信 貴 山 断 食 道 場 で 考 え た こ と

      2016/09/02

市丸 幸子

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連載エッセイ

恋に疲れたお姉さんは、甘いケーキの夢を見る?!

食事のあとは、横に座った少しだけ年上に見えるお姉さんに誘われて、彼女の部屋におじゃますることに。

彼女は新潟から来た人で、しっとりと落ちついて道場生の中でも目立つ存在。
大人っぽく見えるけど年は二つ上の23歳。
南国系キューピー顔の私とは大違いの雪国美人です。
スリムだし、色が白く、女の目から見てもうっとりするようなウル肌で、断食なんか必要ないように見えるんだけど・・・。

聞いてみると、長く付き合ってる彼氏との関係が煮つまってて、「もう~、疲れた!」という状態らしい。ちょっと距離をおいてクールダウンすれば、「何かが変わるんじゃないか」と、断食にやって来たのだそうです。

今日で本断食2日目で、今が一番苦しいとのこと。
「彼とは高校時代からずっと一緒だったから、淋しくてたまらないんじゃないかと心配だったけど、この3日間彼のことを考えるどころか、夢にだって出て来ないの。
昨晩なんかね、彼氏の代わりに、ケーキに囲まれてニコニコしてる夢をみたのよ」ですって!  @^▽^@ あははは。彼氏、ケーキに惨敗!

ケーキ2

「ところで、貴女タバコ吸う?」
「ダイエットのためときどき、でも買い忘れてしまって・・・」
「でしょう~、でも分けてあげるから大丈夫、ほーらね!」とバッグの中から取り出したのがセイラムの山。
「本当はタバコも没収なんだけどネ」とにっこり笑うお姉さんは、見かけによらずとってもお茶目な“不良”なのでした。

連載エッセイ

頭痛、ねむ気、脱力感は「排毒」のサイン。

2日目からいよいよ「本断食」ですが、本断食といっても一応朝夕2回の食事はあります。

希望によってリンゴジュース、片栗粉を椎茸のだし汁で溶いたもの、実の入っていないみそ汁などが選べ、これだけが命綱です。あとは、朝の清掃のあとに飲む番茶だけ。
空っぽになった体に、食材(といっても固形物はカケラもない)のほのかな香りや甘みがじんわりとしみ渡って、一杯のリンゴジュースやだし汁が、あんなに美味しくありがたく思ったことはありません。

きのうは初対面の人たちが、新入りの私の食事にコメントをしたり、チラチラ見られることに驚いたけど、逆の立場になると、自分も同じことをしたりして…。

本断食1日目は空腹感もほとんど感じなかったのですが、苦しかったのは2、3日目でした。

朝起きた時から全身がだるく、着替えをしたり歯ブラシを口まで持っていくのも億劫な感じ。
頭はズキズキ、立ちくらみはするし、何だか無性に眠いし・・・。
で、考えることは食べ物のことばかり。
はっと気が付くと、ノートに食べ物のイラストを書いてたりして。(〃∇〃)

不思議なことに、こんな時思い浮かぶのは「仔羊のタイム風味 フォちゃーはん2アグラのラヴィオリ添え」とか「トマトとアボカドのソルベ」とかじゃ絶対なくて、焼肉とか炒飯とか鍋焼きうどんとかおはぎとか・・・B級なものばかり。(ノ∀\*)
人間追いつめられると、自分で自分が分かりません^^。

ところで断食2日目くらいに体調が悪くなるのは、体内に溜まっていた毒素や老廃物が押し流され、「排毒=今で言うデトックス」が始まったサインだとか。

排毒! なんて素敵な響きかしら!!

