江副さんは、バブル崩壊が来る前までは、自分の裁判対策で手一杯でした。しかし、バブル崩壊が予想されることで、自分の立場を考慮しつつ、リクルートグループのバブル対応にかかわらざるを得ませんでした。リクルートとコスモス、FF三社で借入金合計が一兆五千億円を超えていました。銀行対応に戦略戦術が必要でした。
江副さんの考えは、『自分は社内会議には出るが、銀行交渉に出ることはできない、僕に代わるバックアップになる人物が必要だ』でした。強力に主張されていました。これを実現するための会議が頻繁に開かれるようになりました。江副さんと三社社長と亀倉さんの小人数会議、やがてRGS会議へ。私の役割は、これらの会議の事務局でした。G8ビル11階の会議室フロア、一部屋を事務局部屋として利用し、何人かの部下をメンバーに入れて対応しました。
最高経営会議の議題は、江副さんがリクルート株を第三者へ売却することのへの議論でした。江副さんが複数の人物、会社を提示、出席者は聞く一方、大半が反対意見です。対立が続きました。新聞記事の論調は、バブル崩壊が始まり、不動産会社、ノンバンクの不良債権が増大している・・・と、日を追って切迫したものになっていきました。結論が出るまでの一年間、11階会議室フロアの事務局で過ごしました。