啄木賛歌〔下〕new

   

 

 『胡堂と啄木』、アマゾンで注文したよ。明日当たり届くかな。ずいぶん面白い本だと評がでていた。二人は盛岡中学校の先輩、後輩なんだね。

 啄木と北海道、じつは、大学1年の夏休みに、啄木の北海道遍歴のあとをたどって旅行しようと計画した。『北海道の旅』という文庫本を買い、旅行用にリュックも買い、結局実現せずに、いまに至った!

 啄木の歌は、高校1年のときの、雑誌『高校コース』5月号付録「高校生活教養文庫・青春啄木選集ー短歌・詩・日記・手紙と伝記」石川正雄編(1961年5月刊)、がもっぱら情報源だった。いまでも持っているよ。

 1978年に改造社版の石川啄木全集全5巻の復刻版がノーベル書房から刊行されて、それを購入した。ずっと積読だったけど、思い出して引っ張り出した。27年間の短い生涯で、よくこれだけのものを残したと感じいるね。

あと、2つ。

 これ、若き日の自分が心の底から共感した歌。この歌の「君」は妻になった節子ではなく、函館の弥生尋常小学校の同僚教師だった、橘智恵子だったとか。啄木は、奔放多情の人なんだね。

 文春新書『新・百人一首-近現代短歌ベスト100』(2013年)、岡井隆、馬場あき子、永田和宏、穂村弘の4人が選んだ歌を収録している。もともと2013年の正月の月刊文芸春秋に座談会として掲載され、それが、とても面白かったので、これを買った。皇后美智子さんの歌もとられている。
 もちろん、啄木も選ばれているけれど、この4人が一致したのは

 啄木の歌の良しあし(好きずき)の評価は、専門の歌人と一般ファンのギャップが大きいと、選者たちが言っている。そうかもね。

 

【編集部追記】
高校時代の文芸部の写真です。(卒業アルバムより)

 

 僕も『新・百人一首』を読んでみようと思ったらアマゾン、honto、楽天のどこも品切れ、入荷待ちだった。しかし、文春のホームページで見ると絶版というわけではない。おそらくコロナウィルスによる自宅待機の影響で、今は本が売れているのだろう。ということで、アマゾンのマーケットプレイスに出ていた中古本を注文した。1日に注文して届くのは11日頃らしいが、これはウィルスよりも連休の影響だろう。

 廣渡の記憶はしっかりしているな。ぼくの場合、学生寮の1年の時に啄木の本を買ったこと、そのケースが白かったこと、本屋には同じシリーズで他の作家の著作も沢山並んでいたこと、そして当時としてもすごく安かったことは覚えているのだが、買った後でそれをいつどういう風に読んだかの記憶がまったく残っていない。まさか積読のまま処分したとも思えないんだが。

 したがってその本で新たに啄木の短歌を知ったり記憶したりした記憶もない。ぼくの場合、ほとんどの歌は新聞、雑誌、その他の一般的な本を読んでいるうちに見つけて、そのうちの一部がいつしか記憶として定着していったような気がする。「君に似し‥」の歌などは、もしかしたらかつて廣渡から教えてもらったのが記憶に残っているのかも知れない。

 

 先刻、『新・百人一首』が届いた。予告よりは早かった。しかし、明治天皇から始めるかねえ。まあ、本物の百人一首が高位高官だらけだから仕方ないか。

 啄木の「やはらかに・・」と「不来方の・・」の二首にはまったく異論がない。この二首は別に専門歌人じゃなくても好きだと思う。でも、「やや長き・・」だったらもっと良い歌がありそうな気がする。

 啄木の次にぼくが好きなのは与謝野晶子だけれど、好きな歌は選ばれた歌にも巻末の選者座談会でも取り上げられていなかった。

なんだけれどね。

 この歌、知名度でも好感度でもナンバーワンだと思っていたのだが違うのかな。
あとはゆっくりと楽しむことにする。

(註:『新・百人一首』では歌人の代表作一首に加えて「さらに読みたい」秀歌二首、すなわち合計三首の歌が紹介されている)

