ドイツの大統領、そして天皇

      2016/12/28

晩餐会でお会いしたヨアヒム・ガウク大統領は・・・

 ドイツ連邦共和国大統領のヨアヒム・ガウク氏が2016年11月中旬に日本を訪問しました。初めての訪日です。首相公邸で晩餐会が催され、招待されて出席しました。テーブル席での和食のフルコース、おいしかったので満足でしたが、ガウク大統領のスピーチを聞き(初めてでした)、ご挨拶をすることができたのがなによりでした。

 そのスピーチでは、「日独は、民主主義、自由そして法治国家への固い信念を共有する」というところが耳に残りました。このフレーズは、安倍首相が、アジア諸国等にでかけて行った際にスピーチで述べる言葉と同じものですが、ドイツの大統領があらためてそのように言うと、言葉の真実味が感じられるようでした。

ドイツ大統領夫妻で初の別姓カップル

 ガウク大統領は、東ドイツの出身で、牧師として1989年の東ドイツの「民主主義革命」(ドイツ統一)のプロセスにおいて思想的・道徳的に重要な役割を果たした人でもあります。
 今回は、お連れ合いと同伴でしたが、お二人は、ドイツの大統領夫妻ではじめて姓の違うカップルです。姓が異なるのは、事実婚(法律上結婚していない)だからです。お連れ合いのダニエラ・シャット氏は、国内政治を担当するジャーナリストとして活躍していましたが、ガウク氏が大統領に就任した時に、さしあたり、ジャーナリストとしての活動をやめました。政治担当だと当然に大統領についても記事を書かなくてはならないでしょから、それはやはりまずい、と考えられたのでしょう。ガウク大統領は、来年、2017年の5月で5年の任期が終わりますが、再任なしの意思を表明しているので、大統領としての訪日は、はじめてにして終わりということになりました。

二代続くか? 夫婦別姓の大統領

 次期大統領として与党が推薦し下馬評が高いのは、現在の連邦外相のフランク-ヴァルター・シュタインマイヤー氏です。彼が連邦大統領に選ばれれば、二代続けて姓の異なる大統領夫妻になります。お連れ合いのエルケ・ビューデンベンダー氏は、ベルリン地方裁判所に勤務する行政裁判官です。お二人は法律上結婚していますが、夫婦別姓なのです。
 ドイツでは、1993年の民法改正で、選択的に夫婦別姓が認められました。それまではいまの日本と同じように、夫婦は同姓でなければなりませんでしたが、連邦憲法裁判所の違憲判決が出て民法が改正されたわけです。以降、別姓夫婦は全体のおそらく2割から3割程度です。
 ビューデンベンダー氏は、お連れ合いが大統領になっても仕事はやめないという考えのようなので、将来シュタインマイヤー「大統領」が訪日するときには、「休暇をとって一緒にきてくれる?」というようなことになるのでしょうね。

“ドイツの良心” ヴァイツゼッカー大統領の演説

 ドイツの大統領としておそらく最も有名な人は、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー氏かなと思います(1984-1994年在任)。かれは、1985年5月8日、ドイツの戦後40年の敗戦記念日に、連邦議会議場において大統領として行った感動的な記念講演で世界に名をはせることになりました。
 ヴァイツゼッカー講演は、600万人のヨーロッパ・ユダヤ人を虐殺したナチス・ドイツの犯罪をドイツ人が決して忘れてならないこと、旧約聖書に示されるように「40年」という時間が人々に苦しみを忘れさせる時間となりうること、それゆえ、戦後40年のこの時にあたって、ナチス・ ドイツの犯罪をあらためて「心に刻む」ことの重要さを国民に訴えるものでした。
ドイツに滞在した折、ときどきテレビで彼の国民に対するアピールを聞く機会がありましたが、その話しぶりの誠実さは、なみの政治家では難しいと思わせるに十分でした。大統領の一番大切な役割は「国民を勇気づけること」という彼の言葉には、なるほどなー、と感心しました。
 ドイツの大統領は、憲法上、儀礼的形式的権限しか与えられていません。選挙で選ばれますが、国民の直接選挙ではなく、連邦議会議員と16の州の州議会議員の全員が一堂に集まり、各自1票で選びます。選挙で選ばれるところを除けば、役割は日本の天皇に似ています。

【写真】ドイツ・ベルリンのホロコースト記念碑

象徴天皇の役割は”国民を勇気づけること“

 ここで話が変わりますが、2016年8月に、天皇は、「象徴としての役割」を果たすことには肉体的限界があり、その他の事情も勘案して、天皇の生前退位を可能にすることが望ましいという趣旨の、国民に対する発言をなさいました。災害が起こるたびにそれらの被災地を訪れ、被災者にことばをかけ、被災者に寄り添うこと、また、戦争の爪痕をのこすアジアの各地に足を運び、死者を慰霊し、平和のための祈りをささげること、これらを天皇は、象徴天皇の使命であり、「象徴としての役割」であると考えられているようです。まさにこれは、「国民を勇気づけること」ではないかと、僕はひそかに思っています。
 国民のおおかたは天皇発言に共感しているのに対して、有識者・専門家では意見が分かれています。「天皇は憲法の定める国事行為だけをやればいい」、「象徴は存在するだけで意義があり、活動する必要はない」という批判です。さて、政府と国会はどのような解決を示すか、気になるかぎりです。

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