ベルギー点描④ ブリュッセル前編
2020/10/21
ベルギーの首都ブリュッセルの土を初めて踏んだのは2008年7月9日の夕方4時過ぎ、アントワープの観光を終えて宿最寄りのブリュッセル北駅に降り立ったときのこと。当時1ユーロが172円の超ユーロ高で、観光に便利なブリュッセル中央駅近くのホテルは初めから選択の対象外だった。
北駅は大きな駅で右も左も分からず、しばらく辺りの景色を眺め、インフォメーションで確認してようやく方向をつかみ歩き出す。緑が多く環境のいい立地のホテルとあったが、辺りには怪しげな雰囲気が漂う。何と、赤線地帯…? 真っすぐ前を向いて進む以外にない。
どこが入り口?と思うような小さなホテルに、内心ガッカリしたが、感じのいい女性がフロントで、不安は一気に吹き飛ぶ。5時前部屋に着く。コーヒーを飲んで一息ついて外へ。駅近くで夕食用にサンドイッチを買い、明日に備えて駅周辺を下調べ。ホテルは駅の裏側にあたり、ストリップショーの小屋やいかがわしい看板の店が並ぶ、アムステルダムの飾り窓地区を小さくしたような地域だった。
ホテルに戻り、ベルギーやロンドンのテレビを見ながら食べるサンドイッチは思いの外美味しかった。明日の天気はHeavy Rainという。
7月10日朝、嬉しいことに雨は上がっていた。青空も見える。レストランはすいていて、3~4人。若い日本人女性の2人連れがいて驚く。朝食はコンチネンタル。パンとコーヒーだけの軽食を覚悟していたが、ハムにソーセージ、チーズ、ゆで卵、それにヨーグルトやオレンジジュースもついていてしかも美味。食べ過ぎようのない量なのもいい。
8時40分、ホテルを出発。小雨が降って暗く、寒い。北駅のキオスクでメトロ・トラムの1日乗車券を買う。4.5ユーロ(770円)。トラムが地下を走るメトロに乗り、2つ目のブルッケール広場で下車。見当をつけて歩いて行くと、目指すグランプラスに行き当たる。あまりに美しい広場に声を失い、しばし見とれる。現実のものとも思えぬ壮麗さである。音楽祭の準備が進み、広場の半分は塞がれていた。しかも小雨が降り続き、思うような写真が撮れない。
ヴィクトル・ユーゴーが「世界で最も美しい広場」と称え、ジャン・コクトーが「豊穣なる劇場」と称賛したグランプラスは、市庁舎、市立博物館(王の家)、ブラバン公の館、ギルドハウスの建物群に囲まれた110m×70m、一周するのに5分ほどの小ぢんまりした長方形の広場。当初ほとんどの建物が木造で、1695年フランス軍の砲撃で市庁舎を除く大半が破壊されたが、驚くべき速さで石造りの建物に再建され、1699年には現在の形になった。1988年に世界遺産に登録された。中世のギルドハウスの魅力を堪能できる。
◆グランプラスのギルドハウス群:スライドショー(5枚)
◈市庁舎
15世紀に建てられたゴシック・フランボワイヤン様式の建物。15世紀の始めにはライオンの階段と左翼しかなかったが、その後、少し短めの右翼が増築され、1455年に中央に高さ96mの鐘楼が建てられた。塔の先端に守護天使ミカエル像が黄金色に輝く。
◆市庁舎:横スライドショー(5枚)、縦写真(1枚)
◈市立博物館(王の家)
市庁舎と広場を挟んで反対側にある重厚な建物。「王の家」と呼ばれているが、実際に王が住んだことはない。パン市場だった場所に公爵家の館が建ち、16世紀前半にカール5世の命によって現在の後期ゴシック様式に変えられた。その後スペイン政庁になり、新教徒を監禁する牢獄にもなっている。
現在は市立博物館として使われ、3階には“小便小僧”の衣裳のコレクションが展示されている。
◈ブラバン公の館
金箔をふんだんにあしらった建物正面の2階部分にブラバン公爵19人の胸像が飾られているところから、ブラバン公の館と呼ばれている。1698年に建築され1882年に再建。正面は、バロックのイタリア・フラマン様式に変化をつけたコロサル様式が用いられている。イタリアの影響が強いが、駒形の屋根はフランスの影響を受けている。かつてはなめし工のギルド、製粉業のギルド、大工と車工ギルド、石工のギルドなどが使用していたが、現在はホテルや事務所、レストランなどになっている。
