男と女のエピソードー京都の喫茶店三題

      2022/09/01

思い出は珈琲とともに。出会いから六十年になんなんとする店から、今はもう記憶の中にしかない店まで、京都の喫茶店にまつわる物語を、三好達治の詩で辿ってみました。

 


 

 

 
冬の日、静かに泪を流しぬ

 

 2月の寒い日、Kからハガキがきた。六曜社でバイトをしている、来週の金曜日、早番で夕方5時に仕事が終わるので店にきてほしい。次郎の都合を尋ねるわけでなく、来るのが当然という文面だ。いつものKらしい。六曜社は、二人が待ち合わせによく使った喫茶店だ。

 二人は、3月で大学を卒業する。Kは、次郎にとって高校3年間、憧れのひとだった。同じ中学で話したこともない相手に心を奪われて、別々の高校に入学したその日に、次郎は、はじめての恋文をKに書いた。次郎の日記は、Kと書きしるす彼女のことであふれた。

 大学は、郷里をはなれて、京都の別々の大学に入った。Kは、大学の新しい生活に積極的に飛び込んだ。セツルメントのサークルに入り、自治会活動にコミットし、次郎の知るKから、どんどんと遠くなっていった。
 次郎はKを想い続けたが、1年生の終わりに、破局が突然訪れた。高校の3年間、いつも会い、プレゼントを渡してくれた次郎の誕生日に、Kは別の用事をいれて、ただ「ごめんなさい」と言った。夜の下宿で、そのわけを聞く次郎に、Kは押し黙っていた。「ぼくのこと、好きなの?」、Kは答えなかった。

 次郎は、Kに長い手紙を出した。別れの手紙のはずだった。けれども、「もう二度と会わないとは言えない。君がぼくのことを好きだとぼくが誤解しないかぎり、また、笑って会える」としか書けなかった。二人の関係は、こうして、いままで続いている。ときどき手紙のやりとりをし、ときどき会い、笑って話した。Kは、「あなたに早く素敵な女友達ができるといいのに」と言った。

 六曜社には少し早めに出かけた。エプロンをしてきびきびと働くKをみながら、次郎はKへの想いが続いていることをかみしめていた。仕事をあがるKを待って、外にでた。「わたしの好きなカレー屋さんがあるの。そこでいい?」 カレーを食べ、珈琲を飲みながら、卒業後のことをそれぞれ話した。Kは、東京の文化関係の会社に就職がきまった。次郎は、大学に残り、勉強を続ける。「偉いわね」とKはほめた。

 河原町通を少し歩いて、北にいく市電にのった。二人とも同じ方向だった。Kが、話の続きのように小さくつぶやいた。

 
 「3月に旅行に行くわ」、「どこに?」、「東北に」、「一人で?」、「ううん、友達と二人で」。次郎は、一瞬逡巡し、聞いた。「女性? 男性?」。聞いてすぐに、後悔していた。こんなことを自分が聞く理由はない。Kは、なにげなさそうに、「男の友達と一緒に」と答えた。

 次郎の心の底でなにかがぷつんと切れた。次郎は、Kがこのことを言うために自分を呼んだのだと思った。Kは、今夜、次郎に本当の別れを告げたのだ。次郎の長く続いた少年の恋を終らせるために。

 


 

 

 
山の形さえ冴え冴えと澄み

 

 京都でゼミの同窓会をやるという案内がきた。土曜日の午後からで、前日の金曜日、おりよく京都での会議がはいっている。一泊しようと出席の返事をした。どのくらい集まるかな、と何人かの顔を思い浮かべた。
 久しぶりの京都だ。土曜日、朝起きて、同窓会が始まるまでどこに行こうかと考えた。一乗寺の詩仙堂が浮かんだが、そうだ、進々堂に行ってみよう、お昼もできるからと思いついた。

 ここは本当に変わらない。広い教室のような空間、自然の採光にまかせたうす暗さ、大きな黒光りする机、木の長いす、本を読んだり、ノートをとったり、おしゃべりは少なく、思いにふけるのに好都合な場所だ。

 喫茶店「進々堂」の名前を知ったのは、入学した4月、出身高校の集まり、「ドンタク会」の開催通知だった。「ドンタク」の語呂あわせのように、木曜日(Donnerstag)のお昼が集合時間、新入生は3人で、5人の先輩が迎えてくれた。

 1年のクラスの学習会も、ここでやった。はじめてのテキストは、おそらくサルトルの『実存主義とは何か』だった。進々堂は、南が入口で、「教室」を北にでると小さなガーデンがあり、東屋風に机と椅子が置かれていて、談論風発になるかもしれない学習会などはそこを使った。

