悠久のトルコ時間旅行 <前編>トロイ遺跡からベルガマ、アクロポリスの丘、エフェソス遺跡へ

      2018/10/21

 

       

 

夢かなって、ついにトルコへ

 相次ぐテロ事件やロシア軍爆撃機撃墜事件、2016年のクーデター未遂事件などでトルコは危険な国だと思われ、何回も断念してきた旅がようやく実現した。今回も家族や友人にはかなり心配させたが、行ってみたら大違い。トルコは安全できれいで、快適な国だった。そして驚くべき数と保存状態のよいギリシャ、ローマ遺跡が点在する国だった。しかもトルコ政府や観光事業者からの補助金で、他の国々に比べかなり安い費用で旅行ができる。体力に問題がなければ、是非一度行ってみることをお勧めする。

 1890年(明治23年)に和歌山県串本町沖で発生した軍艦エルトゥールル号遭難事件で日本人が献身的に救助にあたって以来、2国間は深い友好関係で結ばれ、トルコは大の親日国家となった。今でも学校の授業で教えられ、知らない人はいない。1985年のイラン・イラク戦争の際には、自国民より優先して日本人を救出するため、トルコ航空機が戦火の中を飛んでくれたことは記憶に新しい。

 旅は、2018年5月20日から31日までの12日間。バス走行距離が3100kmとかなりの強行軍であった。バスでの移動時間はぼんやり流れゆく風景を眺めたり、うとうとして過ごすのが常だったが、今回は無料のWiFiが利用できしかも移動時間が長い。折角のチャンスなので、ほぼ毎日、10回に亘って簡単な旅行記とスマホで撮った写真をバスからLineで寿禄会インスタグラムに投稿した。しかし、パソコンと違って、操作になれないスマホは文章の入力、推敲がままならない。今、読み返してみると拙い文章で後悔しきりである。コラムの広場欄では一眼レフで撮った写真のトルコ紀行を記したい。

 トルコの面積は日本の2倍。その西半分を回っただけだが、とにかくその広大さには度肝を抜かれ、感嘆しきりだった。平原や丘陵は視界いっぱいに広がり、何時間も果てしなく続く。これまで多くの国を旅してきたが、トルコほどその広さを実感した国はない。

 歩行距離も半端でなかった。エーゲ海沿いのベルガマ、アクロポリス、エフェソス、アフロディシアス、パムッカレの遺跡では2日間で21km、イスタンブールでは2日間で23km、12日間トータルでは86km歩いた。もっとも写真スポットを求めて走り回ったので、他の人よりはかなり距離が伸びたようである。本編では、トロイ遺跡からベルガマ、アクロポリスの丘、エフェソス遺跡を紹介したい。

 

ダーダネルス海峡を渡りアジア側トルコへ

 5月21日7時半イスタンブールを出発。トルコだけの海、マルマラ海を左手に見て進む。トルコは中央アジアにいた遊牧民突厥が西に移動し552年に独立、これをもって建国とする。その後、広大な地域を支配したオスマン帝国を経て、多数の民族が混じり合い現在の姿になった。今、突厥人は10%。世を騒がすクルドの民だが、トルコに住むクルド人は温厚という。ガソリンは日本より高いが500ccのペットボトルの水は25円ほど。因みに1人当たりのGDPは世界平均を若干上回る10700ドルで日本の28%。

 昼にフェリーでダーダネルス海峡を渡りヨーロッパ側からアジア側へ。最大幅が8kmの狭い海峡。2、3分の短いクルーズ。白波立つ海とバラ、夾竹桃が美しい。

◆サロス地方の売店のレジで

◆ゲリボル港(ヨーロッパ側)からダーダネルス海峡を渡る。

◆ダーダネルス海峡に臨む町

◆ダーダネルス海峡

◆ダーダネルス海峡アジア側のラプセリ

 

トロイの古代遺跡――少年時代に読んだ「シュリーマン物語」が眼前に!

 ホテルでの昼食のあと、3時半トロイ遺跡へ。エーゲ海を見ながら遺跡の丘を上り、下る。陽光を浴びて輝くすばらしい風景。

◆トロイの古代遺跡:神話上の都市とみなされていたトロイの実在を信じて、ドイツの実業家ハインリッヒ・シュリーマンが私財を投じ、1870年から3年の年月をかけて発掘に成功した。

 シュリーマンが発掘した遺跡は想像を超える。紀元前3000年から紀元前350年くらいの遺跡が幾重にも積み重なり広がっている。それぞれの時代の神殿、塔、城壁、城門があり、今も発掘、調査が続いている。ホメロスの叙事詩「イリアス」を信じ続けて、人々の嘲笑を受けながらもトロイ遺跡の発掘に成功する。少年時代に読んだシュリーマンの物語は子供心に強い印象を残した。その場に立つ感慨は大きい。

