ボヘミアの古都プラハ・ベルリンとドナウ旅情(5)

      2022/09/01

- ヴルタヴァ(モルダウ)川とチェスキー・クルムロフ城 -

 
 

 

旅は5日目、プラハからウィーンへ

 2007年5月25日、旅は5日目に入る。今日も快晴。朝食前、ホテルの周辺を散歩。出会った同行の夫婦、昨日カフェで愛想の悪かった店員が、チップを渡した途端てのひらを返すように愛想がよくなったとあきれて話していた。

 8時過ぎ、2連泊したチェコ・プラハのホテルを出発。昨日迷子になった1人旅の女性が皆に謝っていた。豊かな森に包まれたボヘミアの大地をドライブ。どこまでも続く麦畑。ときどき現れる赤いケシ(ポピー)の花の大群落。単調な景色、バスの心地よい揺れに寝不足が加わり、どうしても寝てしまう。途中立ち寄るドライブインは、どこも女性用のトイレが少なく、いつも長い列ができる。町の店より安いので、土産にとたくさん買いこむ人が多い。

 

時の流れに置き忘れられ、中世の街並みが残された

 12時近く、チェスキー・クルムロフ着。運転手が道を間違える。ずいぶん先まで行って、Uターンしてレストランへ。マスのムニエルの昼食。薄味で思いのほか美味しい。ビール(300cc)と水が同じ30コルナ(200円)。熱いスープ、野菜サラダ、メインの料理が間を置かずに出てきて、ゆっくりビールを味わっている暇もない。

◆昼食 マスのムニエル

 チェスキー・クルムロフは、13世紀、S字を描いて流れるヴルタヴァ(モルダウ)川畔の高台に城が築かれ、平地に町が造られた。14世紀からロジェンベルク家によって町は発展する。18世紀に名門貴族シュバルツェンベルク家に支配されて、城はプラハ城に次ぐ大きな城となった。19世紀末から町は廃れ、近代化に取り残されたことで中世ルネサンスの街並みがそのまま残り、1992年世界遺産に登録された。

◆チェスキー・クルムロフ旧市街

 市庁舎前広場や教会を巡り、2時過ぎからチェスキー・クルムロフ城を見学。
 チェスキー・クルムロフ城は、13世紀前半に領主クルムロフによって創建され、14世紀にルネサンス様式に建て替えられた。現在も13世紀前半の城の最も古い部分の太い円筒形の建物が残り、町のどこからも見ることができる。ルネサンス様式の部分と17~8世紀に付け加えられたバロック様式の部分が見事に調和して、ひとつの城を形作っている。

◆ヴルタヴァ(モルダウ)川とチェスキー・クルムロフ城

◆チェスキー・クルムロフ城と旧市街

◆左)城のシンボルとなっている塔、右上)町のどこからでも城の塔が見える、右下)壁の塗装も見ごたえがある

 予約時間に遅れ、後のグループと合体して60人を超える大人数で廻る。後のグループのガイドは185㎝の長身のチェコ人。流暢な大阪弁で面白おかしく案内する。我がグープはスマートなチェコ美人。英語でガイドし、添乗員が通訳。近くで雷が鳴り、雨になりそう。

◆左)旧市街の中心スヴォルノスティ広場、左に見えるのは市庁舎 右上)チェコの美人ガイドさんと、日本語は話せない 右下) ラゼブニツキー橋から見るヴルタヴァ川と旧市街

◆スライドショー:城内見学(横4枚)

 

ドアや窓、レンガの壁も・・・目を欺くだまし絵の迷宮

◆精巧さに目を見張るだまし絵の壁

◆スライドショー:チェスキー・クルムロフ城から見る旧市街(横4枚)

 

世界中の音楽家・音楽ファンが憧れる音楽の聖地

 3時半出発。一路オーストリアのウィーンへ。4時7分、オーストリアとの国境を越える。チェコとは明らかに違うのを感じる。売っている物も建物も、雰囲気もあか抜けている。

 素晴らしい景色が続くが睡魔には勝てない。7時過ぎ、ウィーン市内に入る。7時40分ウィーン国立歌劇場(オペラ座)前へ。2004年にオーストリア周遊の旅で訪れており、懐かしさを感じる。妻はあれこれよく覚えていて、いつの間に約束したのか明日の自由時間に初めての人たちを案内して回ると張り切っている。

◆ウィーン国立歌劇場(オペラ座)は、世界三大歌劇場の一つに数えられるオペラの殿堂。モーツァルト作曲の「魔笛」や「フィガロの結婚」、ヴェルディの「アイーダ」、プッチーニの「ラ・ボエーム」や「トスカ」などの作品が日替わりで演じられる。写真はライトアップされたオペラ座。

 7時50分、レストランへ。スープとウィーン名物ウィンナーシュニッツェル(カツレツ)の夕食。シュニッツェルは仔牛肉をミートハンマーで叩いて薄くし、細かいパン粉をつけて揚げたもの。日本の豚カツのように多量の油を使用する揚げ物ではない。ドイツ、オランダ、東欧から、イスラエルやトルコにかけての西アジア圏でも盛んに食べられている。白ワイン1/4が4.5ユーロ(770円)、黒スグリのジュースが3ユーロ(510円)。

◆左)夕食のレストラン、右) ウィーン名物・ウィンナーシュニッツェル(ウィーン風カツレツ)

