東洋の神秘 アンコール遺跡群を訪ねて②new

      2024/04/02

◆タ・プローム大乗仏教僧院

(いつものように写真のクリックで、拡大写真を見ることが出来ます。)

 
 

 

アンコール王朝最盛期に君臨したジャヤバルマン7世

 密林の奥深くそびえ立つアンコール遺跡群は、9世紀から15世紀にかけてこの地を支配したアンコール王朝の栄華と権力の証である。アンコール・ワットを造営したスールヤバルマン2世の死から30年後、王に即位したジャヤバルマン7世は、内乱や隣国チャンパの侵攻などで混乱した国内の再統一と、王都アンコール・トムの造営に取りかかり、「大きな都市」を意味するアンコール・トムを建設。さらには道路網の建設にも着手し、コンポン・ディ橋を架け、道路網を各地に拡げた。兵士や軍事物資を運ぶための道は交易路にもなり、国は豊かになった。そして東南アジア最大級の国になり、栄華を極めていった。

 仏教に深く帰依した王は、これまで続いたヒンドゥー教の寺院に仏教の要素を取り入れて、都城の中心に観音菩薩の大尊顔を彫った50もの四面塔を持つバイヨン寺院を建設。静かに目を閉じ微笑みを浮かべるその顔は「クメールの微笑み」と称され、同時にジャヤバルマン7世自身であったとも言われている。

◆象のテラス

 周辺の国々に次々に勝利し、アンコール王朝の最盛期を築いたジャヤバルマン7世が、戦車の代わりに使ったのが象。王は戦争に勝利した軍隊を、アンコールトムにある象のテラスで謁見した。王宮の正面にある長さ350m、高さ3.5m~4mの石造りのテラス。テラス正面の壁一面に象が彫り込まれている。象は大切な存在で、アンコールワットの外側の回廊には象専用の大きな門まである。

◆ライ王のテラス

 テラスの壁には数多くの阿修羅と神々の彫刻が連なり、見ごたえがある。高さは約6メートルほどあり、象のテラスよりも難度の高い精巧な設計であることが見て取れる。

ジャヤバルマン7世が亡き母の菩提を弔うために建立

 10時16分、象のテラス、ライ王のテラスなどを巡り、車で10数分移動して、10時42分タ・プローム寺院へ。12世紀後半ジャヤバルマン7世が、亡き母を弔うために建てた大乗仏教の僧院。東西1km、南北600mの寺院内に往時は1万3千人が住んでいた。

◆タ・プローム大乗仏教僧院

 熱帯の深い森のなかに永い間放置されたため、石造りの寺院は苔むしている。いたるところでガジュマルの巨木の根が覆いかぶさるように建物を包み込み、独特の雰囲気を醸し出している。
 仏教寺院が後世ヒンドゥー寺院へと改宗されたことから、もとの仏像が削り取られている切妻や破風も多い。

 

大自然の脅威―僧院にからみつく巨大なカジュマルの根

◆アンジェリーナジョリー主演の映画「トゥームレイダー」のロケ地としても有名、右はタ・プロームの門

◆まるで巨大な生き物の血管のようにカジュマルが根をはって大迫力! 王国崩壊後1860年に再発見されるまで、長い間侵食されるままに、巨木の根にからみつかれた僧院が幻想的な雰囲気をかもし出している。

 

ヒンドゥー教と仏教

 歴代の王はヒンドゥー教徒だったが、ジャヤバルマン7世は熱心な仏教徒だった。巨大都市アンコールトムを造営し、その中心に仏教寺院としてバイヨン寺院を建てるが、それまでのヒンドゥー教を否定するのではなく、仏教と融合させて建設を進めた。

 先に紹介した石造りの巨大な顔は、仏教の観世音菩薩といわれてきたが、最近の研究ではそこにはヒンドゥーの神々の特徴も溶け込んでいることが分かったという。

 アンコールクッキーの店に寄り土産に購入。カシューナッツとヤシ砂糖がたっぷり入ってなかなかに美味。マンゴーのアイスクリームが美味しい。

 ソフィテルホテルのレストランでフレンチの昼食。観光中大量の汗をかき体中の水分が抜けてしまったようで、冷えたアンコールビール(US$5)が実に美味しい。前菜の肉料理だけでお腹が膨れる。スープ、メインの魚料理のボリュームもすごく、デザートのチョコレートケーキともどもかなり食べ残してしまった。中庭の池には蓮が美しい花を咲かせている。

 

枯れることのない水源となったクーレン山

 海から遠く離れたジャングルの中になぜ都を造ったのか。その理由はアンコール遺跡群の北東40kmにあるク―レン山にある。ここが乾季でも枯れることのない水源となり、山から出た水はシェムリアップ川となって都に流れ、人々は貯水池を網の目のように張り巡らせた。さらに土を盛って土手を築き、2km×8kmの巨大な人口の貯水池バライを造った。

