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北海道の思い出

      2016/06/21

馬渡 和夫

ほっかいどう木馬渡

通算18年間の北海道勤務

私のサラリーマン人生は、文字通り北は北海道から南は九州、鹿児島まで転勤族として動いた。任地と勤務年数は以下のとおり。
北海道苫小牧市(1年)→名寄市(4年)→北見市(3.5年)→苫小牧市(1.5年)→愛知県春日井市(10年)→鳥取県米子市(6年)→北海道苫小牧市(3年)→釧路市(3年)→苫小牧市(2年)→東京都江戸川区(1年)→鹿児島県鹿児島市(4年)

39年間の勤務の中で、通算18年を北海道で暮らしたことになる。私の大学での専攻は農学部林学科であり、39年のサラリーマン人生の大半を専門分野の山林の仕事に就くことが出来て本当に充実した生活を送る事ができた。
今回のエッセイでは、北海道の思い出を寄稿してくれとの事であるが、思い出が次から次に湧いてでてくるので、前半の10年のうち名寄までの思い出に絞って記すことにした。

「山林企画室技術課員」を拝命

1968年(昭43年)4月、王子製紙㈱に入社、5月末、任地の苫小牧に到着した。6月1日苫小牧工場に出勤して辞令を交付された。苫小牧工場山林企画室技術課員を命ずるとあった。 写真は苫小牧工場全景81

入社当時苫小牧工場の製紙原料は未だほとんど国産材(道産材)であり、新聞古紙もまだ開発されておらず、山林の仕事は工場の中で重要な位置づけにあった。私が配属された山林企画室の仕事は、山林伐出作業の生産性を如何にして向上させるかを検討、実践する部門で、立木の伐採、集材、玉切り、丸太のトラックへの積込み、市場までの輸送等あらゆる作業工程の効率アップのため、どのような作業をするか、作業機械は何が良いか等に取り組み、効率の上がる林業機械や作業方法を下記、合理化センターで実証して、北海道各地に普及させていた。

1週間くらいして、苫小牧から1.5時間位北上した栗山と言う場所に木材の伐採現場である「栗山伐出合理化センター」に行くようになった。毎週月曜日に汽車に乗って栗山に行き、82金曜日までセンターに宿泊して山林の伐採搬出現場の状況をしっかり観察して、そのノウハウを勉強することが私の仕事であった。6月から翌年の3月まで伐出作業の方法を勉強して、翌年4月辞令がでた。苫小牧工場山林部旭川山林事務所名寄出張所へ異動になった。

写真の裏に添え書きがあった。
「1969年3月 ある日の君と元気なおじさん 栗山合理化センターの一隅にて」

厳寒期マイナス30℃の名寄出張所

名寄という地名をご存知ない方もおられると思うが、ざっくり言えば旭川と稚内の中間に位置している。人口は当時約3万人、盆地であり、夏は30℃まで気温は上がり、真冬はマイナス30℃まで下がる所で、稲作の北限地域でもある。11月末から雪が降り始め3月まで積り、4月から融け始める所である。

11月頃から、細かい雪のような虫(雪虫)が飛び始めるとそろそろ雪が降り始める。ゆきむし名寄の社宅は雪捨て場が狭いため、翌年の1月いっぱいは除雪して、雪捨て場も確保できるが、2月ぐらいから雪捨て場も満杯になり、それ以降は降る雪を踏み固めるしか出来なくなる。よって外から玄関に入るには踏み固めた雪の階段を2~3段下りて玄関の扉を開けるようになる。また、先日の寒波で福岡でも水道管の凍結により、断水状況が長引いた所もあったが、北海道では寒冷地仕様として、冬場の水道使用後は、蛇口からつながる水道管の途中に水抜栓と言うレバーがあり、そのレバーを「水抜」の位置まで動かすと水が地下深くまで落ちて、寒くても凍結しない構造になっている。

車のエンジンをかけるのも一苦労

ある程度雪が積もった翌朝、出張の予定があれば、通常より1時間ほど早く起きて、駐車場までの道路を除雪し、駐車場の前面を除雪して車にたどり着く。それから車のエンジンをかけるのがまた一苦労する。83当時の車のエンジンもマイナス15℃くらいから、かかりが悪くなってくる。チョーク少しひいてアクセル押し気味にしてエンジンキーを回すと、タイミングが良ければエンジンがかかる。何回もトライして失敗すれば、エンジンのかかった車からブースターケーブルによる充電から再開となる。

名寄出張所社宅の除雪作業

3万ヘクタールの社有林で木材伐採を監督

事務所の原料集荷範囲は4地域に別れており、私は天北地区担当となった。こくてつ天北線地図でいえば音威子府(おといねっぷ)から稚内までの太平洋側で当時は国鉄の天北線沿いの地域である。そこには会社所有山林が3万ha以上あり、その社有林から伐採搬出される材の監督や、国有林から処分されるパルプ会社向けの被害立木の伐採監督などをやっていた。

国有林から処分される被害立木とは、台風、強風などで倒れた立木で、このまま放置すれば、倒木に虫が入って腐れたりするので、できる限り迅速に森林の外に搬出してパルプ材として使用する必要があった。毎年、被害木調査を、国有林の職員さんと山に入って調査した。調査期間は1ヶ月、毎朝旅館でお昼の握り飯を作ってもらって、1日中、被害木調査である。山の中には根曲がり竹が地表を覆って、至るところに生えており、歩きづらい事この上なく新品の調査用の靴が1ヶ月でボロボロになった。

山調査で一番歩きやすい時期は3月~4月にかけてで、84この時期は積もった雪が溶け始めながら朝晩は凍りつくので、雪が固いアスファルト状態(業界用語で、かたゆき)になり、悩ましい根曲がり竹も雪の下で調査は夏場の調査の倍以上効率がよかった。

写真は山林調査に出発するところ

山林屋を悩ませるヒグマとの遭遇

山林の調査とは、その山からどれだけの数量が市場に出材されるかを計算して、最終的にはその山が金額的にいくらに評価されるかを決める仕事である。見かけ上は太くて立派な立木であっても、いざ伐倒してみると芯が腐れていたりするものもあり、色々失敗を重ねながら山林の評価を続けて、山林屋(別名山師と呼ばれることもある)の経験と感が養われる。

山林の調査をしていた時、沢沿いに下った場所に大きなトドマツ(本州ではスギ、ヒノキが針葉樹では一般的であるが、85北海道ではエゾマツ、トドマツが主体である。)の立木があった。その木を見て誰かが叫んだ「クマの爪痕だ。」確かにクマが爪を研いだ痕が刻まれており、近くに乾いた糞も見つかった。

写真はヒグマの爪痕

山に入る時、大きな音の出るカウベルのようなものを腰につけて入るが、この日は忘れていた。この時から皆大声を出しながら調査を続けて、事なきを得た。幸いなことに北海道に勤務した最初の10年間は結構、山に入る機会があったが、クマに直接出会う事はなかった。北海道のヒグマは本州にいるツキノワグマに比して、ひと周り大型であり且つ獰猛である。当時福大ワンゲル部の人達がクマに襲われて亡くなる事故もあり、他人事ではないと思った。

夢のように美しい道北の春

道北地方の自然は冬が厳しいが、雪が溶けて新緑が芽吹く頃になると、野生の花々が咲き乱れる。稚内近くのサロベツ原生花園では黄色いエゾスカシユリが一面に咲き、そこから眺める利尻富士は圧巻である。食べ物ではやはり毛蟹が一番美味しい。現在では季節を問わずいつでも食べられるようだが、昔は4月~5月が旬でしかも安くて沢山食べた。

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