◈セルクラースの像
グランプラスの一角「星の家」の下の壁にブリュセル市民の英雄セルクラースのブロンズ像がある。1355年、領主ブラバン公ジャン3世が亡くなり、世継ぎがいなかったため翌年、市はフランドル伯軍に占領されてしまう。しかし、セルクラースが1356年の嵐の晩、「星の家」に片手でよじ登り、フランドル伯の旗を、正当な後継者のブラバン公の旗に取り換える。彼の英雄的な行為は市民の士気を高め、3ヶ月後に敵軍が撤退する。以来、彼は英雄として称えられ、像を左から右に触れると幸せになれると言い伝えられている。行列に並んで、幸せを祈って像に触れる。たくさんの人に撫でられ光っている。
◈カカオとチョコレート博物館
17世紀以来、カカオがベルギーに輸入され、チョコレートを特産とするまでの歴史を展示している。チョコの製作用具や、ブリュッセルの富豪が使用した磁器、銀器のココア用カップなどを見ることができる。
◈小便小僧
グランプラスから数分の所に「小便小僧」の像がある。身長が55㎝とあまりに小さく、道路から離れているので写真にもよく写らない。シンガポールのマーライオン、コペンハーゲンの人魚姫と並び世界三大がっかりスポットの一つといわれるが、いつも多くの見物人に囲まれる人気者である。この日も中国人の小学生の団体やたくさんの観光客が訪れていた。
起源には諸説ある。最も面白いのが、ブリュッセルの町が敵に包囲され、城壁に爆薬が仕掛けられた。ブラバン公の王子が点火寸前におしっこをかけて導火線の火を消し、味方を勝利に導いた。町の人達はその勇気を称え、1619年に銅像を造ったというもの。
裸の彫刻は、当時流行していたルネッサンス様式に従えば珍しくはなく、現在ほど注目されることはなかった。たくさんあった飲み水用噴水のひとつ。裸の少年が小便をしている姿かたちのおもしろさから市民に愛され、ブリュッセルの名物として、今では世界的に知られるようになった。
別名ジュリアン君は、世界一の衣裳持ちとしても有名。17世紀末オランダ総督が贈ったのを皮切りに、1747年には酔ったフランス兵が小便小僧を盗み出し、ルイ15世が謝罪のため豪華な金の刺繍入りの宮廷服を贈った。
以来今日まで日本を含め世界各国から1000着以上の衣裳が寄贈され、それぞれのお国柄を示していて面白い。この他にも一度盗難に遭ったため、オリジナルは市立博物館(王の家)に収蔵されている。現場にあるのはレプリカ。
芸術の丘から、第一次十字軍(1096年)の指導者ゴドフロア・ド・ブイヨンの騎馬像があるロワイヤル広場を抜けて、王宮へ。オランダ統治下の1829年に完成、その後手が加えられ、大理石の正面階段、長さ40mの大回廊の間などヴェルサイユ宮殿を思わせる造りになっている。王室一家が住んでいるのはラーケン宮。王が国内にいるときは屋根に国旗が掲揚される。ガイドブックを見ていたら、ボランティアの娘さんが声をかけてくれた。
◈王立美術館
11時、王立美術館へ。偶々ルーベンスとブリューゲル父子の「ブリティッシュ・ロワイヤル展」が開かれていた。通常展と合わせた入場料は9ユーロ(1550円)。15~18世紀の絵画を中心とする古典部門と、19~20世紀の印象派の作品やモダンアートが並ぶ近代部門からなる。マドリードのプラド美術館と並ぶベルギーが誇る世界屈指の美術館。広々とした空間に、迫力ある大作が並び、圧倒される。
◆王立美術館入口と内部:横スライドショー(7枚)
古典部門のヤン・ファン・アイクの静謐な世界から始まる初期ネーデルランド絵画。最後を飾るのは、農民生活を高いヒューマニズムの精神で描き、“農民画家”と呼ばれたブリューゲル(父)の作品。「ベツレヘムの戸籍調査」「イカロスの墜落」など10点。
しかし作品の大半は地元のベルギーにはなく、ウィーンの美術史博物館にある。「バベルの塔」「十字架を運ぶキリスト」「雪中の狩人」「農民の婚宴」など。幸いウィーンで2度観る機会に恵まれ、その素晴らしさに触れている。
