特別寄稿 心穏やかに

      2020/10/21

 自宅の近所のスナックヘ週に一回通うようになって三年になる。定年後に友人に連れられて行ったのが最初で、なぜか居心地がよく、それまで時々通っていた行きつけの店は足が遠のいてしまった。もちろん 不定期で居酒屋などにも行くのだが、これは会社勤めの宿命である。

 その友人は体調を崩し、酒を止めたので現在は私一人がいそいそと出かけている。

 この店の何がいいのかというと
一、仕事にはまったく関係が無い。
二、自宅から極めて近い。
三、年齢層が合っている?
四、安い。

 要するにご近所さんが ( と言っても、自転車やタクシーで来る人もいる ) 集まる近くの店で若い人が少ない ( これもママに言わせると、来ますよとのことだが )。 ほとんどが常連さんで、何よリカラオケで英語の歌詞が出てくる歌はほとんど聴かない。 七十代半ばのママが一人でやっている、カウンター十席だけの店だ。

 通い始めて一ヶ月ほどで、私はこの店を『年金酒場』と名づけた。あるとき、隣の男性二人から、「わしら、二人合わせたら百五十歳は超えている」と聞かされたら、その横に座っていた女性三人が「私ら三人合わせると二百四十歳は超えてるで」と負けじと教えてくれた。確かにこの店で顔を合わせる人の半分以上は七十歳を超えている。そんな中で私は現在若造と言うことになっている。

 そうか、ここは年金生活者が来るところかと思うほど年配の方 ( 私からすると) が多い。しかし実に上手にお酒を飲む人が多い。よく飲むし、よく歌うし、そして愚痴を聞くことが少ない。たまにいるが、そのときはママが上手に話題を変えさせている。

 あるとき、八十台半ばのIちゃんが「男は仰山お金残して、早いこと死んであげることが、嫁さん孝行やで」と教えてくれた。次の週に店に行ったら、ママがそれを聞いていたのだろう、「Iちゃんは、実にだんなさんに献身的な人やった」と教えてくれた。ご飯を食べた回数も、お酒を飲んだ回数もまだまだ私は及ばない。いろんなことを教えてくれる店である。

 今年の初め、十歳ほど年上のMさんが今年の抱負を決めてきた、今年はこれでいくと教えてくれた。それは『心老いず、心冷めず、心固まらず』というものであった。それを聞いて『心穏やかに』も入れたほうがいいのではと言ったら、君は末期かと言われた。

 ところがその『おだやかに』という漢字が書けない。隣にいたmちゃんが箸袋に書いて教えてくれた。 パソコンのワープロばかり使っていると漢字が書けなくなってきた。ちなみにmちゃんはパソコンを使わないのだろうと、これは想像である。

 三ヶ月後にそのMさんから、本 ( 医学書みたいなものであるが ) を書いたのでと贈呈していただいたが、 見開きの署名には『心老いず、 ・・・ 』とあったが『心穏やかに』は記されていなかった。老いてますます盛んな人はたくさんいるものだ。 しかし残念なことに毎年誰か一人はやって来なくなる。

編集部注:深山孝さんは大阪市在住、関忠さんの元同僚でカラオケ・飲み友達です。会社勤務中から文章教室に通い、自著の出版も多数。そのご経験を生かし、寿禄会HP「聞き書き 満州国の思い出」を書籍にまとめて贈呈いただき、一同感激しました。(詳しくはコチラ) 関さんとのお付き合いぶりを記してご投稿いただけないかと依頼したところ、この「年金酒場」の一文をご投稿いただきました。ありがとうございます。

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