 カンボジアの主食は昔も今も米。聖なる山から流れ出た水は膨大な人口を支えた。
 アンコールワット自体も彼らの世界観を表している。水で満たされた周囲のお堀は、無限に広がる海。次第に高くなる塔は山々。中央塔はヒンドゥーで世界の中心とされたクーレン山(須弥山)を表した。王朝にとってこの寺院は神聖な山でもあった。

左) レストランの池の大バス、中)アンコールワットの広大な堀(環濠)右) 東面から見た中央塔

 人々は大切な水の源を聖なる山と信じ、清流の底にはヒンドゥー教の神シヴァ神を象徴する模様をいくつも彫り込んでいる。ク―レン山の麓には寺院を建てた砂岩の石切り場が数十ヶ所見つかっている。バイヨンもアンコールワットも砂岩を積み上げて造られている。

 1時半、ホテルに戻ってしばし休憩をとる。シャワーを浴びて汗を流し、着替えてさっぱりする。体力回復にベッドに横になり30分ほどまどろむ。

 

◆アンコールワット中央伽藍

 3時15分ホテルを出発。15分でアンコールワットへ。巨大さと美しさを兼ね備えた世界遺産。日陰を縫って、朝日鑑賞の時とは反対の東面の入口から入場。案の定、昼食を食べ過ぎて気分が悪い。4時頃、遠く近くに雷鳴が轟く。俄雨で一時傘をさす。寺院内部は階段の上り下りがかなりあって、また、汗が噴き出てくる。

 中央伽藍は100万個もの石を使い、30年以上の歳月をかけて造られた。その構造は中心にいくほど高くなるピラミッド状になっている。建物をぐるりと囲う三重の回廊。その中心部にはひと際高い塔が聳え立つ。高さ65m。15から20階建てのビルに匹敵する。塔上からの寺院や森の眺めは素晴らしい。

アンコールワットは東西1040m、南北820mの周壁と、幅190mの環濠(かんごう)に囲まれ、面積は約200ヘクタール。

●アンコールワット全体図

 中央塔の四隅を支える塔。それらを支える急激な基壇も、普通は接着剤としてモルタルやセメントを使うのだが、ここではすり合わせでピタッとくっつけ、強固な石組みにしている。それだけではなく、表面を繊細で軽やかなレリーフで覆うことによって力が半減されて感じられるようにしている。

 寺院の中に足を踏み入れれば、神秘的な空間が広がっている。当時は水が張られた清めの沐浴場がある。寺院は別名彫刻の劇場といわれ、塔の下や壁に華を添えているのが、ヒンドゥーの女神デヴァターたち2,000体以上の踊り子。一つとして同じ顔、同じポーズはない。実際に宮廷に仕えていた人たちをモチーフにしたと考えられている。どのデヴァターも華やかに舞い、微笑んでいる。600年間繁栄を謳歌した王朝の象徴といえる。

左・中)デヴァター像が至る所に、右) 2,000体以上の踊り子デヴァターが舞うレリーフ

 

ヒンドゥー教の世界観を表す天地創造の物語「乳海攪拌」

 全長780mの第一回廊には、壁一面にヒンドゥー教の神話に登場する数々の物語、ヒンドゥーの世界観が描かれている。「乳海攪拌」というヒンドゥー教天地創造の物語と「阿修羅に対するヴィシュヌの勝利」のレリーフがある。中央にはヴィシュヌ神が舞い、左側に92体の阿修羅、右側に88体の神々が大蛇ヴァ―スキの胴体を引っ張り合いながら海をかき回す。海が攪拌されて乳海となる。すべての生き物は混ざり合い、海は乳色に変わっていく。その作業は1,000年間続き、太陽や月、アプサラなどあらゆるものが、海から生まれた。

◆第一回廊東面

左・中)大蛇ヴァ―スキの胴体を引っ張り合う神々、右) 大蛇を引っ張り合う中央で舞うヴィシュヌ神

 ヴィシュヌはヒンドゥー教の最高神とされる三大神の一つで、様々な危機から人々を救うとされている。「乳海攪拌」の壮大なレリーフ絵巻の世界を堪能。

 あまねくものを照らす働きをする太陽を神格化したのがヴィシュヌ。世界を維持し、悪魔を滅ぼす神であり、魚や亀、猪、クリシュナ、ラーマなど十の姿に化身するが、ヒンドゥー教では仏陀もヴィシュヌの化身の一つとされる。日本では毘紐天(びちゅうてん)。

 天国と地獄が描かれた壁がある。人々に裁きを下すのは「ヤマ」と呼ばれる神様。日本でいう閻魔大王。地獄に落ちた悪人は宙づりにされ、全身に針を刺される。

◆レリーフ

 レリーフには当時の豊かな生活の様子も描かれている。宴会のため豚を茹でるところ、食事の準備をする人々、湖での大掛かりな漁。大きな網を引いてとった魚は市場に並べられ、活気あふれるさまが見られる。その脇には娯楽である闘犬、鶏と鶏を闘わせる闘鶏が描かれ、勝敗を掛けているのか大勢の人が固唾をのんで見守っている。こうした人々の日々の暮らし振りが壁面に描かれた事例は他にない。他にも嘘をついて舌を抜かれる場面など、見ていてあきることがない。