17~18世紀の部屋には、ルーベンスの「東方三賢王の礼拝」「リエバンの殉教」などの大作7点やフランドル、オランダ、スペイン、イタリア、フランスの作品が並んでいる。
◆左:ルーベンス「東方三賢王の礼拝」、右上:クノップフ「愛撫」、右中:スーラ「グランド・ジャット島」、右下:中央の絵がヤコブ・ヨルダーンスの「豊饒の寓意」
骨董店が多いグラン・サブロン広場から最高裁判所へ。グレコロマン風の建物。25の大法廷と250の部屋があり、高さ104m、面積2万6000㎡の19世紀最大の建築物。あまりの巨大さに驚く。裁判所前のプラール広場は絞首刑台の丘と呼ばれていた。広場には展望台があり、ブリュッセルの下町が一望できる。
◆左: グラン・サブロン広場付近、 右: 最高裁判所
ルイーズ広場に出るとクイック・レストランがあり、クラブチキンとハンバーガーの遅い昼食をとる。長い時間歩き回り、空腹でなかなか美味しい。
メトロを乗り継いで2時半、サンカントネール公園へ。ベンチに腰かけて、1905年にベルギー独立50周年を記念して造られた凱旋門と、美しい森を眺めながら疲れを癒す。
◆サンカントネール公園(3枚)と凱旋門(3枚):スライドショー
EU本部ビルを見て再びメトロに乗り、グランプラスに戻る。
◆地下を走るトラム
◆再びグランプラスへ:スライドショー(8枚)
広場をもう一度ゆっくり眺めて、ブラバン公の館の地下にあるベルギー料理の庶民的なレストラン「ケルデルク」へ。石造りの落ち着いた店内は中世のような雰囲気。日本語のメニューがあるのが嬉しい。
ムール貝のワイン煮、ワーテルゾーイをはじめベルギー料理のほとんどが揃う。妻は「シコン・オ・ジャボン(ほろ苦いチコリをハムで巻いたグラタン)」、私は兎のビール煮。いずれも期待にたがわぬ美味しさ。ヒューガルテン・ホワイトビールがまた美味しく、2本飲む。アルコールがダメな妻も、チェリー味の女性向きビール「ベルビュークリーク」を試しに飲んでみる。チップ4ユーロを加えて合計46.3ユーロ(8000円)。満足の夕食。
2008年12月21日2時前、娘と孫2人を連れ5人で2度目のブリュセルへ。この時ユーロは夏の172円から大きく値下がりし126円。ブリュッセル中央駅前の5つ星ホテル「ル・メリディアン・ブリュッセル」に宿をとることができた。しかも、隣り合った部屋が中でドア1枚で繋がるコネクティングルーム。よちよち歩きの下の孫が、面白がって行ったり来たり。上の孫は衛星放送で日本のテレビが見られてはしゃいでいる。オランダの自宅では親の教育方針で日本のテレビは見ることができない。
◆孫はホテルの部屋がすっかりお気に入りに
快適な部屋でゆっくり休んで、夕方4時前ホテルを出る。歩いて数分のエスパーニュ広場は、クリスマスマーケットの屋台のテント小屋が軒を連ねている。日曜ということもあって多くの人出で身動きもままならない。妻や娘には興味をそそられる店がたくさん並んでいる。朝からの旅に疲れてぐずる孫にワッフルを買う。1.8ユーロ(230円)。思いの他美味しい。
◆左:ブリュッセル中央駅を背にホテルの前で 右上:エスパーニュ広場のクリスマスマーケット 右下:孫にワッフルを買う
ほどなくグランプラスに到着。市庁舎にプロジェクションマッピングのライトが当たり、大音量の音楽とともに、様々な幻想的な絵が映し出される。その圧倒的な眺めにしばらく見とれる。じっとしていると寒く、孫がホテルに戻りたいという。
◆クリスマスマーケットで賑わうグランプラス、前回訪れた夏とは違う魅力に大人もワクワク
夏に行ったブラバン公の館の地下のレストラン「ケルデルク」へ。
妻は、チキンのワーテルゾーイ(チキンと野菜をあっさりとしたクリームで煮込んだ料理)、娘は牛肉のビール煮、孫はクロケット、私は夏と同じ兎のビール煮。娘とビールで乾杯。寝ていた下の孫も起きて5人での楽しい夕食となる。後から来たベルギー人の14人の団体が隣で実に賑やか。
