【一丁目の夕日】~住田家の人々~お諏訪さん

      2024/02/06

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■昭27年作文『おくんち』すみたゆきひろ…以下、読みやすく漢字で転写。
お母さまに「お諏訪さんに行っていいですか」と聞きました。
お母さまは「章夫ちゃんが帰ってきてからがいいね」と言いました。
僕は損しました。暫くして章夫ちゃんが帰ってきました。でも章夫ちゃんは 実ちゃんのお守りをするので、僕一人で行きました。克ちやんたちに会い ましたが、みんな帰ってしまいました。僕はお兄さんたちに「もう終わった んですか」と聞きました。「もう早よう終わったよ」と言われました。
そこに章夫ちゃんが来ました。僕と章夫ちゃんは動物を見て帰りました』。

■父の日記『章夫の記』
『昭和25年10月26日。戦時中、全国的に閉鎖された動物園が徐々に再開 され、この長崎にも大型トラックで「移動動物園」が来た。章夫と幸宏を連 れて諏訪神社横の長崎公園に行った。大喜びの子供達で大賑わい。
余りの人出で迷子続出。幸宏も迷子になり、やっとの思いで泣いている彼 を見付けた。戦後間もない頃だから、見せる動物も小象•猿•熊•豹の4種 に限られたが、大盛況であった』。

■ペーロン競争
徳川初期、中国より「白龍(パイロン)」が伝来。最初は唐人間の競争だったが地元に定着。7月末、地域・職域の意地をかけたレースが展開される。
ジャンジャンジャン、ジャンジャンジャンジャジャン。
勇壮な銅鑼の音を真似し乍ら、章夫と幸宏は胡坐をかいた両足首を握っては、座敷の端から端まで必死の競争。

■秋は「おくんちの龍(じゃ)踊り」
「くんち」とは、旧暦重陽の節句の9月9日に由来したもので、毎年10月初旬に開催される。300年の歴史を有するが、神社の神体を神輿に乗せ、大波止の御旅所に「御下り」し、帰路「御上り」となる。その間、町ごとに南蛮・紅毛文化を交えた演し物が登場し、見物人を楽しませる。「龍踊り」「コッコデショ(太鼓山)」「鯨の潮吹き」「阿蘭陀万才」と賑やか。「龍踊り」は唐人屋敷のあった本籠町が継承し、龍の前に掲げる「玉」追いを競う。

■春は「ハタ揚げ」
長崎では「凧」のことを「ハタ」と呼ぶが、遊び方が違う。「ハタ」は菱形で十文字に組まれた竹ヒゴに、ビードロ(ガラス粉)を摺り込んだ糸で空に揚げ、相手のハタの糸を切るという勇壮な合戦で、その勝負を見物する。金比羅山、稲佐山。我々家族は近場の「風頭山」に登り、母の手作り弁当を何よりの御馳走とした。

■夏は「精霊流し」

■冬は「中華街ランタン旧正月」

 

 

 

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