 旅の6日目、5月26日。蚊に刺されて目が覚める。全身10数ヶ所刺されている。窓を閉め、耳元を飛ぶ蚊を退治して再び眠りに落ちる。

 朝、カーテンを開け、部屋からの眺めが素晴らしいのに驚く。遠く村の教会の塔が見える。6時半、ほとんど人のいないレストランでゆっくり料理を選んで朝食。

◆5月26日 朝食

 部屋から見えた教会へ散歩に出かける。町の中の大きな教会と違って、村人の日々の暮らしが目に浮かぶような素朴な感じがして、また趣がある。

◆左)村の教会へ食後の散歩に、右上)教会の内部、右下) 教会近くの民家

 

華やかな歴史の舞台となったハプスブルグ家の夏の離宮

 8時20分、ホテルを出発。今日も快晴が続く。8時50分シェーンブルン宮殿着。予約していた9時12分に入場。シェーンブルン宮殿は、マリア・テレジア・イエローの外観と繊細なロココ様式の内装をもつオーストリアを代表する豪奢な宮殿。

◆スライドショー:シェーンブルン宮殿(横4枚)

 シェーンブルン宮殿は、レオポルト1世の「ヴェルサイユ宮殿をしのぐ宮殿を」との要望によりフィッシャー・フォン・エアラッハが設計した。しかし、あまりにも広大な構想だったため財政難や戦争により建築は中断。元は17世紀の壮大なバロック式建築であったが、後を継いだマリア・テレジアが規模を縮小し、子供たちの住居にするために改造。ロココ調の様式を加え1749年夏の宮殿として完成させた。「美しい泉」の名をもつ宮殿は、ハプスブルク家の人々が公務を離れ、家庭生活を楽しむ寛ぎの場であった。

 後のフランス国王ルイ16世の妃マリー・アントワネットが、幼いモーツアルトにプロポーズされたのも、「会議は踊る」で有名なナポレオン敗退後のヨーロッパ情勢を決める会議が開かれたのも、この宮殿2階の大ギャラリーだった。

 緑に映える宮殿は、部屋数1,441室、使用人は1,000人を超えていた。日本人ガイドの案内で 40いくつかの部屋を巡る。3年前に来ているがほとんど覚えていない。宮殿内部は写真撮影禁止。

 宮殿の後方に、花壇と並木道で構成される1.7㎢の庭園が広がっている。宮殿と同時進行で造られ 1705年に完成した。1765年に改修、今に残る優美な庭園となった。

◆左) シェーンブルン宮殿と庭園、右) 庭園 右手奥の高台に聳えるグロリエッテ

 グロリエッテは、広大な敷地の中央にある小高い丘に立つギリシャ神殿風の建物。当初この丘は宮殿の建設予定地だったが、経済的な理由で変更され、1757年マリア・テレジアがプロイセン戦勝利を祝い、戦没者慰霊のために建設した。屋根の上には、皇帝の象徴である鷲が大きな翼を広げている。

◆左)グロリエッテ かつて女帝がここで好んで朝食をとり、今はカフェになっている 右)シェーンブルン宮殿 マリア・テレジア・イエローの外壁が美しい

◆左) 宮殿正面左翼の建物の前、右) 白い2本の塔の間が宮殿の入り口

 11時前出発。10分ほどでオペラ座前へ。世界三大オペラ座の一つで、音楽の都ウィーンを代表する建物。リング通りに面して立っている。ルネサンス様式。1869年宮廷歌劇場としてオープン。杮(こけら)落としにモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」が演奏された。第2次世界大戦で全焼し、1955年に再建された。

◆左) オペラ座前、右上) 日本人がよく立ち寄る免税店「ワルツ」、右下) リング通りをバスで巡る 車窓から見た国会議事堂

 近くの免税店「ワルツ」で、岩塩を土産に買う。バスでリング通りを回り、12時20分過ぎウィーンのシンボル「シュテファン大聖堂」へ。

 

モーツァルトの結婚式と葬儀が行われた大聖堂

 12時30分入場。ちょうど荘厳なミサが行われていた。大聖堂は1147年にロマネスク教会として建設され、14世紀にルドルフ4世の命で大々的に改築。ゴシック様式の大教会となった。旧市街歴史地区の中心にひときわ高く聳え、荘厳なる姿でウィーンの街を見守っている。

 寺院内部は度重なる改築の結果異なる建築様式が混在し、ゴシックやバロック様式の彫刻で飾られている。色鮮やかなステンドグラスから光が差し込み、美しく輝いている。
 高さ137mの塔と屋根のモザイク模様が印象的。東側の屋根にはハプスブルク家の紋章である双頭の鷲が描かれ、西側にも2種の紋章がある。72mにある監視塔に登るとウィーンの街を一望できる。

◆スライドショー:シュテファン大聖堂とその内部(横6枚、縦1枚)

 

 

◆左) シュテファン大聖堂に通じるグラーベル通り、右) ケルトナー通り 街角の花屋、手前のバラは2ユーロ(340円)、

 12時45分中華レストランへ。中華料理にしては品数が少ない。ビール4ユーロ(680円)、ウーロン茶3.5ユーロ(600円)。チェコに比べ物価は高い。

- ボヘミアの古都プラハ・ベルリンとドナウ旅情(6)に続く -

 

 

 

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