お母さ~ん、お父さ~ん、幸子は仕送りして貰ったお金でこんなところで「排毒」をしてるんだよ~!! ありがとね~。
と、福岡の空に向かって手を合わせた(気持ちだけ)のでした。

連載エッセイ

踏み越えてはならない一歩、キッチンに忍び込む。

本断食2日目の夜、あまりの空腹感に朦朧となった私は、フラフラと本館へ。みんなが自室に引き上げて真っ暗な食堂のとなりにあるキッチンに忍びこみました。見ていたのは、窓の月だけでした。

★この辺は、アンデルセンの「絵のない絵本」風の情景描写・・・。

えのない絵本

リンゴの芯でもいい、皮でもいいから、落ちてないだろうか・・・。

その時、「誰だっ? 何をしてる!」と声がして、入り口に白衣を着た人がボ~~ッと浮き上がって見えました。 道場長でした。 (゜_゜;)タラ~

((((((((;゜д゜)))あわわわわ。

その場をどう取りつくろい、道場長の横をどうすり抜け、部屋に逃げ帰ったか今はもう覚えていません。は~~っ、恐かった! というか、恥ずかしい!!

ここで、記憶は8歳の頃にフラッシュバックします。
小学校で火災非難訓練があった時のこと。

「火が出たゾ~、みんな非難して~!」の声を合図にぞろぞろと非難する子供たち。
一度教室を出た私は、何を考えたか、人の流れに逆らってもう一度教室に入っていったのです。可愛い下敷きだったか、ノートだったか、とにかく大切なものが燃えないよう、持ち出さなくっちゃと思ったわけですね。自分のことながら、意味がわからない^^。

その日のホームルームで先生は、「今日の避難訓練で、燃えさかる火の中に戻っていった者がいる!」(燃えさかってないし・・・。)ここで私の方をチラッと見て、「焼け死ぬぞ~~~!!」と、大きな声で言ったのです。
(絶対に、死なないし・・・。)

そんな思い出がよみがえり、次の朝の講話の時間、きっと道場長は、「昨日の夜、キッチンに忍び込んだ人がいます。修業が足りませんね」とか何とか言われるものと覚悟をしていたのですが・・・。

道場長は私のことを、特に厳しく睨むでもなく、慈愛の目を注ぐでもなく、まるで何ごともなかったかのように、ただ淡々と講話を続けられるのでした。

連載エッセイ

ムガール帝国の末裔、ムガールさんのこと。

道場には全国からいろんな人が集まっていましたが、中でも目だっていたのが、パキスタン人と日本人のカップル・ムガール夫妻。日本の歴史や「正食」に興味があり、年に2、3度夫婦揃って4~5日間の断食をしているとのことでした。

ムガールさんは、16世紀から19世紀にかけて、中央アジアに一大帝国を築き上げたムガール王朝の末裔。帝国滅亡のとき、イギリス軍によって皇帝一族が皆殺しにされた中、第7皇子だったムガールさんの曽々祖父だけが命を長らえたとのこと。世が世であるなら、きらびやかな宮殿に暮らす王侯一族というわけです。

ちなみにムガール帝国絶頂期の遺産として残っているのが、あの白亜の霊廟タージマ・ハール。第五代皇帝シャー・ジャハンが愛する王妃の死を悼み、毎日2万人の職人を動員し、22年の歳月をかけて建設。おまけに完成したら、他に同じような建物が建たないようにと、口封じに関係者を皆殺しにしたというとんでもないご先祖もいたりして・・・。

当代のムガール氏は頭脳明晰、いまだに女の子のミニスカートを見るとドキドキするというようなシャイな人。パキスタンの大学で日本語を専攻し、招待学生で日本に留学中に奥さんと恋に落ちたということです。

パキスタンみたいな“危険な国”には嫁にやれない!
ムガール一族としては、イスラム教以外の女性との結婚は認められない!

当然両家は絶対反対。民族とか宗教とか、ムガール家の血統とか、気の遠くなるような問題を一つひとつ解決し、結婚にタージマハル2こぎつけたとのことです。
その理由が、コーランには「人を愛してはいけない」という教えはないから・・・。

「でもパキスタンに帰れば、きっとエリートコースを歩むセレブだったはずなのに、日本でペルシャ絨毯など売っていていいのかしら・・・」などと、余計なお世話の心配をしていると、後日二人から「あなたにも、きっと運命の人が見つかりますよ」という手紙を添えて、うちのアパートにはもったいない、素敵な玄関マットが送られてきたのでした。

つづく

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