 とりとめもなく、思いにふけっていると、「瀧村さん」と声をかけられた。顔をあげたら、ゼミ仲間の上野圭子だ。「いるかもしれないと思った」と言いながら机をはさんで前に座る。かの女は、奈良に住んでいて、瀧村とは仲良しだった。
 「お昼、一緒にしない?」 二人でとったのは、クロワッサンとコーンスープ、そして野菜サラダのセット、「覚えている?」とかの女。スト決行の学生大会を前にして、泊まり込み、朝一番に進々堂に来てとったのが同じメニューだった。「これ、瀧村さんの御推奨でした。」

 瀧村もよく覚えていた。1月下旬の寒い朝、進々堂の入り口で見上げた冬の青空に、東山のやまなみがくっきりとしていた。

 「あなた、詩も教えてくれたわよ。」

冬の日、静かに泪を流しぬ
泪を流せば、山の形さえ冴え冴えと澄み
空はさ青に、小さき雲の流れたり・・・

 かの女が饒舌に話すのを聞きながら、時間が空間ごと、昔にさかのぼるような気持がした。
「そういえば、ここで、君にラブレターを書いたことがある。」
「もらってないわよ。」
「出さなかった。」
「それじゃ、届かないわね。書いたことにならない。」

 他愛なく、会話が流れるのを、瀧村は楽しんでいた。きっと、上野もそうなのだ。それが、昔馴染み、ということなのだ。

 


 

 

 
空はさ青に、小さき雲の流れたり

 

 「日下さん、今夜8時ランブル、約束したから。」「了解、約束とれて、よかったですね。」
草野浩二は、あるサークルの委員長、日下みち子は、1学年下の副委員長、約束の相手は、次期委員長候補の川田君だ。ランブルは、大学至近の、サークルメンバー愛用の喫茶店、大学祭も終り、11月末の寒い日だった。

 浩二がみち子と仕事を一緒にするようになったのは、夏休みのサークル合宿のときにリーダーとサブリーダーを引き受けてからだ。そのまま、秋からサークルの運営も二人がやることになってしまった。

 
 浩二は、司法試験の都合で、4年生になってからサークルの仕事を休んでいたので、教養部から学部に上がってきたみち子を知ったのが、合宿委員会だった。7月の陽ざしのなか、学部の中庭のベンチで、打ち合わせのためにみち子とはじめて話した。明るくて、元気で、はっきりしているのが好ましかった。

 次期委員長をだれに頼めるか、浩二とみち子のいまの最大の課題だ。2月に交代なので、3年の終わりから4年にかけて、進路問題で一番忙しい大事なときに、サークルの委員長を引き受けるのは大きな負担なのだ。二人は、川田君に目をつけて、今夜は、その説得をする機会だ。

 ランブルに行ったら、みち子が先にきていた。すぐに川田君もやってきた。真面目な川田君は、二人の願いを正面から受けとめてくれたが、容易には、「うん」と言ってくれない。
浩二はあきらめかけたが、みち子は粘り強かった。そして、真摯だった。とうとう、川田君は「やります」と決意してくれた。

 ランブルをでて、川田君と握手して分かれた。時計をみたら10時をまわっている。みち子の下宿は、百万遍から賀茂川までのちょうど中間だった。みち子を送ろうと歩き始めた。一緒に一つの仕事をしたという気持ちが高ぶっていた。黙って歩いていたら、みち子が浩二の腕に自分の腕をそっとまわした。そうか、寒いんだと思い、「ぼくのコートのポケットに手を入れていいよ」と小さな声で言った。

 
 下宿の門まできたが、浩二は別れがたい気がして、「賀茂川まで歩かない?」と誘った。みち子も同じ気持ちだったらしく、その夜は賀茂川の岸辺を遅くまで歩いて、別れた。

 次の日、サークルの部屋に、いつもやってくるみち子が顔をみせない。夕方まで待ったが、心配になって、同じ3年生のみち子の仲良しに、「様子をみてきて」と頼んだ。帰ってきた彼女の報告は、こうだった。「理由をはっきり言わないんだけれど、恥ずかしくて草野さんに会えないって。どうしたのかしら。」 そう話しながら、彼女は微笑んだ。

 浩二の胸が熱くなった。みち子にすぐに会って、こう言おうと思った。
「一緒に歩いてくれて、本当にうれしかったよ。また、一緒に歩きたい。」

 

 

 

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