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町家からの眺め Vol.2

      2016/09/18

博多町家ふるさと館 館長/長谷川 法世

◆連載エッセイ Vol. 祇園寄り

えど長屋

江戸町人と認められなかった平次親分

 江戸時代、正式な町人とは、土地持ち家持だった。それ以外の地借(じがり)・店借(たながり)の住人は正式な町人とはみなされなかった。熊さん、八っさん、一心太助、それに目明かし*の銭形平次などは長屋住まいなので「江戸っ子」ではあっても、江戸町人ではないのだった、正式には。だから、町内の正式な寄り合いには参加できない。そのかわり、店賃(たなちん)を払うだけで、税金は払わなくてよかった。お神輿を担ぐのはそうした江戸っ子だった。正式な町人は、店にいて神輿をお迎えし、ご利益を受けるわけだ。 

神饌のお下がりをいただく「神人共食」

やまかさ神人共食

 で、博多町人の祭りといえば7月の博多山笠だが、付随するように「祇園寄り」という集まりがある。形式として知っているのは、当番の家の床の間に櫛田の神様の掛け軸を飾って飲食をする、神人共食(しんじんきょうしょく)の行事だ。町ごとに行われていたと思われるが、いまは山笠の直会の途中から、「それでは祇園寄りに移ります」といって、そのまま飲食を続けるだけというように変形したり、もう行わなくなったところも多い。
 祇園寄りと表紙に書いた、大福帳と同じ体裁の和紙の帳面がのこっている。江戸時代からの買い物帳で、毎年の祇園寄りに買った清酒や食べ物なんかが値段とともに淡々と書き綴ってある。古いものはもちろん墨書だ。

廃れゆく由緒ある伝統

 ある地区に、そうした古い形の祇園寄りが残っていた。残っていたと書くのは、やまかさ1すでに廃止されたからだ。その地区は、町なかのドーナツ化現象でわずか三軒の高齢者男性だけでつづけられていた。それも、二軒は郊外に転居したので、博多に住んでいる人の家で催行されるようになっていた(その時点で当番制はこわれている)。ところがその人が亡くなったので、とうとう廃止してしまったのだった。残る二人でもう少しつづけられなかったのかとも思うが、どうも、片方の人の博多転入時期が新しいからという理由もあったようだ。
 そういえば、別の地区の祇園寄りでは、昭和初期に移住してきた家は構成員となっていない。私の家も昭和10年代に博多に来たせいか、祇園寄りのことは、ふるさと館の館長になるまで全く知らなかった。歴史や伝統というものはそういうものなのだ。

匠の技――木組みと八つ文字縄

やまかさ八つ文字縄 伝統の祭り博多山笠では、山台に釘をつかわない。木造建築と同じで木組みをする。そして八つ文字縄とよばれる荒縄を掛け渡して山台の歪みを抑える。これが切れると山笠は走れない。山笠はたちまち歪み、台足が折れたりする。いまでも若手がばんこ(縁台/ポルトガル語)で夜警当番をするが、昔は山台の真下、つまり八つ文字縄の下にゴザを敷いて寝たりしたそうだ。他の流(ながれ)のわるそうが八つ文字縄を切りにやってくるもので。

学芸員を悩ませた藁苞(わらつと)づくり

わら その荒縄をつくる稲藁がちかごろ少ないという。コンバインの普及が原因で、刈入れ脱穀と同時に藁を土の中に鋤き込んでしまう。だから、八つ文字縄も、命綱とも呼ばれる舁き縄も、はては正月のしめ飾りも、藁の確保にはわざわざ旧式の機械を使うらしい。

 ふるさと館で荒神琵琶をやってもらったことがある。おくど様のお祭だ。昔は盲僧琵琶を呼んでお経をあげてもらっていた。それをふるさと館で復元してもらったのだ。竹串にとりつけた紙垂(しで)を何本か藁苞(わらつと)に挿し立てなければならないのだが、その藁を見つけるのに学芸員がえらい苦労したのだった。  2016.7

【用語解説】 *目明し(岡っ引き・手先・御用聞き)は、町奉行所与力・同心などの子飼い。アメリカの刑事映画で小金を貰って情報を流す下っ端の麻薬売人などが登場するが、そうした情報屋に近い。幕末の江戸には400人くらいいて、手下の下っ引が1000人くらいいたという。町人の弱みに付け込むなど弊害が多く、幕府は再三目明し禁止令をだすが効果はなかった。明治になって警視庁が邏卒(のちに巡査)を正式採用して近代的警察機構となった。ちなみに、博多・福岡にも目明しはいた。

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