日々是好日 高尾山便り 小野塚満郎 new

   

 

◎高尾山初歩き 2024年1月7日

 今年も高尾山の初歩きをしてきました、1月7日にです。めじろ台駅始発電車、5時19分発、暗い山路、ヘッドライトをつけて、さすがに歩く人は少なく、私を抜いていく人は数人でした。

 高尾山山路は石と木の根っこが多く、暗いと見づらく、よろめくと危険を感じました。沢沿いの6号路は道幅が狭く、右側は5~6メートルですが、崖になっています。何とか無事に山頂下へ、300の階段、ハーハー言いながら、登り切りました。
 いつものように富士山を見て、1号路で高尾山・薬王院へ、お線香をあげ、ケーブルで下山しました。ドアtoドア、3時間ちょっとの歩き、満足の散歩でした。

 写真はスカイブルーに白い雲、4日に撮った浅川(高尾山系から多摩川に繋がる川)からの一枚です。お正月の間、わが家に帰省していた息子の航を新橋に送った翌日の4日、好天に誘われ、めじろ台~浅川土手~高尾山入口まで、小一時間散歩をした時のものです。八王子は素晴らしい好天に恵まれ、空気は澄んでいます。スマホの機能が良いのか、見事な色で撮れていました。

 

◎近況報告を兼ねての新年ご挨拶

 私は年賀状は書かず、その代わりに、年明けに近況報告を兼ねたハガキを出しています。近況報告を書くようになって5年目になります。コロナ感染が始まった頃からです。以下は今年の近況報告ハガキの文面ですが、皆さんにもご紹介させていただきたいと思います。↓↓

 『昨年9月に、息子の航と共に私もコロナに感染、二人即日内科を訪問し、薬を頂き一週間で平常生活に戻ることができました。航のサポート生活は、昨年10月から週3日新橋・4日めじろ台とゆとりができたため、私は近くの浅川土手散歩、高尾山歩きを継続、健康維持に努めています。

 航はここ数年、転倒・打撲・裂傷で出血を繰り返し、慈恵医大救急室のお世話になりました。去年6月から生活習慣を改め、この半年間は転倒無し、安定した生活を確保、不安材料が消えました。お正月には、久しぶりに私のファミリーが全員集合、楽しい元日でした』

 昨年5月には、勤務時代の『元財務の会』40名が集まり、盛り上がりました。その時全員を撮影した写真立てを、デスクからリビングに移動させ、眺めています。
 去年届いた喪中ハガキは10枚を超えました、両親、兄弟・姉妹、叔父叔母、ああ皆さんも高齢になったんだなと、感じています。

 航は1月3日に新橋へ戻り、私は8日からサポートを始めました。テレビのニュース、色々あり過ぎて見るのも聞くのも、イヤになっています。逃げちゃダメだと思いつつ、何故、どうしてと、思い続けています。去年11月、7年(?)ぶりにゴルフをしました、芝生散歩でした。でも元気に歩けました。心身ともに健康維持に努め、90歳を目標にしています。

 

◎1月25日、今年2度目の高尾山歩き

 昨日は今年2回目の高尾山歩き、夜明けと同時にスタートしました。(始発電車、夜道の山歩きは危険が伴うので止めにしました)
 いつもの6号路から尾根道コースへ合流、山頂下をまきみちでもみじ台へ、見事な富士山写真が撮れたので、藤本さんに送りました。

 山路沿いにある、もみじ台には歴史ある茶店があり、長年通っています。ご主人は同年齢、話も合い、昔話を聞かせてもらいました。
 ここからの富士山はやはり最高! カメラマンたちが場所取りを競い合い、ダイヤモンド富士も見ることができる場所、もみじ台茶店の真ん前です。

 次に、追っかけをしているブナの大木に会いに。近くを通る4号路が修復中で通行止めになっていたため、別ルートで行きました、回り道です。ブナは葉を全部落とし、青空にまっすぐ立っていました。胴回り3メートル20センチ、大木です、しっかり挨拶してきました。

 そして、高尾山本道・1号路経由で、高尾山薬王院へ。奥の院、中の院そして本堂へ、少しずつお賽銭を投げ入れ、お線香をあげてきました。帰りはケーブルです。 乗り場前にある、天狗焼き=タイ焼きと同じ、を三個買い、一個を食べながら、ケーブルに乗り、帰宅しました。

 京王線高尾山口駅はケーブル駅から歩いて数分、駅前で登山靴を水洗いして、電車へ。めじろ台駅は三つ目、10分もかかりません、めじろ台駅改札口から、マンションへも数分で着きます、風呂に入り、風呂上がりに微アルコールのビアリー(アルコール0.5%のビールテイスト飲料)で乾杯。美味しいです。

 令和6年、1月26日、金曜日。快晴の東京八王子から、今日は午後から日帰り新橋へ。ヘルパーさん所用のため、臨時代行です。今月始めから予定していたことなので、支障はありません。昨日の山歩きの快い疲れで、昨晩は熟睡、目覚めも良好、体を軽く感じています。

 

 

 

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