町家からの眺め ⑤博多津要録

      2018/08/31

江戸前期の文書「博多津要録」

 「博多津要録」(略称津要録)は、江戸時代前半の文書(モンジョ)で、櫛田神社蔵であり、県指定文化財だ。本物をみるのは無理だが、市の総合図書館でマイクロフィルムを閲覧できる。
 内容は、歴代の博多年行司(給料が出る町役人。いまの自治会長より偉いか)と、町奉行とのやりとりの膨大な文書から、先例として抜粋された抄録だ。抄録といっても、手書き和綴じの製本で28巻ある(巻之一は欠本)。
 和綴じの28冊で、どれほどの分量になるのか、想像がつかないだろうが、さいわいなことに、手書きの続け字を読み解いて活字にした翻刻本があって、これが3巻だ。解説などをぬきにした本文だけでも、3巻あわせると1,500頁を超える。実際の書類がどのくらいあったのか知らないが、自分の控え、また後進のために、書き写してつくった先例集なのだ。

94年間の町政を記録

 津要録の編者は、年行司役を37年間つとめた原田伊右衛門。寛文6年(1666)正月22日から宝暦9年(1759)12月26日までの、94年間の町政の記録。藩(奉行)と年行司のやり取りの書類だ。奢侈禁止令や、松囃子や山笠についての取り決めや、喧嘩などの記録。将軍・藩公などの慶弔の記録、江戸からの犯罪逃亡者の手配書、事件などなど、年行司が町の代表として関わるすべてについての記録だ。

◆博多祇園山笠巡行図屏風(福岡市博物館蔵)

 これが、書類であるから、候文(そうろうぶん)なので、よみづらいことくどいこと。1755年の記事から一例を示してみよう。

◎油屋市右衛門祇園会ニ水車見せ銭取申事
 宝暦五乙亥歳六月廿三日  
一 いわし町上油屋市右衛門、去ル十五日祇園御祭礼ニ付、十四日之夜十五日ニかけ、通リ之者水車見せ茶を売と(せカ)、壱人より銭弐文充見物之者より取候趣相聞、甚筋不宜、依之禁足被仰付置候、勿論水車も
御留メ被成置、然ル処御僉議之(上脱カ)、今日御呵ニ而禁足無滞御免被仰付候事
 亥ノ六月廿八日  

祇園会で通行人に茶を売って禁足

 へたな読み下し文にすると、次のように成る。
〈油屋市右衛門、祇園会に水車見せ、銭取りそうろうこと …年月日省略…
一 鰯町上(かみ)油屋市右衛門、去る15日(追い山の日)祇園御祭礼に付き、14日の夜15日にかけ、通りの者に水車見せ茶を売らせ、一人より銭2文充、見物の者より取り候おもむき相聞こえ、はなはだ、筋不宜(ふぎのすじにて、すじよろしからずカ)、これにより禁足仰せ付け置かれそうろう。もちろん水車もお留め成しおかれ、しかるところ御詮議の上、今日お叱りにて、禁足滞りなく御免仰せ付けられ候こと〉

上に慇懃下には傲慢

 候文というのは、候のオンパレードで、候にて候というほど、へりくだりが甚だしい。身分制の時代で、町から差し上げる文書がへりくだるのは仕方がないといえば仕方がない。そして、他の文献から年行司が町々の総代や組頭に申し渡す文書となると、「わあ、年行司ちゃあ、そげん偉かとな」とおもうほどの文書になる。それはそうだ、年行司の文書は奉行所の言いつけの代書なのだから。

◆博多町家ふるさと館/新看板除幕式

 

 

 

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