京都の除夜の鐘
2018/02/04
岡山の我が家では除夜の鐘が聞こえない。若い頃は忙しさもありテレビから流れてくる各地の鐘でそれなりに満足していた。しかし、年を取って大晦日もあと何回かと思うようになると、やや物足りなさが募る。どうせならということで、定年を迎えて気持ちにゆとりができた頃から年末年始は京都で過ごすことにした。
はじめは毎年違うお寺の鐘を聞きながら新年を迎えようと考えていた。しかし狙ったお寺に着いても108番までに入れなかったり、同じ寺の鐘を繰り返し聞いたり、時には他の都市のお寺(東京・浅草寺)に浮気したりということで、その後の大晦日に実際に訪れた京都のお寺は4カ所に過ぎない。智積院、建仁寺、知恩院、誓願寺である。
最初は東山七条の智積院だった。全国に3000余りの寺院教会を擁する真言宗智山派の総本山であり、長谷川等伯一門による国宝、「桜図」「楓図」をはじめとする桃山時代の障壁画でも知られている。
智積院は参観者に除夜の鐘を撞かせてくれる。我々も、除夜の鐘を聞くだけでなく撞いてみたいと思っていたのでそのつもりで訪れた。先着順に列を作る。予想はしていたがこの年の京都の大晦日の夜は寒く、雪も舞って途中で宿へ舞い戻りたくなったほどである。多分檀家であろうと思われる人たちが配ってくださった暖かいふろふき大根(だったと思う)がありがたかった。
その翌年と翌々年は、臨済宗建仁寺派の大本山で京都五山の禅寺として名高い建仁寺の鐘を撞いた。建仁寺では整理券を配布してくれる。それを受け取ってしばらく周辺を散策し、時間を見計らって鐘を撞きに戻るのである。
建仁寺までの花街初しぐれ
寿禄会のメンバーであった故国嵜正次郎君の句である。彼の遺句集、「風の間を行く人に」に収められている。花街・・・たしかに花見小路にぴったりの表現である。
浄土宗の総本山、知恩院の鐘は日本三大梵鐘の一つといわれる特大の鐘で、一般人ではなく17人のお坊さんが息を合わせて撞く。撞き方はダイナミック、鐘の音は荘厳と聞いた。そこでこの年は、自分で鐘を撞きたいという欲求の方は封印して知恩院を訪れた。
毎年3万人以上の人が訪れると聞いたが、たしかに相当な人出であった。当然のことながら、並んでから鐘楼にたどりついて鐘撞きの様子を見物するまでには、かなりの時間がかかった。しかしそれだけの価値は十分あった。
15年から昨年まで、3回続けて中京区新京極の浄土宗西山深草派総本山、誓願寺の鐘を撞いた。昨年の経験を記しておく。昨年といってもほんの2週間前のことだが。
門前の行列に並んだのは夜の10時頃。厚手の服を着込んではいたが、それでも京都の冬の寒さは厳しい。まもなく檀家、町内会の人たちによって使い捨てカイロ、次いで甘酒、ぜんざいなどが配布される。私もカイロとぜんざいをありがたくいただいた。
11時から整理券の配布が始まった。今年は31番だった。なるべく多くの人が撞けるようにということで、今年は後ろの二人と組んで4人で撞くように指示される。ややあって前の人たちが撞く鐘の音が聞こえてくる。やがて自分たちの順番がくる。いつものように綱を引き、慎重にしかし思い切って撞く。
多くの寺では、このように除夜の鐘を撞き、あるいはしばし聞き入った後、人々は帰路に就く。誓願寺でもそれは可能だ。
しかし誓願寺では、我々も含めて多くの人が、鐘を撞いた後は靴を脱ぎ、阿弥陀如来が安置されている本堂に上がる。
午前0時、新しい年とともにお坊さんたちの新年最初のお勤めが始まる。誓願寺の高僧4名による読経である。本堂には若い人たちが多かったが、皆静かにそれに聞き入っている。
私は常日頃信心とは縁遠い人間だが、この読経は非常にありがたいような気がする。じっと耳を傾けていると、気が落ち着くと同時に引き締まる、何とも言えない清々しい気分なのである。年に1度の大晦日なのに3度も続けてこのお寺で鐘を撞こうという気になったのは、京都市街中心部の便利な場所に存在していることが大きいが、この読経が聞きたかったということもある。
最後に、おそらくお寺で一番偉い人なのであろう、お坊さんによる新年を迎えての短い講話があった。それが終わると我々の大晦日の行事も終わり、後は宿に帰って寝るばかりとなった。
以上、私と妻のここ数年の大晦日体験を回顧してみた。近年のことなのに記憶が薄れてしまっていることが多かった。熱心な督促のメールで、さもなければまもなく忘却の運命にあったであろう体験をひとまず整理する機会を与えてくれた市丸さんに感謝したい。