私は「篠栗四国霊場会」の会長です

   

藤 和義

◆連載エッセイ Vol.1

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オラが村にも“新四国霊場”があればのぉ~

 篠栗八拾八カ所霊場は、開創から今年で181年目になります。いうまでもなく「本家」は四国八拾八カ所で、篠栗のそれは本家を模したものです。このような移(うつ)し(写(うつ)し)霊場は全国に散在し、「新四国(しんしこく)」、「小四国(しょうしこく)」、「准(じゅん)四国(しこく)」などと呼び慣わされています。

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 日本最古の「新四国霊場」は、1686年開創の「小豆(しょうど)島(しま)新四国」です。以後続々と全国各地に造られ、最盛期には500を超える「○○新四国」がありましたが、現在は350箇所ほどです。
 本家の四国霊場が、現在のような形で八十八カ寺が定められ、遍路ルートも整備されたのは江戸初期です。その後、いわゆる「お四国詣り」をする人々が全国から集まるようになったのですが、全行程1400kmを歩くことは、体力的にも時間的、経済的にもとてもむつかしいことでした。普通の農民が50~60日間も家を空けることなどほとんど不可能でしたので、「オラが村にも新四国霊場を造れんもんじゃろか」「金と暇のないワシらも、もっと手軽にお参りしたいのぉ」という相談が、全国の村々でおこなわれたのです。

本家四国をしのぐ参拝者数

 全国各地にある「新四国」の中でも有名なのが小豆島、篠栗(ささぐり)、知多(ちた)の三つで、「日本三大新四国霊場」といわれています。この三つの中で篠栗が一番新しいのですが、年間参拝者は一番多く、本四国を上回った時期も%e3%81%95%e3%81%95%e3%81%90%e3%82%8a%e6%8c%9f%e3%81%bf%e5%b2%a9ありました。というのは、本四国の全行程1,400km、小豆島新四国150km、知多新四国200kmに比べると、篠栗新四国は全行程50km弱と格段にコンパクトなのです。
 九州・山口地方の人々にとって、往復の旅程を入れても一週間以内に八十八か所参りができるのはとても魅力でした。特に明治37年(1904)に九州鉄道が吉塚、篠栗間を結び、九州一円からの「団体列車」が、直接、篠栗駅に乗り入れるようになって、参拝者数は飛躍的に伸びました。最盛期(昭和30年代)には年間100万人超という記録も残っています。

◆若杉奥の院の「はさみ岩」を登るお遍路さん

興味尽きない歴史ミステリー

 農民はほとんどが念仏宗(浄土宗、浄土真宗)の門徒なのに、宗派を超えた「真言宗」の参拝をする人々がこんなに多かったのはなぜでしょうか。いろいろ推理してみると興味が尽きません。(皆さんの「推理」をお寄せください)
★次回は、篠栗村に新四国霊場ができた「きっかけ」、発展途上の苦心談などをお話します。
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◆一番札所・南蔵院の本堂前で、「ゴリけん」さんと一緒にお参りする息子の嫁と孫

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