王子製紙回顧録 苫小牧編

      2018/03/13

 

16年ぶりの北海道で

 1994年(平成6年)7月 苫小牧工場山林部副部長として赴任した。北海道は16年振り2度目、苫小牧は3度目の勤務である。

◆山林部事務所

 山林部長は、私が入社2年目名寄出張所に赴任した時の主任で直属の上司であった人で、その後も北海道では一緒に仕事をする機会もあり、私が北海道を離れても密接に連絡を取り合う尊敬できる人である。赴任して暫くして、部長から「私はこれから来春の市議会議員選挙に集中するから、山林業務は任せるので好きなようにやってくれ。」また、この年の春に奥様を病気で亡くされたことから、「冠婚葬祭の仕事も私は喪中で遠慮するから代わりに出席してくれ。」との事だった。苫小牧工場からは市議会議員を毎回5~6名当選させ30名中の有力会派であった。今回は山林部から候補者をたて、部長が後援会長となっており、落選は山林部の名誉にかけても許されない事だった。その後山林部OB会を発足させ、部員全員の努力で上位当選ができた。この議員はその後5回も連続当選し、最後は市議会議長までなった。

 

待ち受けていた苦行

 1995年(平成7年)1月は山林部長(前述の理由で代行していた。)が出席する大きな行事がある。北海道の主要都市(帯広、北見、旭川、札幌、苫小牧、函館)の王子製紙苫小牧工場に原料を納入する方々との新年交礼会兼工場の状況報告会である。
 この会の名称は各都市の名前をつけて、例えば帯広では帯広王子会と呼ばれ、ホテルで開催される。出席者は多い所で50名以上、まず私から日頃の原料集荷に関する謝辞を述べて、当年度の当社の経営状況、苫小牧工場の状況、原料の使用状況等を説明して、更に翌年度の原料の集荷予定、買い取り価格の予定等について説明し、質疑応答する。

 この間は1時間ぐらいで終了するが、部屋を宴会場に移しての交礼会が大変である。約50名の方々からの入れ替わり、立ち代り飲み物を進められるのである。まともにお相手していたら酔いつぶれてしまうので、ビールを一口飲んで、次の人の勧めを受けることにした。これが、帯広から札幌まで四日連続なので、余り飲まないようにしようと決めていたが、北見、旭川では昔お世話になった方々と話がはずみ、次の日が大変だった。この苦行を3年間続けたが、3年目、やっと終わって社宅に帰り着いたら、突然天井がぐるぐる回り始めた。緊張が緩んだことからかもしれない。しかし熟睡し、翌日は事なきを得た。

 

苫小牧工場山林部長に就任

 1995年(平成7年)6月、山林部長となる。部長になってからは、自分から進んで仕事をこなすより、仕事の指示命令が多くなり、また、工場での行事、新年交礼会、入社式、安全祈願祭、植樹祭、永年勤続表彰式、研究発表大会、工場安全パトロール、退社式等への出席と山林関係の冠婚葬祭への出席が多くなった。

 

バリアフリーフォレスト―「王子の森」オープン

 この頃、業務上で問題になっていたのは、社有林の事業の採算性であった。社有林の年毎の造林費及び管理費に対して伐採後の収入を差し引きした時に、毎年2億円以上の赤字となっていた。将来素晴らしい山林を育成するためにも、先行投資が必要と言う事は、役員の方々も理解しているが、どうしても目先の利益追求が優先することから、何とか赤字を圧縮できないかとの意見が出ていた。山林としては、当然造林経費の削減、撫育作業の省力化等を進めた。しかし、コスト削減に加えて、森林の持つ特性をもっとPRする必要性を痛感していた。当社の広告の中に、「木が伸び伸びと育つ豊かな環境を大切にしていくことこそ、常に変わらぬ王子の理念」があった。

 その第一ステップとして95年6月、北海道の森林資源研究所で「王子の森」をオープンしてバリアフリーフォレストとして身障者の方にも自由に散策できる森を解放した。
この森林資源研究所は当社の山林関係の研究機関で林木育種、早生樹種、品種改良等を実行しているが、折角の森林資源を有効活用しようと一般の方々に公開された。

◆王子の森(栗山)

 更に96年10月、道内でも有数の美林である南富良野山林について、伐採開始後86年になり、その間の伐採量は当初蓄積の2倍量伐採しているが、現在でも86年前の森林蓄積が維持されて持続的経営が可能となっていると言う「王子富良野の森」小冊子を作成した。専門的になるが、択伐作業により年間の成長量程度を伐採し続ければ、森林の蓄積は変わらず、永久に保続的な森林経営が可能になる。
 また97年6月、道北の社有林の一部を「王子の森」(猿払)として、沼、湿原、海岸等の自然環境に恵まれた地域1400haを学術・研究のフィールドとして、ネイチャーセンターを建てて、一般の方々に解放した。

◆王子の森(猿払)

◆王子の森自然学校(2017)

 

「苫小牧工場山林部30年の回顧」発行

 話は少しさかのぼるが、96年10月本州製紙と合併、世界の紙パルプ企業の売上高ランキングで3位となった。97年4月本社に合併効果推進本部が設立され、要員の活性化、システムの改善、生産効率、物流改善等が動き出した。

◆世界の紙・パルプ企業売上高ランキング/2016年版 単位:百万$

 1997年6月合併効果推進の関係から、山林部と業務部資材部門と統合し、名称を原材料部とすることが決定し、住み慣れた山林部事務所(最初の写真)も解体され、新事務所に移ることになる。このような時期に最後の山林部長として、山林業務の統計データを整理し、残したいと考えた。この頃の工場使用原料は針葉樹では50%、広葉樹では80%が外材となり、木質原料は道内山林からでなく、海外からが主流となっていた。我々原料担当者の位置づけも変化しており、山林業務も時代と共に変わっていることから、その変遷を理解し、今後の対応を考えるには良いタイミングであることから、「苫小牧工場 山林部 30年の回顧」を発行した。

 1997年(平成9年)6月 釧路工場原材料部長の辞令がでた。

 

 

 

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