◆トロイの木馬伝説:トロイの王子がギリシャの王妃ヘレネを誘惑したことが原因で起こったトロイ戦争は10年におよんだが、ギリシャが贈り物として送り込んだ巨大な木馬の中に兵士を潜ませ、城内から奇襲をかけるという作戦でトロイは一夜にして滅んだと伝えられている。

◆遠くエーゲ海を見はらす丘に広がるトロイの古代都市は、たび重なる戦火や洪水、大地震などの災害で壊滅したが、そのたびに瓦礫の上に新しい街を築いて再建された。

 

古代の医療センター「アスクレピオン医療遺跡」

 旅の3日目の22日には、朝7時にホテルを出発。トルコを走る観光バスの車体は白一色に規制されている。日本のように会社によって塗り分けられた様々な色、模様のバスが混じり合って走ることはなく、すっきりしている。エーゲ海沿いにオリーブ畑の間を走行。3つの遺跡を巡る。

 初に訪れたペルガモンのアスクレピオン医療遺跡は、紀元前4世紀から紀元後4世紀まで使われた。巨大な図書館には医学書が集められ、大きな野外劇場も備えられていた。中央の長い通路を歩く患者を両側から見た医師がその病を診断したという。色とりどりの野生の花々が美しい。

◆上2枚:ベルガマのアスクレピオン医療遺跡

 

ペルガモン王国の遺産―アクロポリスの丘へ

 アクロポリスの丘にはロープウェイで登る。丘の上から見るベルガマの街の眺めはすばらしい。20万巻の蔵書を誇った図書館跡がある。その規模に脅威を覚えたエジプトがパピルスの輸出を禁止したため、それに代わる羊皮紙を発明したと伝わる。

 ゼウス神殿の大部分は発掘したドイツが運び去り、今はベルリンのペルガモン博物館にある。幸いこの博物館は2度訪れ、実物を見ているので想像を巡らすことができた。8000人収容の野外劇場は傾斜の急な扇形の劇場で、音響効果も非常にいいという。すべて大理石のトラヤヌス神殿は、正面に6本、側面に9本のコリント様式の柱を持つ。

◆ベルガマのアクロポリスの丘遺跡

◆アクロポリスの丘から見たベルガマの街

◆8,000人収容の野外劇場

◆トラヤヌス神殿:コリント様式の石柱の白と、エーゲ海の抜けるような空の碧とのコントラストに圧倒される。

 紀元7世紀に復元された聖母マリアの家は山の上にある石造りの小さな家。ピンクの夾竹桃が満開で、辺りは桃色一色に染まっていた。

 

古代ギリシャ人が築いた都市「エフェソス」

 エフェソス遺跡はその広大さと保存状態のよさに驚く世界屈指のギリシャ、ローマ遺跡である。夏のシーズンになると近くのクシャダスの港に大型クルーズ船が何隻も入港し、1隻3000人を超える観光客が大挙して押し寄せる。

 シーズン前の5月は遺跡観光のベストシーズン。気温は日本と同じくらい。湿度が低く歩いて回るには快適。大小の野外劇場、図書館、道路、水洗トイレ、売春宿へ案内するマーク、高官の住宅などが残る。そのいずれもがついこの間まで使われていたようで、現代の都市と変わらぬ姿に驚くばかり。

◆上段:ニケのレリーフ  下段左から:オデオン(野外劇場)、市公会堂、売春宿案内のマーク、公衆トイレ

 ケルスス図書館の建物の豪華さ、メインストリートのクレテス通りの街並み、路面のモザイクなど目を瞠るばかり。この遺跡を見ただけでもトルコに来た甲斐があったと思わせる。野外大劇場は径150m、観客席50段、25000人収容でトルコ1の大きさ。猛獣と剣闘士の闘いの場としても使われた。客席の上段から見下ろし、そのスケールを実感。帽子を飛ばされそうな強い風が吹いていた。

◆ケルスス図書館 

◆左:クレテス通りの街並み  右:モザイクの路面

◆トルコ一の野外大劇場

◆トラヤヌスの泉

◆左:パドリアヌス神殿  右:ヘラクレスの門

 アルテミスの神殿は、紀元前6世紀の築。往時、128本の柱が建っていた。今は、僅かに1本を残すのみ。柱の天辺にはコウノトリが営巣していた。ヒナ2羽の姿が見える。

◆「古代世界7不思議」の一つとして名を馳せた、アルテミス神殿跡

 夕食後、エーゲ海に落ちる夕陽を鑑賞。リゾートホテル。中国人団体客の奇声が夜遅くまで続く。

◆クシャダスのホテル前 エーゲ海に落ちる夕陽

以下、トルコ紀行・中編へ続く。

 

 

 

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