寿禄短歌の会 市丸幸子(10)◎春霞の候new

   

 

弟がいない どこにもいない

 弟が亡くなって9年になります。喪失感は増すばかり、哀しみが癒えることはありません。今回はそんな弟への「挽歌」を作ってみました。明るい希望の季節にふさわしくないと思われるかもしれませんが、読んでいただけると嬉しいです。

 私たち姉弟は中国満州の生まれ。父の仕事の関係で、昭和28年まで抑留が続きました。弟が生まれた昭和25年3月9日のことを、母は「アカシアが綺麗だった」と何度も話していました。

 病院にかけつけた時、弟はすでに斎場に運ばれたあとでした。ほんの数時間前に見舞ったばかりなのに…。病室は片付けられ、事務的に事実だけを告げる看護師の言葉(この人のことは、一生忘れることができません)。あまりにてきぱきと心を感じられないやり方に、起こったことが呑み込めず、立ちすくむばかりでした。

 「のぶちゃん、あのね」「これってどう思う?」今でも世界的なニュースや面白い出来事があると、弟に訊いてみようとする癖がぬけなくて。「あ、そうだ、弟はもういないんだ…」「のぶちゃんは、もういないんだよ」と、自分で自分に言い聞かせているこの頃です。

 弟とは5歳違いですから、当たり前のように私が先に逝き、看取ってもらえるものと信じていました。それなのに何故…の想いは、心を離れることがありません。

 父母の良いとこ悪いとこ、上手に分け合って受け継いだ姉弟でしたが、内心では「君の方が人間として上等だよね」と認めていました。そんな思いを、一度も口に出したことがなかったのは取り返しがつかない痛恨事。欧米の家族のように、照れることなくはっきりと「大好きだよ、愛してるよ」と言うべきだったと、悔やまれてなりません。

 弟の臨終のとき、私と姪は転院先の施設を見学するため、移動中でした。姪の携帯に電話がかかってきてホームで通話中、電車に乗ったため話が途切れ、次の駅で降りてかけ直したのですが、繋がりませんでした。あとで聞いた話では、そのときが弟の最後のときで、携帯を強く握りしめ、どうしても手から外すことができなかったそうです。

 

 

 

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