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フィリピン ボランティア滞在記 6

      2017/09/01

 

わあ~~っ♪ エコバッグの注文に大歓声!!

 9月3日に東京のNISVA事務局から妻への電話で「急ぎ相当数のエコバッグを作って欲しい」との注文が入り、生徒の皆さん大喜びです。10月6日に日比谷公園で行われる「グローバルフェスタ」に出展したいとのこと、外務省・JICAも共催の「発展途上国の現状と国際協力の状況」を広報するイベントです。NISVAもブースを設けて、大いに活動をアピールしようと言う訳です。
 エコバック作りは妻の前任者の方が始めたものです。組合の受注数量などを確認し、すぐ皆さんに伝えましたが、期せずして歓声が湧き起こり、自然と輪になり手を組んで「やるぞー」という掛け声が上がりました。

◆NISVAからの注文話を聞くや、大喜びで輪になって手を上げる皆さんです。本当に嬉しそうな笑顔です。

 彼女達が歓喜する理由は、日本のNISVA本部に認められたこと、それは「即時に、確実に、直接に」皆さん(組合)に代金が入ることでした。思うように代金を貰えない事情もあったのです。皆さんの笑顔が忘れられません。すぐに話し合いが纏まり、各種バック50個を約3週間で作ることにし、東京の同意も得ました。

 

3週間で50個のバッグ作りに奮闘

 教室には生地もあり型紙もあります。商品作りの実績もありますから、すぐ始めることが出来ます。工程上の各人の希望・意見を調整し、裁断・縫製などの手順と分担を決めて始動しました。
 妻はパンツ作りの指導を休止して、バック作りの助言・指導と援助に打ち込みました。私の組合活動指導も個別の補足指導だけにし、簡単な作業を手伝って楽しみました。皆さんやる気満々でバック作りに励む毎日になりました。偶然に時を同じくして、妻の父の米寿祝いで9月末から1週間余一時帰国の予定でした。嬉しいことに、仕上がったバッグを私達が届けることとなりました。

◆左:皆さんさっそく棚からバッグ用の生地を取りだしました。やる気満々です。中央:バッグ作りが始まりました。張り切って縫製などの作業に熱中しています。右:私(竹田)も通訳のマリーさんも簡単な作業を手伝っています。

 

家族・親戚・友人を呼んで打ち上げパーティー

 完成品が出来始めると「打ち上げ」をやろうという声が上がり、予定の縫製がほぼ完了した9月23日に「パーティー」を開きました。朝から御馳走を作り、飲んで食べて、カラオケで盛り上がるなど楽しく嬉しい1日でした。あちらでは、このような場には家族・親戚・知人などが誰でも寄って来て飲み食いします。大らかです。費用は4,000ペソで出来ました。私達からのお祝儀として予めプレゼントしました。※現在の為替レート1フィリピンペソ=2.2円

◆写真上段左:朝からご馳走作りの始まりです。上右:ミルクフィッシュという大きな魚をアルミホイルに包んで焼いています。町中では、網にそのままのせ、煙を上げながら焼いて売っています。1匹約80ペソで、美味しいのでたびたび買って食べました。下段左・中:トレーニングセンターの溶接の生徒さんたちやその友人、教室の皆さんや親戚の子供たち、その友だち(?)も来て一緒に食べています。下段右:お腹もいっぱいになり、カラオケで盛り上げっています。

 

海を渡った53個の手作りバッグ

 打ち上げ翌日に商品のバック53個を最終点検し、皆さんにNISVAへの請求書を確認してもらった上でPresident組合長がサインしました。皆で手を取り合って納品できることを喜び合いました。2日後バッグは私達の旅行ケースに納まり日本へ向かいました。

◆出来上がったエコバッグの一部です。この時は合わせて8種を作っています。小さい布札には組合のブランド名「Golden Sewers」が入っています。

◆NISVAへの請求書を皆さんに確認してもらい、President組合長がサインしました。そこで、皆で手を上げ重ねて喜び合いました。

 

台風襲来でダグーパンが冠水

 9月28日にバッグの納品を兼ねて一次帰国し、10月7日朝の便でフィリピンに戻りました。マニラに着いて驚きです。出発時に邪魔された台風が再び舞い戻っているのです。スワル市が出した救急車に生徒さん2人と通訳のマリーさんが乗って空港に来てくれていました。
 生徒さん達が組合の生地を購入するため、空港を出てから下町の大きな商店街に寄りましたが、私達二人は車外に出ませんでした。「ここだけは裕福な日本人が姿を見せると危ないから」と言われたのです。窓のカーテンの端から覗き、広い広場に溢れる人混みと周辺の異様な混雑と活況を見て、多少の怖さの中にも人間の生きている力を感じ納得しました。

