寿禄短歌の会 市丸幸子(5)

      2024/02/06

※コラムの広場「短歌をはじめました」からこちらへ引っ越しました。

 初めて短歌を作ろうというとき、苦労するのは文字数ですよね。廣渡さんの一首「ゆたかなる 日本のことば あれこれと 試し楽しみ みそひともじを」(※ひとつ前の原稿参照) のように、言いたいことを五七五七七のそれぞれにあれこれ試しながら当てはめ、それを楽しめると良いのですが、楽しみの境地に至るまでには時間がかかりそうです。
 そこで廣渡さんがご提案くださっている"言葉遊び"のようなことを、私も古くからある「いろは歌」で試してみました。

 
◎京都市東山区粟田口 粟田山荘

【粟田山荘】1937年、京都東山三十六峰の一つ粟田山の山裾に、西陣織の織元・細井邦三郎の別荘として造営された数寄屋造りの山荘。1976年~2021年までは「京都ホテルオークラ別邸」として、国内外の賓客や著名人にも愛された高級料亭旅館であった。890㎡の庭園「石翠」は、近代の京都を代表する庭師・小川治兵衛の作庭。 ※現在は営業停止中

 実は私、粟田山荘には思い出があります。新型コロナが世界中に広がる直前の2019年夏、京都の五山送り火を見学する8月16日の夕食を、粟田山荘でとれないかと予約を試みたことがあったのです。もちろん大人気の料亭の予約が簡単に取れるわけもなく、そのまま忘れ去っていたのですが…。まさかコロナのため業績不振に陥り、営業停止になっていたなんて! 一度は訪れてみたかった憧れの高級料亭に惜別の思いをこめて、こんな歌を詠んでみました。※いろは歌をもじっています。

 
◎左京区上高野 初めての下宿

 大学入学で入居した下宿は、比叡山電車の「三宅八幡」で下車、60代の京美人が管理される古い京町家で、窓からは遠くに比叡山が見はらせました。周囲には店もなく、通学に時間はかかりましたが、初めての一人暮らしを、こんな洛北の鄙びた地で過ごせたことはラッキーだったと思っています。京都では不思議なことに、大学の年次を1回生、2回生…と呼ぶのですが、私は1回生と2回生の2年間をここで暮らしました。

 
◎左京区聖護院山王町 ジャズスポットYAMATOYA

 ジャズ喫茶は1970年代に流行し、クラシック音楽を聴かせる名曲喫茶と若者たちの人気を二分。最盛期には京都市内に40軒ほどの店があったそうです。当時のジャズファンの若者にとって、一杯の珈琲でスイングしながらレコードを聴き、ジャズ発祥のアメリカにイメージを飛ばせるただ一つの場所がジャズ喫茶だったのです。その熱狂がいつしか衰退し、ジャズが若者たちに定着しなかったのは不思議で仕方がありません。

 YAMATOYAは、喫茶とバーを備え、ジャズの店としては珍しく会話OK。それでも大きな声での会話は遠慮が約束のため、恋人たちのおしゃべりは必要最低限、ささやくようなひそひそ声でした。 ※京都に残るジャズ喫茶は現在8軒。YAMATOYAはその1軒として今も現役です。

 
◎京都・片泊まりの宿

 京都の宿泊先として人気なのが、一泊一食の朝食だけが付いた、知る人ぞ知る「片泊まり」スタイルの宿。夜は宿を出て、夜桜見物などそぞろ歩きを楽しみながら街なかで食事をし、朝食は各宿自慢のおばんざいを味わう…。そんな魅力いっぱいの宿は、宿泊費もリーズナブルです。

 この歌は体験に基づくものではなく、村越孝蔵の「踊り子」の歌詞にある、「バス通り裏の路地行き止まりの恋だから…」の歌詞にヒントをもらった100%妄想の産物。そのため言葉をこねくり回したきらいがあり、あまりいい出来とは言えません。(笑)

 
◎JICA海外協力隊・7人の技師無言の帰国

 2016年7月、バングラディシュテロの犠牲になったJICA海外協力隊の技師7名の方々の柩が、羽田空港に無言の帰国をしました。時候は7月、野も山も人々もみな晴々と輝くばかりの初夏。そのまぶしいほどの輝きが、柩到着の悲痛なニュースとあまりにも落差があり、心が塞がれる思いでした。

 ここの一首だけ京都とは無縁ですが、自国の建設と発展をサポートするため、はるばる技術協力に来てくれた方々の志を知りながら、よくもそんな仕打ちができるものだと、テロリストへの怒りを歌にしたものです。

 

 

 

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