通り庭は肥桶が通れる幅
そういう暮らし方の原点が、博多の町家なんだ。町家には玄関というものがない。単なる入り口。入れば店だ。それが普通だから、街に生け垣や塀や見越しの松なんてものはない。門もない。1階には廊下もない。あるのは通り庭という土間だ。中庭まで続いている。中庭の先は、ウナギの寝床とよばれる長い敷地の奥の蔵や別棟だ。
通り庭の一番の用途は、し尿の汲み出しだ。一戸にひとつ、落とし便所が付いている。それが、長屋との決定的な差だ。隣家と壁がべったりくっついているけれど、ちゃんとした独立家屋だ。だから便所があり、通り庭がある。それでなければ、山笠だのなんだの町内ごとでひとこと言えない。江戸時代、土地持ち家持ちが町人と呼ばれた。
博多町家は平均の間口が2間~4間と言われる。町は全国的に間口税だったので、できる限り間口を狭くしている。間口2間の家でも、通り庭が付いている。肥桶がやっと通りぬけられる幅だ。それでもだから一人前の町人なんだ。
博多町家ふるさと館の館長になって14年目になる。福高同窓生の中でも少々変わった立ち位置から、思い出や現在やこれから(そんな余裕はないが)を語ってみまっしょう。