憧れの白いユニフォーム
私は早大入学後即、憧れの白いユニフォームを夢見て硬式野球部に入部した。新入部員は約40名ほどだった。当時は東京6大学リーグ戦8シーズン連続Bクラスに低迷していた。部内には何となく悲壮感が漂っていた。しかし、地方から出てきた自分にとっては充分に刺激的な場所であった。
甲子園で活躍した大塚弥寿男捕手(波商時代怪童と呼ばれた尾崎行雄投手とバッテリーを組んだ)、甲子園春、夏連覇の作新学院八木沢荘六投手、同期で中京商業出身の三輪田勝利君(後にオリックスのスカウトとしてイチローをスカウトした)など。そういうメンバーと同じグラウンドで練習できることを幸せに感じた。また冬季練習では、体力強化のために小掛昭二氏が指導に来てくれた。(小掛氏はメルボルンオリンピックの3段跳びで優勝し、当時の世界記録保持者であった)