 巨大な建物や高い塔だったらインドにもあまたある。けれども大きさと強さ、美しさ、柔らかさ、周りに溶け込むといった総合的な素晴らしさはアンコールワットに及ばない。アンコール文明では、こうした壮麗な寺院がいくつも造られた。

 巨大寺院建立にはヒンドゥー教の神々を祀ることに加えてもう1つ重要な目的があった。それを示す手掛かりが遺跡の柱や壁に残されている。寺院の成り立ちや王の行いを記した碑文である。

 アンコール王朝時代の文字資料はすべて失われているため、碑文は当時の様子を具体的に知ることができる唯一のもの。スドック・カック・トム碑文にはアンコール文明の起源について、一人の王が神になるためにクーレン山で神託を受ける儀式を行ったことが記されている。

 アンコール文明の王たちは、中央塔で神の啓示を受けた。アンコールの寺院はヒンドゥー教の神々を祀ると同時に、王が神と等しい存在であることを民に知らしめるためのものでもあった。

 第一と第二の回廊をつなぐ十字回廊には、江戸時代の肥州の武士森本右近太夫が父の菩提を弔うためこの地を訪れ、仏像4体を奉納した際の落書きが残っている。上から墨汁が塗られ判読できないが、森本はアンコールワットを祇園精舎だと思い込んでいたという。
 第三回廊に上る急な石段は、韓国人ガイドの転落事故の後閉鎖されている。

 

上)第二回廊、下左)第二回廊の連子窓、下中)階段を上って第二回廊へ、下右)階段途中から第1回廊を見る

◆デヴァター像は1体1体の表情、髪型が違う

 

上)・下左)・下中)第三回廊、下右)修行僧

◆第三回廊からの眺め

左) 十字型テラス、中) 十字型テラスから中央の門(王の門)を望む、右) 聖池に映る中央伽藍

 アンコールワットの北側に堀に囲まれた小さな寺院バンテアイ・スレイがある。王朝の初期10世紀後半に赤い砂岩で建造された。壁面がヒンドゥーの神々の華麗な彫刻で飾られ、数あるアンコール遺跡の中でも傑作といわれる。特に有名なのが20世紀初めにヨーロッパ人が発見した女神像デヴァター。その美しさから「東洋のモナ・リザ」と呼ばれ、アンコール芸術の極致といわれている。

 

優しい微笑と優雅な手の動き――アンコール朝の宮廷舞踏

 西表参道からの夕日鑑賞は、雲が多くて叶わず。6時、レストラン「アマゾン・アンコール」へ。伝統舞踊アプサラダンスを鑑賞しながらアジア料理を楽しむ。といっても昼の食べ過ぎが尾を引いて、アンコールビールとスープ、ベトナム料理ホーを少し食べただけ。
 アプサラダンスは最前列で楽しむことができた。終わると観客が舞台に上がり、踊り子と記念写真を撮っていた。降り出した雨の中、8時半過ぎホテルに戻る。
 この日一日で19,500歩、13.6km歩いている。我が体力もまだ捨てたものではない。

◆手の動き一つ一つに意味がある、伝統舞踊アプサラダンス

 

 10月21日は、ホテルに隣接する国立博物館の見学。入館料US$12。アンコールの6~7世紀、13世紀の神々の像が並ぶ。穏やかで柔和な顔に何ともいえぬ安らぎを感じる。昨夜観た伝統舞踊の踊り子たちの顔にどこか似ている。写真撮影は不可。

左) 国立博物館入場券、中・右) 国立博物館展示のヒンドゥーの神々

左) 国立博物館内部、右) 国立博物館の池に咲く蓮の花

 

 車で5分ほど、シェムリアップ川に近い街の南端の一角にあるオ-ルドマーケットへ。果物、野菜、肉、魚などの生鮮食品の店から、宝石、アクセサリー、衣類、民芸品の小さな店、屋台が密集している。買いたいものもなく10分もいると息が詰まりそうで、退散。小川に架かる橋の上で風に吹かれる。

◆上5枚)オールドマーケット

 アジア最大の湖、トンレサップ湖クルーズは、参加者が足りず不催行に。

左) 客待ちのトゥクトゥク、中) シェムリアップ川に架かる橋、右) ココナッツの実

 ラッフルズホテルのレストランで、フレンチの昼食。妻が頼んだココナッツジュース。大きなココナッツの実を鉈で削り、上の部分の真ん中にストローを入れる小さな穴が空けてある。飲んだ後、実を割ってもらい、白い中身をスプーンで掬って食べる。あまり味はしなかったが。

◆シェムリアップ市内

 ホーチミンで乗り継ぎ、深夜の便で帰国の途へ。

― 完 —

 

 

 

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