北海道の想い出(北見編)

      2016/06/20

馬渡 和夫

◆連載エッセイ Vol.

はっか

道東の要衝・北見に転勤

 昭和48年3月、「山林部北見山林事務所」転勤の辞令を受け取った。辞令が出たら1週間以内に赴任する決まりがあり、未だ雪が残る名寄を出発、北見に到着した。

北見は大正時代の頃までは薄荷(ハッカ)で世界シェアの70%を生産した所だが、化学的な合成が出来るようになって廃れ、当時は玉ネギ、ジャガイモ、ビート(砂糖大根)等の畑作が盛んな場所で、道東の網走、知床等観光地の交通の要衝でもあった。

北見事務所も担当区域が4地区に分かれており、私は斜里、網走地区の担当となった。北見事務所は、苫小牧、江別工場から最も離れた場所にあり、中でも斜里、網走地区が王子製紙の原料集荷圏の1番遠い地区であった。よって原料の需給が緩んで抑制状況となると直ぐに、苫小牧の山林部から原料の集荷を抑えるようにとの指示がくる。一方工場の生産が順調だと増調達を要請される。言ってみれば原料調達の調整弁的な事務所である。パルプ材

この理由はチップやパルプ材の価格決定に起因する。一物一価の法則に準拠するのは発送地の価格までで、そこから製紙工場までの運賃が距離別に算定プラスされたものが工場着価格となる。よって全く同じチップトラック1台分でも遠距離のチップの方が、購入価格は高くなる。この事が調整弁に使われる宿命となっている。

7社がくり広げる原料争奪戦

 しかし、48年当時は対前期20%の増調達の指示が出されて、張り切って担当地区を走り回っていたが、チップ、パルプ材の価格が月を追うごとにじりじりと上がっていった。針葉樹のパルプ材価格は、7,200円/㎥が8,500円/㎥、更に10,000円/㎥、最後は14,400円/㎥と半年余りで倍の価格となり、まさに狂乱物価となった。

北見管内の限られた地域で、紙パ会社が7社(王子、十条、本州、大昭和、山陽国策、天塩川製紙、北見パルプ)の原料争奪戦が行われた結果である。世に言う「第1次オイルショック」まさにその時であった。

「ホテル地の涯」で疲れを癒す

北見-1

 網走、知床の観光地の話をしよう。知床半島は、現在世界自然遺産に登録され素晴らしい景観が保存されているが、当時は未だウトロの近くの国有林の択伐作業現場があり、伐採監督に行ったことがある。終わって泊まった所が岩尾別温泉「ホテル地の涯」で、その伐採現場の作業を請負う木材屋さんの経営するホテルだった。

知床半島の中間に位置する山奥の原始林に囲まれたホテルで、温泉が素晴らしく、秋の紅葉は絶景であった。冬季は積雪のため閉館し春先からの営業となる。

岩尾別温泉の近くに知床連山の景色を一望出来る知床五湖がある。当時はなかったがその後、五湖を巡る高架木道が出来て歩きやすくなった。運が良ければ木道からヒグマの姿を見ることが出来る。

しれとこ五胡

ウトロから羅臼に抜ける途中の知床峠から望む羅臼岳も雄大で圧倒される眺めである。

らうす岳

知床連山から少し離れた所に、日本100名山に選定されている斜里岳がある。オホーツク富士とも呼ばれ山容が素晴らしい。まるで一服の絵を見るような斜里岳 清里方面から

北見-2

清里町の国有林から眺めた裏摩周の景色はやはり神秘的な美しさがある。摩周湖は阿寒方面から眺めるのが一般的であるが、その対角線の清里側からの眺めも捨てがたい。

北見-3

泣いてボクを呼びとめる流氷

 冬の観光と言えばオホーツク海の流氷である。2月頃から3月までりゅうひょうオホーツクの海は見渡す限り流氷に覆われた雪原となる。ある日、仕事の帰りに斜里町から網走に向かって車で走っていて少し疲れたので、車を止めて、流氷の傍で休んでいたら、「キュー、キュー」とかすかな音がしていた。流氷が泣いているのである。わずかな風で流氷同士が軋みあって泣いているような音に聞こえたのである。その場所は夏場、観光客の多い小清水原生花園の近くだった事を記憶している。

社内一キレイな除雪をほめられる!

 最後に北見の社宅についての話であるが、市内に4カ所社宅敷地があり、敷地が一番広い常盤町社宅に入った。3,500坪以上の敷地に2軒長屋が8箇所点在して除雪作業おり、夏場は野菜やトウモロコシを植えて秋に収穫して楽しんだが、真冬は年に2~3回豪雪に見舞われることがある。その時は1時間以上早起きして車が通れる道を確保して、事務所に出勤し、更に事務所の裏の駐車場の除雪をしてやっと仕事に就くことになる。お陰さまで、北見を転出する頃には、所長から九州育ちの君の除雪が一番早くて綺麗だとお褒めの言葉を頂いた。

 

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