7時前にレストランを出て小便小僧に再会し、ウインドショッピングを楽しんで8時前にホテルに戻る。上の孫は日本のテレビに夢中になっている。
◆グランプラスで:横スライドショー(7枚)、縦写真(1枚)
翌朝、部屋にやって来た孫が、このままお正月までこのホテルに泊まりたいという。居心地がいいらしい。7時半、まだ暗い。街灯に照らされた道を勤め先に向かう人達がたくさん歩いている。
9時過ぎにレストランへ。26ユーロ(3300円)のアメリカンの朝食は豪華で美味しく満足。時間が遅く人が少なかったせいか、ウエイターが愛想よく孫にチョコレートをくれたり、日本語で話しかけてきたりする。
この日は娘たちがまだ行ったことがないブルージュへ日帰りの観光。クリスマス休暇中だからか、往復で1人8ユーロ(1010円)、しかも6歳の孫は無料、あまりの安さに驚く。電車は満員で立ち通し。1時間10分でブルージュへ。
駅前にはクリスマスマーケットが開かれていた。「愛の湖公園」や「ベギン会修道院」の樹々は落葉し、夏とはずいぶん趣が違う。
◆ぺギン会修道院は 1245年にフランドル伯爵夫人が創設。中世の封建的社会にあって、女性の自立支援のために女性だけで組織された共同体である。彼女たちは修道女としての務めの他に、街に出て家事労働や家庭教師などで収入を得るなど、社会と接しながら半聖半俗の共同生活を送っていた。
◆ブルージュ市街:横スライドショー(9枚)、縦写真(1枚)
娘があちこちの店を覗いて歩くので、なかなか進まない。マルクト広場の中央にはアイススケート場が設営され、その周りにはクリスマスマーケットのテント小屋が並ぶ。高さ88mの鐘楼に登る。60歳以上はシニア割引があり娘と2人で9ユーロ(1140円)、孫は無料。妻はベビーカーの孫と下で待機し、後で娘と交代して登る。元気な孫があっという間に先に行く。息を切らして後を追う。ブルージュの街が一望の元。郵便局で記念に切手を買う。
◆左:鐘楼、右:息も絶え絶えのじいじと元気な孫
◆マルクト広場とギルドハウス:スライドショー(7枚)
6時過ぎブリュッセルのホテルに戻り、小休止。7時、グランプラス近くのレストラン「マネケン」へ。日本人女性の団体がぞろぞろと出て来た。ここも日本語のメニューがある。
ムール貝のワイン蒸し、妻は白、黒のソーセージとマッシュドポテト、娘は魚のワーテルゾーイ、上の孫はハムとチーズのパスタ。ビール3杯、娘はフルーツの香りのビール、妻と孫はオレンジジュース。それぞれに美味しく満ち足りた気分で、グランプラスのクリスマスマーケットへ。イベントの音楽に合わせてベビーカーの上で孫が腕を振っている。
◆グランプラス:スライドショー(7枚)
23日のブリュッセルは快晴の朝を迎える。昨日のブリュージュ旅行に疲れて皆遅い起床。10時近くなってレストランへ。11時半過ぎてホテルを出発。ギャルリー・サン・チュベールへ。1847年に完成したヨーロッパで最も古いショッピングアーケードのひとつ。鉄とガラスが織りなすアールヌーボー様式、全長212mの屋内遊歩道。女王、王、王子の3つのギャラリーに分かれていて、ブティック、アンティークショップ、カフェ、映画館、劇場などがある。お土産を捜して、ゴディバ、ノイハウスなど4~5軒のチョコレート屋を覗く。
グランプラスの北東にあるイロ・サクレ地区を歩く。ブリュッセルの食い倒れ横丁。すれ違うのがやっとの狭い道の両側にレストランのテラス席が軒を連ねる。店先にはサンプルの魚介類が並べられ、呼び込みの店員が賑やかに声をかけて来る。もともとは精肉店やビール問屋などの市場があった場所だったが、都市開発で取り壊されそうになったのを、ある新聞記者が「神聖不可侵の地区だ!」と書いて反対したことが景観保護につながったことから、イロ・サクレ(聖なる地区)と呼ばれるようになった。ぼったくりの店もあるので、ガイドブックにある確かな店を選ぶのが賢明。
◆イロ・サクレ地区のレストラン街:スライドショー(4枚)
イロ・サクレのレストランに入るのは次回の楽しみにして、オランダへの帰途に就く。
- ベルギー点描⑤に続く -