ドイツ人と、あるいはドイツ人のカラオケ

      2017/09/01

 

ドイツの若い研究者を支援する「ドイツ日本研究所」

 ドイツに関連する仕事で、1年に1度だけ会議が開催され、そこに出席して意見を述べる「学術顧問会委員」という役目を引き受けています。東京・紀尾井町に「ドイツ日本研究所」というのがあり、ここは、日本を研究するドイツの若手研究者たちが公募で採用され任期付きで研究活動をする拠点です。この研究所の1年間の活動について、所長のマネージメント報告を聞き、若手研究者の実績報告を話してもらって、アドバイスをするのが、学術顧問会の役割です。メンバーは8人、男女半々、6名がドイツ人の大学教授です。

 

懇親会のあとは「カラオケ」へ

 ドイツのこの種の仕事をいくつか引き受けたことがありますが、すべて無報酬です。あるときは、会議後の夕食会で、割り勘だったこともあります。ドイツ日本研究所は、さすがに、会議後の懇親会は招待です。今年は、神楽坂の「坐・和民」でした。みなさん日本研究者ですから、日本通で、「へえー」といった注文も(ぼくはそんなの食べないよ)飛び交います。したたか飲んで、みなさんでき上って、一次会は終わり、さて、そこで「カラオケ」に行こう、みなさんはすぐに衆議一決しました。「廣渡さんもいくよね」ということで、もちろんお供しました。

◆ベルリンの野外カラオケイベント

 

なぜ?? 僕の熱唱に反応は今ひとつ!

 さて、今日の本題です。ぼくは、ドイツ滞在中、カラオケがベルリンにあると聞いたことがありましたが、学生から誘われたこともなく、ドイツ人とのカラオケは今回が初体験でした。
 ドイツ人の研究所長さんがここでもリーダーで、手慣れた感じで、「さー、みんな何がいい?」と聞きつつ、素早く選曲して、みんなで歌います。レパートリーは国際的で、日本の歌は「上を向いて歩こう」、ユーミンの「春よ」などでしたね。
 そのうち、「広渡さん、歌ってよ」とお鉢がまわってきました。普段の日本人カラオケの作法にしたがい、「それでは坂本冬美の〈また君に恋してる〉にします」と、本人はとてもいい感じで歌い終わったのですが、ちょっとみなさんの反応が???でした。

◆とても、いい感じで歌えたのに???

 理由はそのうちに合点がいきました。みなさんのカラオケは、「みんなで一緒に歌える歌を歌う」のが作法のようなのです。
 じつはぼくが立ち上がって(これもドイツ的作法でない?)、何を歌おうかなとしばし間があいたとき、2人の女性メンバーがそれぞれ、「悪女」(中島みゆき)! 「ラブ・イズ・オーヴァー」(欧陽菲菲)! と声をあげました(本当に日本通!)。これに応じてどちらかを歌っていれば、ぼくひとりで歌うという事態は避けられたのに、とこれはあとで気が付いたことでした。

◆皆さんのリクエストに挙った中島みゆきの「悪女」

 

ドイツ人は集団行動が好き!?

 帰り道、ドイツ人と日本人のカラオケ文化の違いをつい考えました。そのとき、思い出したのは、学徒動員で戦地にいきビルマでイギリス軍の捕虜になった、ぼくの研究所の大先輩の先生の説です。先生によると、「日本人は集団主義というけれど、本当の集団主義はドイツ人だよ」 収容所の捕虜は、小隊に分かれて作業にいくのが日課ですが、ドイツの兵隊たちは、自分たちの小隊の作業が終わっても他のドイツの小隊の仕事が終わらないとそれを手伝って、必ず一緒に行動したけれど、日本の兵隊たちは自分の小隊のことしか考えなかった、のだそうです。 

 

ドイツ人のカラオケ作法=みんなで一緒に歌うこと

 ドイツ人のカラオケ作法が、この説で説明できるかどうかわかりません。ということで、これを書くためグーグルで「ドイツのカラオケ Karaoke in Deutschland」を検索すると、52万2000件ヒットし、この種のお店はドイツでは「カラオケ・バー」と呼ばれています。さらにドイツ語版のWikipediaのカラオケの項目を見ると、ぼくの観察が正しかったことが分かりました。

 それによると、1970年代初期に日本ではじまったカラオケは、その後世界に普及し、1990年代半ばから、ドイツ語圏の国でもどんどん広がったが、「ドイツにおいてはカラオケの特別の形態が発展した。それは集団で歌うということである。歌い手のみが舞台で歌うのではなく、みんなで歌うのである」と記述されています。

 学術顧問会委員のみなさんは、日本のカラオケのこともよく知っているけれども、やはり「ドイツ的形態」だったのですね。

◆デュッセルドルフのカラオケ・バー

 

 

 

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