 道中を急ぎ夜中にダグーパンに帰着しました。風雨が次第に強くなり、9日に市内が冠水して3日間動けませんでした。部屋の入口まで水が迫り、停電にはローソクで対処しました。水道も出ず、予め溜めた水と雨水を溜めてトイレなどに使いました。プロパンガスは使え、食べ物と飲み水などはアパート内で融通し合いました。
 私達はじっとしていましたが、隣室の現地代表は腰まで浸かって近所を見て回り、困った人を助けました。状況が悪くなる中で、スワル市長が車高のあるトラックターで近所まで来られたことを聞きました。友人である現地代表や私達のことを心配して遠くから駆け付けられたのです。スワル市長や現地代表の心根を知り頭が下がる思いでした。スワルの孤児院まで飲料水を汲みに行ったり、そのCFF孤児院がダグーパンの川沿いバラック被災者への炊き出しをするのを手伝ったりしました。

◆ダグーパンが冠水してから3日目に、飲める水を汲むためと買い出しにスワルに行きました。出掛ける時のアパートの前の道路です。

◆川沿いの低地バラックに住む被災者へのCFF孤児院による炊き出しです。被災者の人達が並んでいます。中央付近に妻の姿が見えます。

 アパートは基礎が高く部屋には浸水せず幸運でした。水は徐々に引いてバスも通うようになり、12日にスワルの教室で久し振りに皆さんと会いました。バッグはイベントで大変な好評を博して1個残らず日本人に渡ったことを伝え、NISVAから預かって来た代金を手渡しました。日本円を手にとって本当に嬉しそうでした。両替は自分達でして貰うことにしました。私達からのお土産も差し上げ、とても喜んでもらえて嬉しく思いました。

◆一時帰国のお土産として、生徒の皆さんには板チョコと糸きり鋏を差し上げました。

 9月は新しいボランティアの方3名を迎え、スワルの孤児院の海水浴にも連れて行って貰いました。10月後半は洋裁教室も元のペースに戻り、パンツ作りの指導が再開しました。この頃に市の担当部長ネリー氏(女性)から新人教育のお話が2回ほどありましたが、滞在中には具体化しませんでした。あちらの人は急ぎませんが、その後実現したようです。

◆新たに来られたボランティアの方3名の歓迎会です。スワルに新しくできた少し上等のレストランです。

◆孤児院の海水浴に連れて行ってもらいました。Dasolという所で南シナ海に面した西海岸です。子供達が走り回っています。私も海に入り泳ぎましたが、この時には、もう大分痩せていたように思います。

 10月20日過ぎに台風がもう1つ通過した後は晴天が続き、乾季になったことが分かりました。乾季になると雨が降らないのは当然ですが、風が良く通り気温もやや下がって凌ぎやすくなりました。
 この時期は米を刈り入れますが、2つのことを興味深く思いました。1つは刈り取った稲を干さずに直ぐ籾にします。もう1つは、籾を干すのに道路の両端の方を堂々と使います。相当の幅を使い車道が狭くなりますが、当然のことで誰も文句は言いません。

◆このように庭や空き地に籾を干しているのも見かけますが、拡げて干すには地面が足りないので道路にはみ出しています。

 

下町の小さなコンビニエンスストア「サリサリ」

◆サリサリも色々ですが、本質は同じです。スワルの農村部には綺麗な品ぞろえ豊富な店はありませんでした。

 渡航した翌日午後、面識が出来た孤児院手伝いのビリーさんの家を訪ねてみようと下の方の集落に降りて行きました。ビリーさんの長男の家を訪ね当て、そこで初めて「サリサリ」を眼にしました。
 ビリーさんの孫の幼い3姉妹がビリーさんの家まで私達を案内してくれることになりましたが、6歳くらいの長女がすぐ末の子を背負って歩き出しました。この時、私は幼かった頃の田舎のことを何となく懐かしく思い出しました。フィリピン滞在期間を通じて何度か同じ思いをしました。

 11月にはアラミノスに転居することになりました。

 

 

 

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