 

 新百人一首で、はじめて知った白秋の歌

がよかった。情景もいいが、ことばのひびきが綺麗。

 

 この歌、知らなかった。でも、たしかにいいね。考えてみたが、白秋の歌は一つも思い出せなかった。というより、そもそも知らない。
 「さらに読みたい」の秀歌2首も、記憶にない。

 ただ、からまつの詩は昔から好きだ。今は一番しか思い出せないけれど。

 白秋が惹かれたのは軽井沢の落葉松らしいが、ぼくが好きなのは上高地の落葉松。晩秋から初冬にかけては、木の葉だけでなく林の中の大地も真っ黄色に染まる。近年は毎年のように訪れているが、この3回ほどは秋だ。

 

 黒川は、ワンゲル部だったし、山歩きは得意だね。僕のつれあいは、松本産なのに、上高地は1回しかいったことがない。白秋のからまつの詩、小学生のころ、ぼくの住んでいたお寺に下宿していた九大医学部の学生さんが、これを教えてくれたという記憶があるよ。

 与謝野晶子、「肉感的な」という表現がいいかどうかはともかく、「柔肌の・・」、「髪五尺・・」なんて、高校生には刺激的。

 

 たしかにね。与謝野晶子のいくつかの歌は、当時のぼくらの現実よりもかなり華やかな世界から、下界のぼくらを大胆にと刺激、挑発しているかのようだった。

 さて、『新・百人一首』を読みおえての感想。たしかに、知らなかった良い歌がたくさんあった。恥ずかしながらぼくの知識が、高校か大学の時点からほとんど進んでいなかったということの確認にもなった。
 同時に、あらためて啄木という歌人の魅力を感じることにもなった。選者たちの「まえがき」や「座談会」に、「カルタになって」とか「ぜひカルタにして」とか、ぼくが気づいただけで3カ所「カルタ」という言葉が出てくる。小倉百人一首を念頭においた企画だから、ある意味で当然だろう。しかし、文芸春秋社がこれを「新・百人一首カルタ」として売り出したとしても、あまり売れたとはぼくには思えない。

 他方で啄木なら、当然のようにカルタがある。実のところ、我が家にも一組ある。買ってきたのはぼくじゃなくてかみさんだけれどね。
 思えば、廣渡と白水が高校時代にやったような、ぼくが妄想の中でスナックの酔人たちにやらせたような遊びができるということは、同時にカルタにして遊べると言うことでもあるんだね。どちらも熱心なファンがかなりの数いないと不可能だろう。

 

 啄木のカルタ、ぼくはもっていない。ひょっとして、盛岡の啄木記念館かどこかで買えるのかな。

 

 ネットで調べてみたら、盛岡の啄木記念館では25首と100首の2つの啄木カルタを販売している。「啄木カルタ」と検索すると、絵入りのきれいなカルタが出てきたから、おそらく記念館のカルタもそれだろう。また記念館では、毎年啄木の誕生日に「啄木カルタ大会」を開催しているそうだ。

 なお、我が家にあるかなり前に購入した啄木カルタは文字だけのそっけないカルタで50首100枚だ。50枚は詠み上げ用に小さな字で全文、他方は取り札で大きな字で下の句だけ。
 だから啄木カルタは今まで少なくとも3種類出版されていることになる。ただし、我が家のカルタはもう絶版らしい。アマゾンで調べたら古書として売っていた。しかし、今買うのなら記念館で絵入りのが欲しいな。

 

 そうなのか。
 盛岡は、啄木と賢治が売りで、一度つれあいと訪ねたけれど、とてもよかったので、もう一度行きたい思っている。楽しみが増えた。コロナが落ち着いたらね。

 上5句だけで引用した歌の全文

- 完 -

 

 

 

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