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王子製紙回顧録/米子工場編2

      2018/01/08

 

 1990年(平成2年)までの紙パ業界は、堅調な内需に支えられ、何とか景気拡大を維持してきたが、「バブルの崩壊」により景気の後退色が強まり、需要が減退局面に入り、1991年度王子決算では、対前期比若干の減収、大幅な減益となった。

 

20%のコストカット

 このような状況の中で、山林部の本社組織である林材本部では「林材物流合理化推進会議」を発足させ、今後5年間で現在コストの20%削減する目標を設定した。工場山林部では、輸入チップの船内荷役作業、輸入チップの境港から工場までの輸送費、工場土場でのチップハンドリングコスト(工場土場受払費)が削減対象となる。

 削減目標は当初かなり厳しいと思われたが、当時は国内チップの調達価格に対して輸入チップが円高局面の中、林材本部がチップの供給ソースを多角化していた効果もあり、アメリカ南部、ニュージーランド、オーストラリア、中国、タイ、南アフリカ、チリからのチップが国内チップより安く輸入され始めた。この事から輸入チップは年毎に増大して、境港から米子工場までの輸送原価の固定費と比例費を分析し、数量の増加に影響の少ない固定費に着目して、下請業者との交渉により目標以上のコストダウンで単価契約を更新することができた。

 

削減目標を達成

 船内荷役作業費も特に最後の船内の梁等に溜まったチップの掻き出し作業に多くの時間と人件費を要していたが、船会社の設計部門にビーム(梁)やフレーム(肋骨)が表面に出ない船体構造に改善して頂き、船内ブルドーザーに加えて、小回りの利く油圧式の車両等の投入によりかなりの作業時間、作業員の短縮が図られた。

 工場土場受払費についても、チップサイロの容量から、サイロに直接搬送できないチップを野積チップヤードにおろして、サイロが空いた時にブルドーザーで押し上げて、コンベヤーからサイロへ投入するという二度手間作業をかなりやっていたのを、ジャストインタイム方式でチップ車の入荷時間を前もって分かるような時間帯別入荷予定表により、直接サイロ投入を増やしてブルドーザーの稼働を極力減らしてコストダウンに結びつけた。これらの結果、削減目標は1年前倒しで達成できた。

 

辛かった国内チップ工場選別の仕事

 工場の紙生産量が伸びない状況の中で、輸入チップの使用を増やして、割高な国内チップを削減してきたが、このままでは、近い将来、国内チップ工場が軒並み潰れてしまう危険性があった。そこで、国内チップ工場を選別する必要性が生じた。選別の基準は、その工場の経営状態、背後資源の状況、後継者の有無と将来性、米子工場との距離等を客観的に数値化して、残す工場と廃業する工場を決めた。

 

残るも地獄 去るも地獄

 廃業する工場については、廃業補償金として、廃業時点のチップ工場の建物、設備の減価償却残存価格プラス雇用従業員の3か月分の給与相当を支給することにした。本社から廃業補償金は、1年間国内チップを輸入チップに置き換えた場合の単価差*置き換え量の金額以内であれば支払っても良いと言われていた。早速、工場長の承認をとって、辛い仕事であったが各チップ工場と交渉に入った。経営者達は、「残るも地獄、去るも地獄」と言っていた。皆、ある程度覚悟を決めていた事と、廃業補償金を出すことで反対はなかった。

 逆にあるチップ工場の経営者は、「王子さんに20年間お世話になりました。ありがとうございます。廃業資金の支給までして頂き、感激しています。今日は宿を城崎温泉に取りましたので、お別れ会をやりましょう。」とお礼の言葉をもらった工場もあった。

 

インドネシア合弁プロジェクト

 このように厳しいコストダウンに対応している時、1993年(平成5年)にインドネシア出張を命じられた。出張の目的は、①日本の製紙会社がインドネシアのチップを輸入するために作った会社(MDI)とインドネシアの民間チップ経営者(KKC)の合弁会社であるP.T.CHIPDECOの定時株主総会出席、②現地チップ工場、山林現場視察、及び現地スタッフとのミーティングである。出張メンバーはMDIの3人と王子製紙、神崎製紙、日本製紙各1名、船会社1名の計7名、日程は5月24日~6月1日9日間だった。

 インドネシアは赤道をはさんで13,000以上の島からなる群島国家でスマトラ、カリマンタン、スラウェシ、イリアンジャヤ、ジャワ島を主要5島とした6,000島に世界第5位の人口1億8千万人(当時)が居住している。島国だけにその往来は飛行機が多い。

 24日ジャカルタに着いて、翌日CHIPDECOを表敬訪問、ホテルでの株主総会に臨んだ。

 議事は、取締役会報告、収支決算、配当金の承認、新役員の選任と型通りに進行したが、その他の項目で、インドネシア政府は2000年以降天然林の伐採を禁止する意向のようで、コンセッション(天然林の伐採権利)をもっているKKC側も悩んでいた。

 

マングローブチップの難点

 27日ジャカルタからチップ工場のあるタラカン島の空港に到着、ロングボート(船)でチップ工場のあるジュアタに着いた。翌日山林の伐採現場見学、チップ工場には79名の従業員がおり、山林、操業、保全、事務、経理部門のトップに製紙会社から出向した日本人が勤務していた。

 私の出張報告の中には、マングローブチップはパルプ品質も悪く、出資比率KKC51%、MDI49%であるのに、出資比率に応じた発言権がなく、KKCが最終的な決裁権を把握しており、出資比率等再考の余地ありとしている。結局その後2000年以前に合弁を解消した。

 

バティックを着て夕食会へ

 29日にバリ島デンパサール着、公式行事が終わって、観光に移った。夜には有名なケチャダンスを見て、KKC主催の夕食会が開催された。会食ではインドネシアの公式な衣装であるバティックを着て出席した。

 食事は、中華風で焼きそば、チャーハン等あり、シーフードも日本人の味覚に近く、美味しかった。30日は海岸から2時間近く上った涼しいゴルフ場でプレイする予定だったが、あいにく霧のためクローズしており、山をおりて暑いシーサイドでのプレイとなった。
 翌日、夜バリ島のデンパサール空港から成田に飛び、6月1日朝、帰国した。

 

米子工場に伝わるジンクス

 米子工場に勤務した人には、「伯耆大山に登り、隠岐の島に渡らなければ転勤できない」と言う言い伝えがあり、大山には早めに登って、隠岐の島には1993年夏に行く機会があったので、1994年(平成6年)7月、苫小牧工場山林部副部長の辞令が出た。

 

 

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