷! 120軒の“初盆参り 真夏の暑い日中の初盆参りは、厳しい仕事だった。選挙区内の後援者のお宅だけで毎年100~120件の初盆があり、8月10日頃から動いた。まさに、真夏の決闘の様相だった。 幸い勤務11年間で多くの方々とお付き合いが出来、退職後も親しく交流を持て、地域の実情を把握できたことは、現在に至っても貴重なレガシィとなっている。 - コラムの広場