1964-2001 「その時、君は?」【011】クラス文集〔とらいふうる〕の思い出 廣渡 清吾

      2022/09/01

 

 「その時、君は?」――あの日あの時あの場所で、あなたは何をしていましたか? そんな問いかけに対して、当企画は本来、皆さんそれぞれの体験をレポートしていただくコーナーですが、今回はちょっと変則。廣渡清吾さん所蔵の資料とご本人の話をもとに編集部でまとめましたのでご覧ください。

 当初廣渡さんご本人は、HP掲載の心づもりではなかったわけですから(最終的には了解をいただいています)、原稿は編集部(市丸)の極私的な感想に偏っていますが、お許しくださいね。(笑)

 

1964――2001

 

その時、君は? 【011】 廣渡 清吾

 

「とらいふうる」って何だろう?

 「とらいふうる」は、1964年12月15日に発行された、京大法学部のクラス文集のタイトル名なのだそうです。命名は廣渡さん。それが今も廣渡さんの書庫に大切に保管されているとのことで、せめて表紙だけでも拝見したいとメールで送っていただきました。

◆右:「とらいふうる」創刊号 左:「とらいふうる」第2号

 

 そしてこちらが、創刊号の巻頭ページです。「とらいふうる」命名に込められた想い、クラスメイトへのメッセージが熱く綴られています。このような青春の記録が大切に保管されているのが、感動的ですね。

 

  読みやすいよう、ホームページ用に書き起こしました。

廣渡 清吾

 

太陽鳥は太陽を目指してとぶ 其れは無謀な行為だろうか?

 一人の才能のない人間がつぶやくとき、その響きは知らずとこの疑問を肯定的に聞えさせる。自らの才能を疑心暗鬼に表には否定しながらそれでも自己の奥深い所ではそれを信じたいと健気に思う人は否定的に叫ぶかもしれない。幾多の先人は若き芽にその血を燃やすとき、ぼんやりとした不安の中で、計り難い自己の才能の故に何度ひとりごちたことだろう。
 我々は今、或る一種の予見を自己に命じながらも予見の結果を恐れてその行為をなす勇気を知らない。自己の可能性を誰が好んで否定しよう。故に全る経験——全る対他的行為——が自己の可能性の範囲を徐々に集約していくことを知るとき、其の活動を放棄し、何事をもが進行し得ぬ状態に自己を確保しようとすることは必然の成行であるかも知れない。或ることへの働きかけに自己が敗北するとき、其の人は一つの可能性を失う。その喪失は自己への根源的な不信感をも育ててしまう。そして何事をもなさずに、或る人は自己の持つ可能性をつなぎ止めておこうとし始める。真摯な行為が如何に多くの代償をもってしかなされぬか‥‥‥。真摯に振舞おうとする人程どれほど多くの傷跡を自ら残さねばならぬか‥‥‥。
 自らの可能性の消滅を恐れ、可能性の確保に他への優越を感じ、真摯さを単に人生に対する幼稚さとして自己を偽り、どんよりとした停止せる安穏に沈殿する人々‥‥‥。
 我々が恐れるのは、自己の可能性の消滅でなく、消滅を恐れる自己の中にあるエリートでなければならない。全る可能性に対して我々は敢然として挑戦しなければならぬ、敗れるかもしれない、傷つくかもしれない、残るのは無残な屍のみかもしれない。
 しかしそれでも我々は行為していくのだと思う。其れは本当に無謀な行為なのである。だが全ての無謀さは人生に対する真剣さの表われではないか。
 我々にとって巨大なる物が他から瑣末なもの(TRIFLE)として把握されようと、その嘲笑をも乗り超えるエネルギーこそが我々をして我々たらしめるのだ。
 我々は停滞してはならぬ
 其れこそが、とらいふうる(TRYFOOL)の精神なのである。

(広渡清吾 記)

 

37年の時を経て発行された「とらいふうる第2号」

 初めに紹介した「とらいふうる」の創刊号と第二号の写真を、もう一度見てください。第二号の発行は何と、創刊号から37年を経た2001年となっています。これは東京で開かれたクラス会の席上で発案され実現したものだそうです。

 

