三月に寄せて「一本の鉛筆」

      2020/05/17

 

 手元に一本の鉛筆がある。五十九年間、それはある。中学二・三年時の担任の先生からいただいた鉛筆。高校受験が間近となったある日、先生はこの鉛筆をクラス全員の一人一人に手渡しでくださった。鉛筆には生徒の名前が手書きで書いてあった。毎年三月ともなると、この事と卒業時の事とを鮮やかに想い出す。この鉛筆を今も持っている同級生はいるだろうか。

 この鉛筆を、高校受験、大学受験そして公務員受験で使用した。短くならないように、試験開始から少しの時間のみ使用した。今では13㎝余の長さとなり、名前は薄れたが何とか読むことができる。

 いつも努力、努力…と言って、生徒を励ます先生であった。黒板の上方の壁に、「努力」と書かれた紙が貼ってあり、今も目に浮かぶ。「福高に入り、努力を忘れなければ必ず道は開ける…」と繰り返し言われたことを想い出す。

 中学時代は、教師の影響を強く受ける頃だと思う。福高十五回生で、弁論が得意だった先輩がいた。その先輩は、「中学で教わった先生のようになりたい」と言い、中学の教師となることを目指していた。

 しかし、大学入学のため上京した年の夏、脳腫瘍が発症し、望みを果たすことなく逝った。その先輩のことも忘れることはできない。

 同級生達と、「先生、還暦のお祝いも退職のお祝いも皆でやります」と言っていたが、同期会の一週間前に自動車事故で急逝。五十八歳と二十日の人生だった。九歳年少だった私達が、今や十六歳年長となってしまった。

 この鉛筆は、寿禄句会の句集「ともがら」と共に、私の柩に納めてもらうことにしている。そして、来世というものがあるならば、誰よりも先に先生と再会して言いたい。「先生、ありがとうございました。私は努力しました、がんばりました」と。

 

 

 

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