 そしてこちらが、第二号の巻頭ページ。創刊号に続き、こちらも巻頭言は廣渡さんが書いておられます。

 

  読みやすいよう、ホームページ用に書き起こしました。

廣渡 清吾

 

とらいふうる第2号に寄せて——37年目の再会——

 同じ表題の冊子を刊行したのは、1964年12月15日のことである。それから37年のときが流れた。いま手元に「創刊号」(と表紙に印刷されている)をみながら、この文章を綴っている。
 37という数字は、大きな数字である。世界が変わり、歴史が移り、人々が成長し、変容し、消耗し、希望をつなぎ、あるいは失意し、さまざまな想いとそれぞれの歩みを積み重ねるには少なすぎることのない、大きさである。
 ぼくたちは、変わっただろうか? いうまでもなく、然りである。職を得、娶り、子をなし、育て、親を看取り、出会いと別れがあり、仕事に打ち込み、あるいは仕事にほされ、得意の絶頂にも、そして絶望の淵にも立って、ぼくたちは、それぞれの人生をそれぞれに担ってきたからだ。ぼくたちは、成熟して、なにかを手に入れているが、しかしまたなにかを失っているからだ。
 創刊号をめくりながら、しかし、ぼくは、ぼくたちが変わっていない、という想いにとらわれている。「今」のかれと、この文集の中の「37年前」のかれは、ぼくの中で少しのずれもなく、つながる。それは、ぼくの思いのなかの「かれ」であり、現実の「かれ」ではないのかもしれない。それでもそれが「かれ」であるには違いなく、そして、多分、ぼくたちは、ぼくたちそれぞれの「思い」をつなぎあわせて、変わらないぼくたちを再会させている。

           ~中略~    

 本誌表題の由来について最後に記しておくことにしよう。
 「とらいふうる」は、英語のtrifleとtry foolをひっかけたものであり、そのこころは、「他から瑣末なもの(trifle)として把握されようと、その嘲笑を乗りこえるエネルギーこそがわれわれの本領であり、「TRY FOOLの精神」である、と創刊号にはある。ここではおそらく、高い志を持って、無謀と見えるものに対してでも、挑戦を試みる気概が標榜されたのである。
 ところで、try foolなどという英語の表現があるのだろうか。あらためて辞書を繰ってみたけれど、このような表現は無謀な試みと言うほかなさそうである。とはいえ、ぼくたちのクラス担任は、英文学者の大浦幸男先生であり、先生は創刊号に寄稿され、この無謀な試みをご承知であった(はずである)、とここでは牽強付会の解釈を示しておくことにしよう。

 37年ぶりの本誌での出会いに、心から乾杯したい。そしてこの再会の機会に立ち会うことができなかった複数の友人たちの冥福をあらためて祈りたい。

(広渡 清吾)

 京大法学部は言うまでもなく、日本が誇る最高学府にして最難関の学部です。2001年(同年の私たちは56歳)のクラス会には、学会・法曹界はもちろん、官界、政財界の中枢を担う錚々たる方々が、綺羅星のごとく集まっておられたことでしょう。二冊の「とらいふうる」に献じられた二つの巻頭言――太陽に向かって飛翔をつづける太陽鳥のエピソードは、京大の唯一無二の学風と、どんなに偉くなっても変わらない廣渡さんの志を表しているように感じました。

 

京都に行ったら訪ねたい喫茶室

 話はそれますが、「とらいふうる」第二号・巻頭言には、大学近くの食堂や喫茶室、理髪店、ビリヤード店などの広告についても紹介されています。一口500円に時代を感じますね。

 学生の街京都には、古き良き喫茶室ファンにはたまらない喫茶店がいっぱい。由緒ある外観に静かな時間が流れる、レトロな雰囲気の純喫茶・名曲喫茶などが、今なお歴史を守り続けています。ここでは、廣渡さんご贔屓の喫茶室をいくつかご紹介します。京都に旅する際は、ぜひ訪れてみたいですね。

◆写真上段:進々堂(北白川・京大北門前) 中段左:進々堂店内 中段中:六曜社(河原町三条) 中段右:ゴゴ(加茂大橋) 下段左:フランソワ喫茶室(四条小橋)下段右:フランソワ喫茶室店内

 

 

 

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